2022年12月18日

武漢肺炎にロシア・ウンコ喰らいな戦争 悪逆非道なディープステイトの中核、猶太とは何か その1

 今年、皇紀2682年(令和04年)に、2年以上に及ぶ武漢肺炎の蔓延の上に、ロシア・ウンコ喰らいな戦争が始まった。

Putin長机.jpg 02月24日、ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンが、「ウクライナでの軍事作戦を開始する。」と宣言し、首都キエフ近辺を含むウクライナ各地で砲撃や空襲を開始した。


クレムリンでプーチンとの謁見に使う長机 → 

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 ← 全裸芸のコメディアン、ゼレンスキー

 ウクライナの大統領ウォロディミル・ゼレンスキー(44)も首相デニス・シュミハリ(47)もユダヤ人。アゾフ連隊を支援しているウクライナ系オリガルヒ(新興財閥)のイーホル・コロモイスキー(59)は、イスラエルとキプロス国籍を併せ持つユダヤ人で、令和03(2021)年よりアメリカ合衆国国務省のブラックリストに掲載されている。プーチンと敵対して消されたロシアのオリガルヒもほとんどがユダヤ人
 
ラエリエン・シンボル.jpg 一方、アメリカ。国務長官アントニー・ブリンケン(60)も、国務副長官ウェンディ・ルース・シャーマン(73)♀も、国務次官ビクトリア・ヌーランド(61)♀もユダヤ人でしかもウクライナ移民。な,、な、なんと、ブリンケンとシャーマンは共にキエフ南東95kmにあるペレイアスラヴという古都の出身のユダヤ人。ポグロム(ロシア人によるユダヤ人の集団虐殺)から逃れて渡米した祖先を持つユダヤ人。ブリンケンは父、ヌーランドは祖父が帰化した。


 痴呆大統領ジョー・バイデン(80)の次男の変態馬鹿息子のロバート・ハンター・バイデン(63)がウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングスの取締役に就任し、巨額の報酬を得ていたのは有名。そのバイデン大統領は、ウクライナ支援。財布の紐を握る米財務長官ジャネット・イエレン(76)♀はポーランド系のユダヤ人。以前はアメリカの中央銀行、FRBの理事だった超大物で、最新兵器がまたいっぱい売れ、スラブ民族の血が流れ、死の商人のユダヤ人は、マイム・マイム・マイム・・と狂喜乱舞し大儲けで血膨れをしている。




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 ← 議会が不適任と判断し許可が下りず、押し切って赴任した駐日米国大使エマニュエル

 ディープステイトの犬コロ、岸田文雄(65)を介して日本を操る駐日米国大使ラーム・イスラエル・・エマニュエル(63)は、父親はイスラエルのエルサレム出で、ウクライナのオデッサからイスラエル建国前のパレスチナに逃亡したユダヤ人。しかもイスラエル国籍も持っている。米国務長官で今年くたばった婆あのマデレーン・オルブライト(84没)♀はチェコスロバキアのプラハ出のユダヤ人で、北大西洋条約機構 (NATO) の東方拡大を推進しロシア・ウンコ喰らいな戦争の遠因を作った。

 ウクライナの最高権力者3人と、米国務省のウクライナ担当の最高権力者の3人が揃ってウクライナのユダヤ人。偶然な訳がない。ロシア・ウンコ喰らいな戦争で要職にユダヤ人が多過ぎる。 ユダヤ人は世界人口1400万人、人口比はわずかに0.2%。アメリカ国内には700万人とむしろ少数民族だがこの戦争に関わる人奴らは大多数派。

 ロシア・ウンコ喰らいな戦争は、ユダヤ人による、ユダヤ人のための、他民族のスラブ民族が犠牲になる戦争。グーミンでもわかる。



ユダヤが解るとこれからの日本が見える 激動の世界を読み解く集中講義完全版 - 宇野 正美
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ダビデの星.jpgユダヤ(ギリシャ語: Ἰουδαία、Ioudaía、漢字:猶太)

