2011年01月31日

ミスル(エジプト)での反政府暴動に伴う略奪と正倉院



 チュニジアの革命がミスル(مصر、エジプト)に飛び火した。

 アフリカはミスルにしか行ったことがない。貧相な空港に着くと、日本のODAのバラ撒き団体に勤める後輩が、オンアライバル・ビザの申請場所、つまり、パスポートチェックの前まで迎えに来た。係官が日本人の女にいかにも賄賂を欲しげに、切符を勿体を付けて、貼っていたので時間が掛かった。そんなこんなで散々待たされたので、後輩が堪り兼ねて中まで入ってきたのだった。早くしろと彼が言ったら、すぐにビザが出た。荷物も係官に言ったら、外交特権なのか?フリー。何て国だというのが第一印象。後輩は仕事があるので、運転手と観光に出掛けたが、駐車すると、必ず、どこからともなく貧乏人がやってきて、バクシーシをねだる。路上に縄張りがあるらしい。あるときは、癩病らしく鼻がもげているのまでやって来た。運転手が言うには、バクシーシを渡さないと、車に何をされるかわからないし、渡すと車を見てくれるらしい。一種の福祉になっているわけだが、実に面倒で煩雑。とんでもない国だと感じた。

 フスハー(正則アラビア語)ではなく、ミスル・アンミーヤ(アラビア語エジプト方言)。「いいえ」は「ラー」はフスハーと同じだが、「はい」に当たるミスル・アンミーヤは「アイワ」で、当時はまだ、吸収消滅していなかったソニーの子会社のブランドの「アイワ」の看板がカイロ(カーヒラ、القاهرة ; al-Qāhira、エジプト方言ではカーヘラ)ではよく見られた。ナイル河沿岸以外はすぐ砂漠なので砂煙と排気ガスの首都である。車のナンバーでアラビア数字(算数の時間に習ったのとかなり違うのもある)を覚えた。

 当然、考古学博物館にも出掛けたが、この時は、タクシーで1人で行ったのでゆっくり見れた。確か冷房などなく暑かったのを覚えている。ミイラは全部見たはずで、今回破壊されたのも見ているはずだ。アメリカがバグダッドに侵攻したときもメソポタミア文明の遺物が略奪されたが、これらに比べると、正倉院御物などは、756年(天平勝宝8年)に収められてから、戦国時代などの戦火を越えて、足利義満や織田信長などが蘭奢侍を切り取ったりはしたが、1255年も大した略奪や盗難にも遇っていない。奇跡としか言いようがない。ミスルなどと比べるのが笑止なのかも知れないが、日本というのは明らかに他の世界とは異なる1つの文明世界である。



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