2010年02月09日

片桐機長日航機殺人事件から28年 「機長、何するんです!やめてください!」


 正月に関西空港に朝降り立ち、それまであった国内線が廃便になっていたので、伊丹までバスに乗り継ぐ羽目になった。1階の国際線到着階から3階の国内線の階まで登るだけで乗り換えができたのは遠い昔のようだ。当たり前のことが当たり前にできない。一体何のための国際空港なのか。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tairyou.htm
1982年(昭和57年)2月9日午前8時37分、片桐清二(当時35歳)機長が操縦する福岡発羽田行きの日航機DC8が着陸寸前に突然、失速、空港手前の羽田沖に墜落、死亡者24人、重軽傷者149人を出す惨事となった。事故の原因は着陸態勢に入ったときに、片桐機長が突然エンジンを逆噴射させたためだった。ボイスレコーダーに「機長(キャプテン)やめてください!」という石川幸史(よしふみ)副操縦士(当時33歳)の絶叫が記録されていて証拠となった。記者会見で高木社長は片桐機長が乗員健康管理室から心身症と診断されて経過観察中であったにもかかわらず運輸省(現在の国土交通省の前身のひとつで、運輸省は建設省、国土庁、北海道開発庁と統合されて国土交通省になる)などに報告を怠っていたことを明らかにした。片桐元機長は精神鑑定の結果、妄想型精神分裂症と診断され不起訴処分となった。

 昭和57(1982)年02月09日、日本航空福岡発東京行350便、DC-8-61型機(機体番号JA8061)JL350便は、9分遅れの午前07時34分に福岡空港を離陸。片桐機長は吐き気のため朝食を取らず、機内でスチュアーデスの持って来たコーヒーも飲まなかった。その後順調に飛行し、08時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、フラップを降ろして着陸準備に入った。
 高度200フィート(約61m)までは順調であったがその直後の08時44分01秒、機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。
 エンジン音の異変に気付いたO航空機関士(当時48歳)が「パワー・ロー!」と叫んで推力を戻し、石川副操縦士が操縦桿を引き上げたが、08時44分07秒、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら、C滑走路33R進入端沖合の南300m手前に機首から墜落し、機首が吹き飛び、機体は機首と機体後部で真っ二つになり、3分の1が水深5mの海中に水没した。



 片桐機長操縦のJL350便には、乗組員8名、乗客166名の計174名が搭乗していたが、うちこの墜落により死亡24名(乗客24名)、重傷95名(乗組員8名、乗客87名)+軽傷54名(乗客54名)=149名が負傷を負った。死者のうち6名は溺死。当時は、禁煙席は最前列あたりのみで、死亡者は禁煙席の乗客が大多数だった。

 東京消防庁は、13時33分に死者24名と最終的に確認し、その後生存者も死者の発見もなく、15時28分に捜索が打ち切られた。16時にボイスレコーダーが回収され、20時過ぎに全ての救急活動が終了。

航空事故調査報告書(概要)報告書番号58-3
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/kensaku/detail.asp?ID=367

 この事故の直接の原因は片桐清二(当時35)機長の操縦によるもので、事故ではなく、殺人事件である。片桐機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。航空事故調査報告書には、「着陸進入中の低高度において、その必要がないのにもかかわらず、機長が操縦輪を押し込み、かつ、全エンジンのパワー・レバーをフォワード・アイドル位置まで引き戻し、その後更に第2及び第3エンジンのリバース・レバーをリバース・アイドル位置まで引いたことによるものと認められる。」と断定されている。また、片桐機長がこのような操作を行うに至った理由は、遺伝性の精神病によるものとされている。

 後に片桐機長は、この操作の直前に「去ね(いね)、去ね。」という山彦のような声が聞こえ、その後は墜落直後まで気を失ったと述べている。ボイスレコーダーに木更津上空での片桐機長の喚き声が収録されており、墜落まで機首下げを行おうとしていたため、石川副操縦士が「キャプテン、何をするんです!やめてください!」という絶叫も残されている。石川副操縦士は「1回目は止めたが、2回目はどうしようもなかった。」、「墜落直前に航空機関士と共に片桐機長を羽交い締めにするようにして、機長席側の操縦桿を思いっきり引いた、機体が水平になったと同時に墜落した。」などと証言しており、片桐機長が異常操縦を2回行い、2回目の際に高度60mで石川副操縦士は3基のエンジンを戻したものの1基を戻しきれずに機体は着水したと思われた。機体からは第4エンジン内のスロットルレバーと1基のファンエンジンが逆噴射をしている状態で見つかり、石川副操縦士の発言を裏付けた。石川副操縦士とO航空機関士が制止しなければ、さらに犠牲者が増えていた。O航空機関士は、片桐機長を止めようとしてベルトをしてなかったために大怪我をした。