 他民族からは「ヘブライ人」と謂れ、自らは「イスラエル人」と称し、バビロン捕囚後には「ユダヤ人」と呼ばれるようになった徒輩。ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人は同じ民族を指している。
 ユダヤ人(ヘブライ語: יהודים‎、英語: Jews、ラジノ語: Djudios、イディッシュ語: ייִדן‎)は、猶太教の信者(宗教集団)または猶太教信者を親に持つ者によって構成される宗教信者。原義は狭義のイスラエル民族のみを指す。イスラエル民族の1つ、ユダ族がイスラエルの王の家系だったことを由来とする。猶太教という名称は、猶太教徒が多く信仰していた宗教であることによる。ユダヤとは、パレスチナ南部の地域。酋長ヤコブの子ユダに由来する。古代イスラエル統一王国の分裂後の南ユダ王国があった地域である。



 人類は1万年ほど前に諸民族が行き交う交通の要衝のメソポタミアで、遊牧と栽培という農業を発明し、文明が産まれた。前1500年頃からレヴァント(シリア・パレスチナ)で活動しはじめた、セム語系の民族。同じセム系のフェニキア人、アラム人らとともに、シュメール人の都市国家を中心としたメソポタミア世界の中で、より広範な領域を統合する世界帝国の出現の前提となる動きを展開するようになる。 その中で、フェニキア人が海上交易、アラム人が陸上交易という経済で統一国家が成立したのに対して、ヘブライ人は一神教信仰である猶太教で精神的、戒律的に統一を目指した。

 ユダヤ人の古代史は、タナハ(旧約聖書)が圧倒的な存在感をもっていたために、狂信的にこれに倣うか、神話的な部分をこじ付けたものを史実としてきた。しかしながら、同時代の文書や考古学的資料によって裏づけされた史実はほとんどない。
 滑稽だが、タナハによって荒唐無稽な話を進める。


 タナハ(タナク、タナフ、ヘブライ語: תנ״ך‎、Tanakh)は、耶蘇教では旧約聖書(英語: Old Testament)と呼ぶが、耶蘇教の視点に偏っており、近年はヘブライ語聖書と呼ぶ。タナハは、ミクラー(Miqra):朗誦するもの)と呼ばれることもある。ミクラーはクルアーンと語源を同じくしている。 タナハは、メソポタミア〜レヴァントあたりの諸民族の神話が混淆したもの、
 タナハでは、ヘブライ人の系統が詳しく述べられている。それによれば、セムの子孫のアブラムがヘブライ人の祖先とされる。その伝承によればメソポタミア東南部のウルからカナン(パレスチナ)のヘブロンに移住したとされるが、ヘブライ人は北西セム語を話すが、ウルのカルデア人は南東ハム語で言語が違うため事実とは考えられない。カルデア人は後に新バビロニアを建国し、へブライ人のバビロン捕囚を行う民族なので、捕囚からの帰還の記憶がヘブライ人の伝承に混入したに違いない。バビロニアからの移住は考えにくく、北西メソポタミアで遊牧生活を送りながら、移動を繰り返していた。

 タナハによると、神の名YHWH、はヤハウェ(יהוה(ヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄、古アラム語(英語版): 𐡉𐡄𐡅𐡄、英語: Yahweh)とされるが、アラム文字でヘブライ語を記述するようになってからもフェニキア文字で書かれていたとされ 、セム語は母音の表記法を持たなかった。語根は子音だけから成り語形変化を母音だけで表すので、語句や文章は子音文字のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の語彙力によった。この方式をアブジャドといい、現代アラビア語などにも見られる。ローマ時代のエルサレム包囲戦とその神殿の破壊が続き、西暦70年に、神の名の発音は完全に忘れられた。ユダヤ人はモーセの十戒の誤読により、それまで読んでいた神の名をアドナイ(אֲדֹנָי、「私の主」の意)に読み替えていた。従って 、何と読むか分からない。エロヒム(ヘブライ語: אֱלֹהִים‎)は、神を表す普通名詞。文脈により何を指しているかは変わるがタナハの多くの部分では神YHWHヤハウェיהוהと取れる。エロヒムを複数形と解釈した場合その単数形は「エロア」と復元できるが、これはアラビア語で「神」の単数形であるアッラー Allahと同根。

