2009年12月10日

パキスタン崩壊の危機


 12月04日、ラワルピンディ(Rawalpindi)で、大勢の信者が金曜の礼拝のために集まっていたモスクで武装グループによる自爆攻撃があり、4人の襲撃犯全員を含む40人が死亡、45人が負傷。
 07日、パンジャブ(Punjab)州の州都ラホール(Lahore)の市場では30メートルほどの間隔で仕掛けられた2発の爆弾がほぼ同時に爆発し、子ども6人を含む49人が死亡、約150人が負傷。
 07日昼ごろ、北西辺境州の州都ペシャワル(Peshawar)で、自爆犯が地元裁判所近くで自爆し、警察官を含む10人が死亡、44人が負傷。
 08日、情報機関「三軍統合情報部(Inter Services Intelligence、ISI)」の事務所付近で銃や爆発物による自爆攻撃があり、9人が死亡。爆発物を積載したピックアップトラックに乗った2人の自爆犯が兵士に発砲して検問所を突破。三軍統合情報部に接近を試みたが制止されたところ、爆弾を爆発させた。民間人5人と兵士2人が死亡し47人が負傷したほか、道路には巨大な穴が開いた。犯人2人も死亡。
 ムルタンの攻撃を含めると、24時間以内に3件の攻撃が起きたことになる。この2年半では2600人以上が武装勢力による攻撃の犠牲になっているが、この多くはタリバーンによるもの。

 国名「パキスタン」は、ペルシア語起源の言葉で「清浄な国」を意味するパーキスターン(پاکستان Pākistān)に由来するとともに、パキスタンを構成する五大地域であるパンジャーブのP、北西辺境州に住むアフガーン人のA、カシミールのK、シンドのS、バローチスターンのTANを表す。もともと、インドからムスリムが分離独立したのがパキスタンで、当初は東パキスタンという飛び地があった。建国の父ムハンマド・アリー・ジンナーらが作った、インド亜大陸のムスリムの寄せ集め人造国家。植民地扱いに怒った東パキスタンは、1971年12月にバングラデッシュとして独立している。インドとのカシミール戦争で、多くの外国人を義勇兵(ムジャヒディン)として受け入れてきたのが災いして、皮肉なことに、核武装してカシミールが落ち着いたら、タリバーンの市民への無差別殺傷テロで崩壊の危機にある。

 ラホールといえば、深夜に初めて空港に着いて、中心部に行けと言ったのに、バカ高い郊外のモーテルに連れて行かれてボられた。インドに近いとロクでもない。すぐに中央部に出て、PTDCのホテルに移った。パキスタン建国の父、ムハンマド・アリー・ジンナーが独立文書だかを起草した部屋の隣の部屋に泊まっていた。ラホールでは、世界遺産の中で子供が泳いだり遊び回っていたのが印象的だった。バングラデッシュの方は今年の03月に訪れた。バングラデッシュはともかく、パキスタンの方は訪れるには危険過ぎる。
posted by cnx at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | SA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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