 墜落後、意識を戻した石川副操縦士は片桐機長に「何てことをしたんですか!」と叱責すると、片桐機長は大声で泣いた。片桐機長は着水後、「ああ、やっちゃった。」と平然と語り、一番先に脱出していた。救出されて入院した石川副操縦士は事故直後、事情聴取に訪れた日航幹部に対し「とんでもないことをしてしまった。」と話して泣き崩れている。

 航空法第75条、機長は事故の発生時に乗客の救助を率先して行うよう義務づけられているが、片桐機長はそれらの職責を放棄し、乗客に紛れて脱出した。当初、機長死亡という誤報が流れていたが、その後真っ先にボートで平然とした表情で救出される片桐機長の姿が報道され、救出された際、石川副操縦士は暗い顔をしていたが、片桐機長は笑顔だった。



 片桐機長、石川副操縦士は、正午過ぎに、羽田東急ホテルで、日航が手配した東京慈恵会医科大学附属病院の医師の診察を受け、片桐機長は12時50分頃、石川副操縦士は12時55分頃に慈恵医大病院に入院。片桐機長が入院したのは、小児科病棟401号室で、後に特別病棟428号室に移った。部屋は個室で都心のため狭いが、電話があった。鎮静剤をうたれ、片桐機長はそのまま眠りこんだが、石川副操縦士は眠れなかった。羽田東急ホテルでは、医師会の医師の応援を拒絶し、日航はその事実を隠蔽し、「機長隠し」と騒がれた。

 事件当日の09日に、日航は逆噴射の事実を摑んでいた。現場に駆けつけた日航の整備士が、海中に散乱した第2、第3エンジンに逆噴射のときにしか出ない「羽」が出ているのを見つけ、上司に報告。エンジンの異常を知った日航は、運航関係の幹部を慈恵医大病院に派遣した。石川副操縦士は捜査本部の事情聴取では、「操縦桿を引き戻したときに異常に重かったので機長が何かやったと思い、何か叫んだが、その言葉は覚えていない。」と偽証し、むしろ片桐機長を庇っていたが、運航関係の幹部の前では、「大変な事が起きてしまった。」、「会社が大変な事になる。」と泣きだした。運航関係の幹部は、「何が起きたんだ。」と問い質したが、石川副操縦士は黙ったままだった。「真実は一つだ。どんな事でも話すべきだ。」と説得され、ようやく「機長がエンジンのレバーを逆噴射の方向に引いたようだ。」と吐露した。

 極秘の逆噴射の事実は日航内で箝口令が敷かれ、10日から12日にかけて、日航の最高幹部が招集され、常務会が何度も開かれた。多くの人命を預かる機長の異常行動に会社としてどう対応するか、結論が出ず、整備関係の役員から、「事実を公表すべきだ。」と強い意見が出たが、高木養根(やすもと)(当時69、東京帝國大学法学部卒)社長に一任になった。隠蔽工作を画策していたのは間違いない。
 しかし、日航社内に異常操縦の噂が漏れ、事実公表を求める下部からの付き上げが激しくなった。12日昼に、日航は、機長の異常操縦を心身症の病歴を運輸省と航空事故調査委員会に報告。内々に発表の許可を求めたが、どちらも事なかれ主義で反対したが、日航の「これ以上社内を抑えられなくなった。」との言葉に渋々承諾した。その夕方、高木社長ら19人は日航オペレーションセンター3階の特別会議室で緊急役員会を開き、「逆噴射と心身症を一緒に発表するのは良くない。」という意見もあったが、また、高木養根社長に一任。片桐機長の妻は、事故後、同僚の機長の車でその同僚機長宅に避難していた。発表により、その家で泣き崩れそのまま寝込んでいた。はじめは片桐機長が死んだと思っていたが、テレビの発表で生きているのを知ったという。このような日航の隠蔽工作は、「機長隠し」に続き、「機長夫人隠し」と言われる。