 タナハ冒頭の創世記によれば、YHWHヤハウェは6日で世界を創造した。1日目に「光があれ。」と光を、2日目は空を、3日目には陸と海を、地には植物と樹木を、4日目は太陽と月を、5日目には水棲生物と鳥を、6日目には陸棲動物と、これらの生き物全てを支配するものとして人間アダム(אָדָם、「土」「人間」の意)を神の形に似せて創り、命の息を吹き入れ生命を得た。ハヴァ(חַוָּה、エバ、イブ「生きる者」、「生命」の意)は、アダムの肋骨から,良き助け手として創り,アダムはこれを生命あるものの母として、ハヴァ(イブ、エバ)と名付けた。神は「生めよ、増えよ、地に満ちよ。海の魚、空の鳥、地のすべての生き物を支配せよ。」と言い渡した。そして自らの仕事に非常に満足し、7日目に休んだ(安息日)。

 楽園に男と女(アダムとハヴァ)を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑によって、善悪の知識の実だけは食べてはならないという禁忌を犯し、楽園を追放された。アダムとハヴァに兄がカイン(קַיִן、「鍛冶屋」の意)、弟がアベル(הֶבֶל、「息」の意)という2人の息子が産まれた。カインは農業、アベルは牧畜業を営んだ。
 彼らが神に初めてカインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は目を留めなかった。カインは嫉妬に駆られて、野原にアベルを誘い殺害し(人類最初の殺人)、カインはこの罪により、エデンの東にあるノド(נוֹד、「流離い」の意)の地に追放された。この時YHWHヤハウェェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。また、追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、YHWHヤハウェは彼を殺す者には7倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないためのカインの刻印をした。カインは息子エノクを設け、ノドの地で作った街にもエノクの名を付けた。
 アベルの死後、YHWHヤハウェは、アダムとハヴァに、アベルの代わりとして、セト(セツ、ヘブライ語: שֵׁת, 現代ヘブライ語: Šet, アラビア語: شيث、「授ける」の意)を授けた。現在の全ての人類の祖先であるノアの祖先がセトで、アダムから9代目の子孫がノア(ヘブライ語: נוֹחַ Nóaḥ, נֹחַ Nōaḥ‎、ギリシャ語: Νώε, ラテン語: Noe, アラビア語: نوح‎ Nūḥ)である。
 YHWHヤハウェは地上に増え始めた人間が悪を行っているのを見て、心を痛め、人も獣も這うものも空の鳥までも拭い去ることに決し、「その時代の人々の中で正しく、かつ全き人」、「YHWHヤハウェと共に歩んだ」ノアとその家族、および動物(鳥なども含む)は生き延びさせるよう、ノアに箱舟の建設を命じ、ノア(当時600歳)は箱舟を完成させると、「子らと、妻と、子らの妻たち」、および「全ての生き物…それぞれ2つずつ」と神から命じられた通りに、自分の妻と、3人の息子と、3人の息子それぞれの妻たち(ノアを含め計8人)と全ての動物の番い(清い動物「家畜」は7番いずつを箱舟に乗せた。大洪水は40日40夜続き、地上に生きていたもの全てを滅ぼし尽くした。水は150日の間増え続け、その後箱舟はアララト山の上に止まった[。40日後にノアは烏を放ったが、停まる所がなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉を咥えて船に戻ってきた。さらに77日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこで祭壇を築いて焼き尽くす生贄をYHWHヤハウェに捧げた。YHWHヤハウェはこれに対して、「二度と全ての生物を滅ぼすことはない。」と誓い、ノアと息子たちを祝福し、その印として空に虹を架けた。
 ノアの3人の息子は、セム、ハム、ヤペテで、セムはサァーニー(褐色)、ハムはフーム(黒色)、ヤペテはペテヤーフェト(白色)の意で、それぞれ人種の肌の色を表す。それぞれセム族、ハム族、ヤペテ族の祖先。セムは末子(長子の説もある)で。ヘブライ人やアラブ人の祖先。
 大洪水後、ノアは葡萄を栽培していたが、あるときワインで泥酔して裸で眠ってしまった。ハムは父の裸を見て兄弟たちを呼んだが、セムとヤペテは顔を背けて父の裸を見ずに着物で覆った(見るなの禁忌)。ノアはこれを知るとハムの息子カナンを呪い、「カナンの子孫がセムとヤペテの子孫の奴隷となる。」と予言した。ノアがなぜハムではなく息子のカナンを呪ったのかは諸説ある。 バベルの塔などの物語が続いていく。 セムは、タナハ創世記、ノアの方舟の物語に登場する、。ノアから、アルパクシャド(アルパクサデ)、シェラ(シラ)、エベル(ヘブライ語:עֵבֶר、Eber)、ペレグ(「土地が分けられた」の意)、レウ(リウ)。セルグ、ナホル、テラ(ヘブライ語 תרח)と、10代先の子孫がアブラム。

 エベルはノアの曾孫、アルパクシャドの孫で、シェラの息子、ペレグとヨクタンという2人の息子を設けた。
 ユダヤ人の別名「ヘブライ人(ヘブル人)」はエベルの名に由来する。一説には「渡り歩く人」の意とも言われる。


 西暦前14世紀頃のエジプトの文書に、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で掠奪行動を行っていたことが確認できている。このアピル(シリアやメソポタミアの文書では「ハピル」ないしは「ハビル」とも呼ばれた)は民族名を指すものではなく、奴隷や傭兵にもなった非土着系の無法者やならず者といった社会階層を指す言葉であった。このアピルとその後のヘブライ人のカナン進出に何らかの関係があったと思われる。また、西暦前1207年の出来事を記したエジプトのイスラエル石碑には「イスラエル」という言葉が記述されており、この部族集団の実在を確認できる最古の文献とされている。
 西暦前1200年前後は「海の民」が南西の海岸平野からシリアやカナン地方に侵入してきた頃であり、タナハでヘブライ人のライバルとして登場するペリシテ人である。ヘブライ人はこれと同時期に山岳地域からカナン地方に進出してきてペリシテ人と衝突を繰り返した。最近の考古学調査では、ガリラヤ山地、中央山岳地帯、南部ユダヤのネゲヴ北部などに前1200年頃から居住地域が急増し、西部に勢力を広げていったことが確認されている。この動きの中にヘブライ人たちの部族が含まれていた。ヨルダン川東岸の山岳地帯からカナン地方に進出してきた前述のヘブライ人の出自は不明である。


 ユダヤ人の父祖はアブラム(ヘブライ語 אַבְרָהָם (古: ʾAḇrām, 現: ʾAvram))、または アブラハム(英語 Abraham) 、アブラハームは、ギリシャ語 Αβραάμ Avraám アブラハム)。ヘブライ語で多数の父という意味。猶太教・耶蘇教・回教を信仰する「啓典の民」の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。猶太教の教義では全てのユダヤ人の、また回教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も救いもアブラム契約が前提。回教ではイブラーヒーム(アラビア語: ابراهِيم‎, Ibrāhīm)と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に5大預言者のうちの1人とされる。耶蘇教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人。

 タナハによれば、今から約5000年前の西暦前3000年(虚偽)に。アブラムの父、裕福な遊牧民のテラは、カルデヤのウル(:Ur Kaśdim)から、息子アブラムと孫のロト(ヘブライ語: לוֹט‎、Lot)、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。ロトは、テラの息子ハランの息子でアブラムの甥に当たる。テラ一行はハラン(Harran)に住み着いた。

 ヘブライ人たちが始祖とするアブラムは、タナハによれば「カルデアのウル」からカナンの地へ移住してきたことになっている。この「カルデアのウル」を南部メソポタミアのウルという説があるが、バビロニアからの移住は考え難くメソポタミア北西部からの移住。彼らの出自としてはこの他にも、カナン諸都市の周辺部に居た半遊牧民達が山地に逃れて定住したとする説、カナンの諸都市の奴隷や下層民が都市を逃れて定住したとする説、アラム地方から移住してきたとする説など様々である。おそらくは多様な出自を持つ人々であり、この中からYHWHヤハウェ神信仰を共有する部族がまとまりヘブライ人部族連合が形成され遊牧生活を続けた。

 アブラムは父テラの死後、神から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(現在のパレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。カナンに移住した。カナンにユダヤ人が移住し、この移住の際に、パレスチナ人の一部はヒクソスと共にエジプトに入った。
 その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした(実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされたことでエジプト王および王家を災害で痛めつけ、エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。