 日航は、この逆噴射事件が片桐清二の精神分裂病による大量殺人事件にも拘らず、原因を「心身症」という耳慣れない病名を持ち出して来て、誤魔化し責任逃れを行った。日航は、自己の保身のため、軽微なノイローゼによる身体的不調の「心身症」を重大な精神異常のような間違った錯覚を与えた。「心身症」は「精神疾患」ではなく「身体疾患」であるため、主として扱う診療科は精神科ではなく心療内科である。日航の腐った体質は、何も変わっていない。

 石川副操縦士は中央大学経済学部出身。入社後は航空機関士として経験を積み、10年後に副操縦士になり、事故後も勤務をこなし、日本アジア航空(JAA、EG)でようやく機長になった。O航空機関士は、航空事故調査報告書に身長160cmと記されている。

 片桐清二機長の実家は、昭和の初めから大分県別府の商店街の3階建ての時計屋を営んでいたが、それとは別に高級住宅街に別宅があり、その別宅で片桐清二は生まれた。大分県立別府鶴見丘高等学校では学年30位程度。九州大学に行ける成績だったが、岡山大学理学部数学科に入学し、2年で中退して航空大学校に入った。パイロットになって結婚。片桐機長は日航の同僚によれば無口で、感情の起伏をまったく見せない男であり、趣味は釣り。酒、煙草、麻雀などはやらない。娘も生まれたが、日本アジア航空へ出向し、定期運送用操縦士の学科試験に落ちたあたりから異常が現れてきた。

 昭和54(1979)年12月、33歳で同期入社の中で半年遅れで、昇格訓練を経て機長となった。数年前から体調を崩して度々「吐き気がする。」と訴えていたが、事故から2年前の昭和55(1980)年08月頃、神奈川県葉山の自宅で「盗聴器が仕掛けられている。」と警察に通報したり、警察官に対して、「家の周りをうろつく奴がいる。」とか「応接間の天井に盗聴器がある。」などと訴えている。また、「宇宙から電波が届き、飛行機を操縦している。」など妄想の兆候が見られた。この頃、片桐機長は国際線の成田−モスクワ間の機長として乗務していたが、この時も妻(実家は裕福な医者で、元スチュワーデス)に「共産主義の連中が自分を狙っているのでモスクワには行きたくない。」などと話している。心配した妻は病院の精神科医に相談したところ「ご本人を診察していないので明確には言えないが精神分裂症の兆候がある。」と言われ、妻は大きな衝撃を覚えた。

 日航の6ケ月毎の定期検査では神経衰弱による「心身症」と診断され投薬と静養を必要と診断された。昭和55(1980)年11月末本人から吐き気など体の異常を訴える連絡があった。病院で診断の結果「三週間の安静加療が必要。」という診断書が提出され、心身症で1ケ月の短期療養となった。ところが片桐機長が心身症で休養中の12月15日、日航の片桐機長を診断した指定医から運輸省航空局に出された航空身体検査書には、すべての事項について「異常なし」と記入されていた。心身症とは「身体症状を主とするが、その診断と治療に心理面からの配慮をとくに必要とする病態」と定義され、ノイローゼや精神病などとは区別されている。心理的なストレスが引き金となって、高血圧・胃潰瘍・喘息・吐き気やめまいなどさまざな身体的異常が引き起される。

 昭和55(1980)年12月23、24日副操縦士としての定期検査を受け、同乗した専門の精神化医の同意を得て、12月末から副操縦士に降格されて勤務に復した。その後、定期検査で医師も乗務に差し支えない状態に回復したようだと日航の運航乗員部に報告。その結果、事件前年の昭和56(1981)年11月11日の社内審査会を経て、11月20日から時差もなく体調を維持しやすい国内便の機長として操縦桿を握った。この頃妻や姉千鶴子に「自分は皇室の人間だ。」とか、散歩の途中で見知らぬ人に愛犬をあげたりと妄想や奇行は依然続いていた。