 アブラム一行は既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムの奴隷とロトの奴隷との間に争いが起きたため、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分けた。ロトが移り住んだ時点では、そこにはまだソドム(ヘブライ語:סדום、Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)が存在しており、後にソドムへと移住した。
 エラムの王ケドルラオメルによってソドムが掠奪されると、ロトの家族は家財もろとも捕虜として連れて行かれるが、そのことを伝え聞いたアブラムによって救出された。
 後に、天使2人がソドムに派遣され、がソドムにあるロトの家へ訪れ、ロトは使いたちをそれとは知らずにもてなした。神がソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝えた。この時ソドムの男がロトの家を囲み、「嬲りものにしてやるから、」と言って使いたちを出すよう騒ぎ、性的暴行を受けそうになった。ロトは2人の使いたちを守るべく、代わりに自分の2人の処女の娘達を差し出そうとしたが、群衆はあくまで男の使いたちを要求した。天使(住民たちが同性強姦しようとした客人)たちは、神の使いとして町を滅ぼしに来たことをロトに明かし、狼狽するロトに妻と娘とともに逃げるよう促し、町外れへ連れ出した。そこでロトは、夜が明ける前に妻と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ヘブライ語: צוער‎、Zoara、ベラ)へと向かう。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない。」と指示されていたが、妻は後ろを振り返ってしまい、塩の柱となってしまった。
 その後、彼らは山中の洞窟に移住した。娘たちの所にくる男はいなかったため、娘たちは父を酔わせ2連夜にわたって近親相姦し、男子を1人ずつ生んだ。長女の子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモン人の祖となった。

 イラン高原に住んでいた古代アーリア人はミスラやヴァーユなど様々な神を信仰する原イラン多神教を基に、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダーを信仰対象として創設したのがゾロアスター教である。ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論で、善の勝利と優位が確定されている。「世界最古の一神教」とも言われる。このゾロアスター教から、ミトラ教、マニ教など多くの一神教が派生した。その中で、セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)の猶太教、耶蘇教、回教の3宗教が、世界に蔓延っている。

 セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)の猶太教、耶蘇教、回教の3宗教は、中東の多神教の神の1つ、YHWH(仮に読みをヤハウェ)を唯一絶対の神で天地創造の神として、換骨奪胎し直した非科学的で不合理で不完全なカルトである。合理的な因果論など成り立たない。その神、YHWHヤハウェはいつから神なのか?天地万物を作った神ならば、その神を作ったの何か?それとも作らなくても存在したのか?YHWHヤハウェを作った神がいないと不合理。神、YHWHヤハウェは、宇宙創造前に存在し、この宇宙を作ったのなら、それ以前は何だったのか?非科学的で不合理で不完全過ぎる。ところが、タナハなどの記述を証明する「聖書考古学」まである。

 セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)は、多神教の神々を否定する形で布教し、おぞましくも排他的で自己中心、夜郎自大の中華思想のファシストである。万人は神の前では平等とされるが、神、YHWHヤハウェを信じない者に対しては恐ろしく不寛容で、「真理に背く」異教徒として差別する。「平等!愛!平和!」と唱えつつ、異教徒の弾圧や虐殺を平然と行う。憐憫などなく、人間だと思っていない。宗派や異端、身近な派閥は近親憎悪でより残虐になる。
 このYHWHヤハウェは全知全能の筈なのに、羊の生贄を喜ぶほど意地汚い。イサクの生贄まで求めた。ユダヤ人の方も、YHWHヤハウェの恩寵や家督に財産に執着し嫉妬深い。早速カインは弟アベルを殺し、ノアは息子のハム系統を呪い、ロトは娘2人に犯され、ハガル、イシュマエル母子は嫉妬深いアブラムの制裁サラにより荒野に放逐され、ヤコブは兄エサウを騙し、ヨセフは兄たちに奴隷として売り飛ばされる・・・・と、おぞましい限りだ。

 古代ローマ帝国では、ローマの神々もギリシャの神々もエジプトの神々もシリアの神々も自由に拝んでいた。一神教を否定しているのではなく、セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)という加虐宗教に憎悪を覚えるだけだ。
 しかし、この邪教が世界に蔓延したのはなぜか?ひとえに、ローマ皇などに取り入り国教になったためだ。統一教会や創価学会、ユダヤ人が作った共産党などのカルトのやり口を見ればわかる。人々の不安や不満に付け入り、とりわけ皇帝や権力者を信者に取り込み、国教に昇り詰めた。不合理な宗教会議を繰り返し、異端と選したものには放逐と虐殺を行った。

 セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)は悪魔の邪教である。他教徒をも弾圧し迫害し、他教徒の文化や文明を破壊し、掠奪、殺戮、強姦、侵略に内戦、戦争、十字軍、宗教戦争、魔女狩り、謀略と植民地化、奴隷化・・・世界を救うどころか、最も人々を不幸にして、生命や財産まで奪い取った。セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)のために、多くの何憶の人命や幸せが失われた。ユダヤ人は、耶蘇教徒、回教徒にとって、後裔であり兄弟であるにも拘わらず、蛇蝎のように嫌い、攻撃の対象である。逆も同じで、3者は敵対関係にある。セム族の啓示宗教(アブラムの宗教)がなければ、人類は今より幸せだった。

 ロシア・ウンコ喰らいな戦争でも「ゼレンスキーの猶太教+ウクライナ正教」対「ロシア正教」の戦いとも言える。


酋長時代

 YHWHヤハウェはアブラムの子孫が星の数のようになると預言したが、すでに75歳だったサラの勧めで彼女の若いエジプト人奴隷のハガルを妾にして、85歳のアブラムが奇跡的に身籠らせた。しかし妊娠するとハガルはサラと不和になり、夫アブラムは慣習に従い女主人に従うように命じたため、サラの辛い仕打ちに耐え切れなくなったハガルは身重の体で逃亡。YHWHヤハウェの使いの説得と加護を約束されて、ようやくハガルは帰還して出産することになるが、神の使いからは、長男はイシュマエル(「主は聞きいれる」の意)と名づけるように指示され、イシュマエル(ヘブライ語: יִשְׁמָעֵאל‎, 現代ヘブライ語: Yišmaʿel, アラビア語: إسماعيل‎ )を授かった。ハガルの子として生まれたが、メソポタミアの法に従い、彼は奴隷主たるサラの子となった。再び、ハガル、イシュマエル母子はわずかの水と食料を持たされ、荒野に遺棄された。イシュマエルはこの時16歳、体力は大人と同じ、しかし、この荒野では母ハガルより彼が参っていた。ハガルは息子の死を見るに忍びず、絶望の中に泣いた。後に、YHWHヤハウェと使いにより助け出された。

 アラブ人はイブラーヒームとイスマーイール(イシュマエル)を先祖とする。「アラブ人」という概念は、「ユダヤ人」と同じく、人種的存在とは言えない。むしろセム語(アラビア語)という言語を共有する人々としてであったり、タナハのイシュマエルを始祖とするという共通概念で規定される。
 回教では、YHWHヤハウェと使いの特別な加護のあったハガル、イシュマエル母子は神聖視され、大巡礼(ハッジ)におけるザムザムの泉への往復は荒野に追われたハガル・イシュマエル母子を追体験するものとされている。