 片桐機長の妻は、事故を起こすフライトの2泊3日の勤務に出かける直前、殺されそうになるほどの暴力を振るわれ、家をメチャクチャにされた。片桐機長の姉千鶴子に訴えに行ったが相手にされず追い返されてしまった。前年の暮れから、片桐機長が暴力振るっては何も覚えてないという事が続き、その度に相談していた。千鶴子は片桐機長の妻が落ち着くまで泊まっていけばいいと思ってたらしい。夜には片桐機長の娘が熱を出して寝込んでしまい、その翌日片桐機長がお千鶴子の家に来たが、妻子を迎えに来たわけではなく、「会いたくない。」と言って玄関に突っ立ったままだった。そんな片桐機長を中に通して話を聞くと、「戸籍を消したい。」、「分裂病で死んだ姉のことが会社にバレるとクビになる。」と言うのを「思い詰めちゃ駄目、あんたは疲れてるだけなのよ。」と言って宥めている。そして娘が寝てる部屋を覗き込んで、「熱が下がったら送って行くよ。」という千鶴子の声かけに「よろしくお願いします。」と他人みたいな挨拶をして、1人で帰って行った。

 事故前日、事故時と同じ乗務員で羽田発福岡空港行きJL377便に乗務しているが、その際も異常な行動が見られた。離陸時、管制官から離陸許可が出ていないにもかかわらず、「管制許可はきているね。」と呟きながらパワーレバーを操作しようとしたところを石川副操縦士と航空機関士に制止されていた。離陸して間もなく、大島上空で対気速度250ノット、バンク角25度の緩い右旋回上昇を行う予定であったが、操縦桿を握っていた片桐機長は70度(通常の飛行では最大35度程度)近くに達するまでバンクさせたため、石川副操縦士が横から修正を行っている。この直後、石川副操縦士は片桐機長に対して大丈夫かと問いかけたが、片桐機長は落ちついた様子で「大丈夫です。」と答えたという。だが、機体はバンク角過大のため内側にスリップし、15秒間で800 フィート(約250m)降下している。福岡に到着後降機した際、片桐機長は石川副操縦士に対して「さっきはお見事。」と揶揄するように言ったという。この操縦で乗客からのクレームもあったが、石川副操縦士が会社に対して報告を行わなかったため、クレームは黙殺された。

 昭和57(1982)年02月16日、片桐機長は「着陸寸前、突然言いようのない恐怖心にかられ、意識を失ってしまった。どんな操縦をしたか全く覚えていない。」と語っている。片桐機長は業務上過失致死罪により逮捕となったが、精神鑑定により精神分裂病(現在の表記では、「統合失調症」、つまり「気違い」)と診断され、心神喪失の状態にあったとして検察により不起訴処分となった。

 片桐機長の2番目の姉も精神分裂病で、精神病院に入院していたが、飴玉が喉に詰まって死亡した。実家での葬儀の後、診断書に精神分裂病と書かれているのを見た瞬間、片桐機長(当時は副操縦士)は血の気がサーっと引いてその場から逃げるように立ち去った。このあたりから片桐機長の様子に異変が起き始める。片桐機長の精神鑑定医・小田晋は遺伝性の精神分裂病と断定している。初期の心理テストで精神分裂病と診断可能なほど進行していた。その後鑑定途中で本人が病気を認めてからは病状が恒常化した。
 パリ人肉事件の佐川一政と同じ松沢病院に措置入院。先に入院していた片桐機長は、「佐川と出合い意気投合。毎週金曜日のカラオケ大会で機長は見習い看護婦と『銀座の恋の物語』、佐川は『ゴンドラの唄』を熱唱。仲良しコンビ結成に病院職員からどよめき。」と週刊誌に載っている。

 事故から1年後ぐらいに解雇になっているが、退職金は出た。片桐機長は措置入院中の松沢病院で解雇を知り、かなり動揺した。退院して、日本航空の年金と精神障害者保健福祉給付を受け取って、葉山の自宅で悠々自適の生活を送っている。2002年の週刊文春によると、自動車の免許を再取得し、たまに出掛けたりするが、ほとんど家から出ない。唯一の趣味だった釣りさえも行かず、妻がパートの仕事をして、たまに2人でコンサートに出掛けたりしている。