 YHWHヤハウェはアブラムへの契約を再確認すると同時に、「妾ハガルの産んだ長男イシュマエルではなく、サラから産まれる子供が跡取りである。」と知らせた。アブラムは平伏したが心の中では「あり得ない。」と笑い、1年後に再び告げられた際はサラも「100歳のアブラムと90歳の自分との間に子供が出来るはずはない。」と隠れて笑った。「妾の長男が約束の子である。」と考えていたが、神は2人が笑ったことから次男の名をイサク(笑う、イツハーク)と名づけよと言った。その言葉のとおり、サラから子供が生まれ、アブラムは神が言われたとおりイサクと名づけた。後に99歳で割礼を受け、老妻サラ(サライ)との間に100歳になって嫡子イサク(ヘブライ語: יִצְחָק‎ (yits-khawk' イツハク、古代ギリシャ語: Ισαάκ (Isaak)アラビア語: اسحاق‎ (ʾIsḥāq イスハーク)、「彼は笑う」の意。英語: Isaac アイザック)を授かった。サラはアブラムに、「この妾とその子を追い出して。この妾の子は私の子イサクと共に、世継ぎとなるべき者でない。」それからしばらく後、YHWHヤハウェはアブラムの信仰を試そうとして、モリヤ山でイサクを焼き尽くす捧げものとして供えるよう求めた。アブラムはこれに従った。イサクも直前になって自分が犠牲であることを悟ったが抗わなかった。アブラムがまさに息子を屠ろうとした時、YHWHヤハウェはアブラムの信仰の確かさを知ってこれを止めた(イサクの燔祭)。
 ところが、妾のハガルは増長して主人のサラを軽視するようになり、サラの腹から生まれたイサクをイシュマエルがからかっている光景をサラが目にしたことから、サラはアブラムに母子を追い出すよう迫り、アブラムは神の「心配せず妻の言う通りにせよ(取意)」とのお告げを受けてこの母子を砂漠に放逐した。母子は放浪の挙句、泉を見つけて安堵する。この系列はイシュマエル人としてユダヤ人とは別の民族になったとして、旧約にも登場する(ヨセフをエジプトへ連行したのもイシュマエル人の隊商である)。のちに、アラブ人はこのイシュマエルを祖とするイシュマエル人の子孫と称し、アラブ人が開いた回教ではイサクよりもイシュマエルが重視される。
 その後アブラムはケトラという女性を妻に娶りジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアという子供を設け、その後アブラムはイサク以外の子には生前分与として贈り物を与えて東の地に去らせ、イサクには残りの全財産を継がせ、カルデアから傍系親族のリベカを連れてこさせて彼の妻にさせた。

 イサクとリベカは、エサウとヤコブという双子の兄弟を設けた。イサクが60歳のときに生まれた双子がエサウとヤコブであった。先に出てきた子は色が赤くて全身が毛皮(セアル)の衣のようであったため、エサウと名づけられた。 ヤコブ(羅: Jacob 、ヘブライ語: יעקב(ヤアコーブ、アラビア語: يعقوب(ヤアクーブ)は、別名をイスラエル、イスラエルの民すなわちユダヤ人はみなヤコブの子孫を称する。ヤアコブはヘブライ語で「かかとをつかむ者=人を出し抜く者」の意。

 ヤコブ(イスラエル)が、双子の兄、エサウの踵(アケブ、עקב)を摑んだまま生まれ、後に兄を出し抜いて長子の祝福を得たことに由来する。ユダヤ人の別名「イスラエル人」はヤコブの名に由来する。

 エサウは狩人となり父イサクに愛された。しかし、空腹のあまり弟ヤコブの作っていたレンズマメの煮物を望み、軽い気持ちで「自分の長子の権利を譲る。」という口約束をしてしまった。年を取り目が見えなくなっていたイサクは、長子エサウに祝福を与えようとした。それを知ったリベカは自分の愛したヤコブに知恵をつけ、エサウのふりをさせてイサクの祝福をヤコブに与えることに成功した。祝福を受けられなかったエサウは激怒し、ヤコブを殺そうと考えた。リベカは危険を察知してリベカの兄ラバンの元へヤコブを逃亡させた。逃亡の途上、天国に上る階段の夢(ヤコブの梯子)を見て、自分の子孫が偉大な民族になるという神の約束を受けた。ハランにすむ伯父ラバンのもとに身を寄せ、ラバンの娘ラケルへの好意を利用した。ラバンは下の娘、ラケルとの結婚の条件として、7年間の労働を要求した上、7年後に偽って、レアと結婚させた。ヤコブは抗議したが、さらにラケルと結婚するためにもう7年間の労働を要求した。さらに、ヤコブの帰郷の申し出も、家畜の群れを増やすために利用した。やがて全家族をつれて逃亡した、ヤコブ一行を追う。しかし、ヤコブとラバンは和解して、ラバンの提案で、石の柱を立てて、契約を結ぶ。ラバンはそれをアラム語でエガル・サハドタと名付け、ヤコブはヘブル語でガルエデと名付けた。 やがて財産を築いて独立した。
 兄エサウとの和解を志し、会いに行く途中、ヤボク川の渡し(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で神と格闘し、勝利したことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞)の名を与えられた。これが後のイスラエルの国名の由来となった。 エドムの野で暮らしていたエサウのもとに、財産を築いた弟のヤコブから再会を求める使者が訪れる。エサウは400人の供をつれてこれを迎えたためヤコブは恐れ、ひたすら低姿勢でエサウの元に向かう。ヤコブの恐れは杞憂に終り、ヤコブはエサウと和解して父イサクと再会した。