 片桐機長は着替えたのではなく、最初からカーディガンで勤務していた。また、逆噴射をしたのも、当時日航機のパイロットの間ではやっていた遊びで、誰が一番滑走路の手前に着陸できるか競い合っていた。片桐機長も滑走路の端ギリギリで着陸しようと逆噴射を効かせすぎたため、人命が失われた。他者の批判を許さない片桐機長と日本航空の組合の異常性が滲み出ている。
 これ以前にも、日本航空は「気違いが操縦している。」という噂があり、実は片桐機長だけではない。この事件後、日本航空の調査により、「心身症」という理由で、10数人のパイロットの乗務が強制的に中断させられている。乗務を止めさせなければ、この類の殺人事件が10数件続いた可能性が高い。また、スチュワーデスの組合間の諍いで、乗客に塩辛いスープを出したり、有力者や国会議員の縁故採用が多い。暴力団安藤組組員(やくざ)だった安部譲二はパーサーを勤め、普段は組の代紋を付け、日本航空に出勤する時はマメに外していた。

 JL350便は、3年後の昭和60年(1985年)08月12日、高天原山系に属する無名の尾根(後に御巣鷹の尾根と命名)に墜落したJL123便と共に欠番である。日本航空は、潰して、社名の方のJALやJLを欠番にすべきであった。

 何と、この忌まわしい日本航空による殺人事件の日に羽田で操縦桿が作動しなくなる事故が発生している。日本航空に、国税を掛ける意味などない。高病原性ウィルスより危険である。OBを含め企業年金分は全て返上させ、国民の安全のため、完膚なきまでに叩き潰すべきである。

日航機が操縦桿故障で緊急停止 羽田空港 < 2010年2月9日 15:11 >

 9日午後、羽田空港に着陸した「日本航空」の飛行機が、操縦桿が故障したため滑走路で緊急停止した。

 9日午後1時30分過ぎ、羽田空港に着陸した新千歳空港発の日本航空510便が、滑走路から誘導路に進もうとした際、油圧系統のトラブルのため操縦かんが利かなくなり、緊急停止した。日本航空などによると、この飛行機には乗客・乗員計294人がいるが、ケガ人はいない。乗客は現在も飛行機に乗ったままとなっている。

 日本航空は詳しい故障の原因を調べている。


羽田沖日航機墜落事故 (朝日文庫)

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  • 作者: 三輪 和雄
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞
  • 発売日: 1993/11
  • メディア: 文庫




最後の30秒―羽田沖全日空機墜落事故の調査と研究 (1972年)

最後の30秒―羽田沖全日空機墜落事故の調査と研究 (1972年)

  • 作者: 山名 正夫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1972
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空白の五秒間―羽田沖日航機墜落事故 (新風舎文庫)

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  • 作者: 三輪 和雄
  • 出版社/メーカー: 新風舎
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 文庫




幻の滑走路―弟清二と羽田沖墜落事故

幻の滑走路―弟清二と羽田沖墜落事故

  • 作者: 片桐 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1983/01
  • メディア: −


小泉純一郎の犯罪歴と精神分裂病が統合失調症に改称された理由

 小泉純一郎という、電通という反日広告代理店を使い、B層と呼ばれる愚民を操る小泉劇場と呼ばれる政治を行った首相がいる。郵便局を民営化にしただけで、「改革」とは名ばかりの対米追随反日政治を竹中平蔵と画策した。小泉純一郎が就任して以来、自殺者数は、歴代首相中1位。自殺者数は過去最大で第1位。会社倒産件数歴代1位。百貨店のトップであったダイエーが倒産。銀行は軒並み倒産。倒産件数は激増。最悪の不況をもたらした。

 朝鮮の帰化人だといわれている。祖先の血のなせる技で、過去に2回強姦事件で告訴され、精神分裂病で措置入院を受け、愛人を変態セックスで殺したと言われる。こういった気違いが総理大臣を務めた。

 昭和42(1967)年04月、慶応大学の学生だった小泉純一郎は女子大生を強姦しようとして神奈川県警に逮捕されたこのときに、小泉純一郎は、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ。」と言った。この婦女暴行事件を起こした直後に、小泉純一郎は、片桐清二、佐川一政など措置入院の精神病院で有名な都立松沢病院に入院。診断名は「精神分裂病」で、2ケ月間強制措置入院と思われる。04月から06月まで入院して退院。その後、07月07日にほとぼりを冷ますために、羽田を出発からロンドンに留学という名目で日本を離れた。慶応大学には休学届を出した。公開プロフィールには、慶応大学卒業後留学と書いているが、これは嘘で帰国後に卒業している。

 昭和52(1977)年08月25日、青山学院大学4年だったエスエス製薬の元会長泰道照山の孫宮本佳代子さんに東京赤坂のレストランで見合い。翌日の昭和52年08月26日、早速2人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見た後、小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?」彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ。」と一言。小泉純一郎は、「それで決まりましたね。」会ってわずかの2日目である。翌年の昭和53(1978)年に結婚。小泉孝太郎、小泉進次郎などを産んだが、4年後、結婚は破綻。家庭内暴力を小泉純一郎から受けた。出て行くと決めたあとに、小泉純一郎が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追わず、来るものは拒まずだな。」の一言だった。小泉純一郎は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。

 平成4(1992)年05月12日午後03時、小泉純一郎の愛人、新橋芸者小はん(本名:奥貫浩美)(31)が東京都港区三田の彼女の豪華マンションで絞殺死体で発見された。死亡推定日は09日、小泉純一郎には、サドの変態セックスの性癖があり、女の首を締めてセックスをしていた。佳代子も夜の営みの時に首をしめられていた。自殺で片づけられたが、飯島勲らが隠蔽工作をしたと噂されている。そのため、飯島勲は周囲に小泉純一郎は自分に頭が上がらないと吹聴している。

 小泉純一郎の個人情報を隠蔽するため、小泉内閣になってから小泉純一郎および飯島勲は、個人情報保護法案をまとめた。この個人情報保護法で世の中が良くなったという話を聞いたことがない。不便になり、人間関係がギクシャクしてきた。また、小泉内閣になってから、「精神分裂病」という病名は、「統合失調症」という曖昧模糊な名称になった。

http://www.pressnet.tv/release/6558
posted by cnx at 22:26| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
・当時、学校では同じ苗字の子に「機長」という仇名がついてしまい、問題になりましたよね。

・統合失調症を「気ちがい」という差別用語で評するのは、止めていただけないでしょうか。「気ちがい」は、精神医学の診断基準である「ICD」や「DSM」にそんな表現はありません。
 敢えて言うならば、古い時代の東洋医学には「気ちがい」という診断概念が存在し、「お血(血流が滞ること)によって情緒不安定を来たすこと」と説明されています。
Posted by タカちゃん at 2011年05月09日 06:15
 まず、言葉狩りは止めていただけませんか。

 中世、最先端は別にして、西洋では医者は床屋の副業だし、日本でも、身体に欠陥があったりして、肉体労働のできない者か就く職業でした。そのような賤業を生業としていないので、いきなり略語を羅列しても理解しかねます。略語を書いた場合は、何の略語か説明するのが常識だと思います。ICDとは、国連の1機関、世界保健機関 (WHO)が決めた「疾病及び関連保健問題の国際統計分類 (International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」、DSMとは、 アメリカ精神医学会という1学会が定めた「精神障害の診断と統計の手引き(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」のようですが、東洋医学だとか、そんなことはどうでも良いし、どうして、医学の用語を使わなくてはならないのでしょうか?東大医学部の東大教授を含め、同窓に何人もの医者がいますが、医者と付き合いたくはありません。医者は自分は偉いと思っているようですが、周りは常識のない馬鹿だと思っています。そのため、医者は医者だけとしか付き合いがありません。

 さて、「気違い」とはれっきとした日本語です。「統合失調症(schizophrenia)」は古代ギリシア語のσχ&#943;ζω (skhiz&#333;, “I tear, split, cut”) + φρ&#942;ν (phr&#275;n, “mind, brain, diaphragm”)を語源として、脳味噌を破壊したとか、かなり酷い意味で、日本語の「気違い」の方が、かなり婉曲で患者に配慮した言い回しです。「盲ら」なども、英語では(blind)で日本語の方が慎ましやかです。言葉狩りは、日本語を壊そうとしている特定亜細亜と鬼畜米英、猶太の陰謀です。どうして、「気違い」は駄目で、「crazy」や「mad」は良いのか納得のいく説明ができますか?