 このヤコブ(別名:イスラエル)はレア、ラケル、ビルハ、ジルパという4人の妻との間に娘と12人の息子を設けた。モーセによるエジプト脱出の後、この12氏族にそれぞれ土地が与えられた。レアを母とするルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、一人娘であるディナ。ラケルの下女ビルハを母とするダン、ナフタリ。レアの下女ジルパを母とする ガド、アシェル。レアの妹ラケルを母とするヨセフ、ベニヤミンである。しかしヨセフの子エフライムとマナセをこれに加えるときはレビを除いて12氏族とする。レビ族は祭司の家系であって継承する土地を持たないので12部族には入らない。またヨセフ族はなく、ヨセフの息子エフライムとマナセを祖とするエフライム族、マナセ族が加わることで12氏族となっている。このうちユダ族とベニヤミン族、レビ族以外の10部族は北イスラエル王国滅亡後に歴史から姿を消し、「イスラエルの失われた10氏族(イスラエルの失われた10部族)」と呼ばれる。

 ユダヤ人とはイスラエルの子孫全て(イスラエル民族)を指すのではなく、厳密にはユダ族・ベニヤミン族の2支族にレビ族を加えた者を指す。現在はイスラエル民族全般と改宗猶太教徒もユダヤ人に含む概念が一般に浸透している。

 晩年、寵愛した息子のヨセフが行方不明になって悲嘆にくれるが、数奇な人生を送ってエジプトでファラオの宰相となっていたヨセフとの再会を遂げ、やがて一族をあげてエジプトに移住した。

 タナハ「創世記」では、アブラムの子のイサク、イサクの子ヤコブが後の古代ヘブライ人の祖先であるとしている(ヤコブの別名がイスラエル)。しかし、この3代の族長は、元々は別の部族が保持していた族長伝説が合わせられた。アブラムとイサクの記述には圧倒的に南部ユダ地方に置かれた聖所との関わりが記されているし、ヤコブの記述にはサマリア地方やヨルダン川東岸の聖所が言及されていることから、アブラムとイサクが南部のユダヤ系、ヤコブが北部やヨルダン川東岸系の部族の酋長であったことが推測される。ヘブライ人部族連合がその結びつきを強固にして、祭祀・伝承・神話を共有していく中で三代の族長の物語が形成されていったと考えられる。


ユダヤ人の歴史 (河出文庫) - レイモンド・P・シェインドリン, 入江規夫
ユダヤ人の歴史 (河出文庫) - レイモンド・P・シェインドリン, 入江規夫

 ユダヤ人は、一見、「タナハ(旧約聖書)」という神話を持つこと、民族宗教である猶太教が依然として存続していることなどから、西暦前1500年ごろから現代まで、一貫してその民族性を継承しているように見えるが、なりすましや入れ替わりがあり、ユダヤ人の歴史として統一視はできない。その歴史は、古代のローマ時代までと、中世の離散(ディアスポラ)の時期、イスラーム教徒との共存、近代以降の啓蒙主義の時代、現代のシオニズムを中心とした動きなど、不連続に断片的に見ていく必要がある。

 ユダヤ人はセム語族とされるが、長いディアスポラ(離散)のなかで、周辺民族との混血の結果、セファルディームとアシュケナジームの違いが生じ、また言語もイデッシュ語などが生まれた。現在、ユダヤ人はイスラエルの他、世界中に分布しており、アメリカにも約600万人が住んでいるとされる。しかし現在ではユダヤ人を「人種」概念で捉えるのは困難で、現実には「猶太教を信仰する人々」と捉えるのが正しい。人類学的に同質のユダヤ人は存在しない。


ウラ事情がわかる!  「ユダヤ」で読み解く世界史 (PHP文庫) - 佐藤 唯行
ウラ事情がわかる!  「ユダヤ」で読み解く世界史 (PHP文庫) - 佐藤 唯行

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