 検索で1年も前の記事のアクセスだけが増えるのも考えものです。この記事は閲覧禁止にしようかとも思っています。
Posted by cnx at 2011年05月10日 21:25
 「小泉純一郎の犯罪歴と精神分裂病が統合失調症に改称された理由」を追記しました。精神分裂病で措置入院や殺人まで犯した小泉純一郎が首相の権力を使って、名前を変えたそうです。
Posted by cnx at 2011年06月22日 15:38
この記事でなぜ小泉首相批判になってしまったのでしょうか?
Posted by サーファー at 2013年03月13日 16:01
統合失調は自覚されにくい疾患です
片桐元機長は自分がフライトに支障をきたすほど自分の病が危ないという自覚が持てなかったのではないでしょうか?
私は何百人もの統失の患者さんに出会いましたが自分から異常に気づいて精神科の門をたたいたのは数百人に一人いるかいないかです。
周囲が異常に気付いたら即精神科の専門的な診断を受けるべきだったはずです。
片桐元機長が故意に人を殺そうとしたのではないと私は感じていますが何故殺人などと書かれるのでしょうか?
宅間守元死刑囚の様に刃物や武器をもって直接人を刺し殺すだの他人様の家に勝手に入って行って赤ちゃんをベランダから投げ落とす精神疾患患者とは別なのではないですか?
機関士の方や副操縦士の方もかわいそうです
誰がなんと言おうと私はDC8機コックピットの乗務員の味方です
忌まわしき精神疾患の被害者である元機長とやめてくださいと必死に立て直しを図った副操縦士 機関士の方の努力に敬意を表します。
これは殺人事件ではありません。
病気による事故です。

わたしは元准看護師ですが統合失調の疑いで現在も精神科に通院し薬なしでは生活不可能です。
最近は自覚が持てて自分は精神を病んでいると納得したうえで治療に取り組んでいる40代です。
発病は5歳でした。幻覚と妄想で集団教育になじめず引きこもりのいじめられっこでした。
のちにわかったのですが自閉症とADHDの診断も加わりました。
日航123便事故の映画を見て叩きのめされる機長の家族がとても気の毒でした。

殺人ではありません。
乗客を死に至らしめたのは病気と言う犯人です。
わたしは現在コックピットにいた乗務員の現状が気になります。
苛められてはいませんか?責め立てられていませんか?
いやがらせはあるのですか?
もしも困ったら私にメールください。
いつでも相談に乗ります。
わたしは元精神科の病棟看護の業務をしたことがあります。
無資格ですがカウンセリングをしてきました。
困ったらいつでもわたしにsosメールして下さい。
わたしが悩みを聞きます。相談に乗ります。
出来る限り皆さんを弁護します。
一人で悩まないで下さい。
わたしは味方です。

Posted by 高橋弘美 at 2015年07月06日 15:27
イッツコム: 東急沿線のケーブルテレビ(CATV )から、南雲
1行中傷コメントを送ったので、イッツコムからはコメント禁止。

反対意見は良いが、意味のない中傷は不要。お互い時間の無駄。
Posted by cnx at 2015年12月23日 16:25
工作者みたいなのが来ていますね。
あまり相手になさらないのが正解です。こうした本質に切り込む記事は、潰しがいがありますので、おかしな連中が金に釣られてやってくるものですよ。

言葉狩りや被害者感情がどうのこうのと言ってまぜっかえしたいのです。工作者なら明らかに有罪ですが、庶民や消費者の立場で無自覚にこれをやってしまう人間もいる(まあある程度洗脳されてしまってるのでしょうけど)。
例えば東日本震災では、20kmゾーンの写真を上げると、「被害者感情を考えろ」という蛆虫(敢えてこう言いたい)がワラワラと涌いてきました。
真実を意図して隠す人間は、間違いなく「害虫以下」の存在です。
Posted by 無題 at 2016年05月12日 22:55
被害者遺族からすれば無念極まりないだろうな。
日本にもダバオデススクワッドみたいに必要仕事人の様な組織が必要だろう
Posted by 怒 at 2016年11月21日 14:49
私は精神病で軽い統合失調症なのですが、機長みたいな症状出たことない診断書にも書かれたかなりの軽度です
なので統合失調症全てをキチガイと書くのはやめていただけませんか?
今とてつもなくショックをうけました
6つの病気患ってますがどれもかなりの軽度だけど、やはり傍から見たら精神病の私はキチガイなのかと悲しくなりました。
Posted by もふのふ at 2017年01月26日 14:54
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