2011年02月04日

老醜若作りムバーラクと外国人排斥


 アルジャジーラで、「エジプトは7千年の歴史があり、知恵で解決‥」とか言っていたのでびっくりした。メソポタミアとまあエジプト文明は現代の人類の文明の起源には違いないが、せいぜい5千年。ギザの3大ピラミッド
の古王国からなら、4千年ちょっとしか経っていないではないか。中華思想も甚だしい。ジプシーという言葉は、エジプシャン(エジプト人)を由来する。

 エジプト第2中間期に、ヒクソス、第3中間期、末期王朝では、ヌビア、アッシリア、アケメネス朝ペルシャに制服され、プトレマイオス朝はアレクサンドロスの配下の武将が作った王朝である。その後、ローマ帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国のウマイヤ朝、アッバース朝、トゥールーン朝・イフシード朝、ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝のアラブに支配され、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征でフランス、オスマン帝国のトルコ、ムハンマド・アリー朝、そしてイギリスの保護国と枚挙の暇がない。古代の言葉もアラビア語に置き換わり、民族もかなり入れ替わっている。

エジプト初期王朝時代(第1〜第2王朝)BC3150〜BC2686年
エジプト古王国(第3〜6王朝)BC2986〜BC2181年
エジプト第1中間期(第7〜第10王朝) BC2181〜BC2040年
エジプト中王国(第11〜12王朝) BC2040〜BC1663年
エジプト第2中間期(第13〜第17王朝)BC1663〜BC1570年
エジプト新王国(第18〜20王朝)BC1570〜BC1070年
エジプト第3中間期(大司祭国家、第21〜第26王朝)BC1069〜BC525年
エジプト末期王朝(第27〜第31王朝)BC525〜BC332年
プトレマイオス朝 BC332〜BC30年

ムハンマド・ホスニー・ムバーラク(محمد حسني مبارك Muhammad Husnī Mubārak, 1928年05月04日〜)

 空軍の将軍で、1981年10月にサーダート大統領が暗殺された後、大統領として、ミスル(エジプト)の権力を30年近くも握っている。かつては親ソだったが、親米、親イスラエル。なんと、82歳でもうすぐ83歳。整形を繰り返し、染髪し鬘ではないか。若作りして権力にしがみつく爺は醜い。全く関係ない外国人を襲撃して、治安に不安を抱かせ、ムスリム同胞団をアルカイダのようなテロリストとして不安を煽っている。小沢一郎、菅直人、江田五月、鳩山由紀夫、お前らのことを言っているんだよ。100万人で国会をかこみ、民主党、自民党、社民党、公明党、共産党‥と既成政党を全て否定したい。

http://ameblo.jp/fifi2121/
2011-02-03 13:23:34
エジプトの夜明け〜ムバラク支持派の正体

なぜ今頃になってムバラク支持派がメディアへのアピールを始めたのか。
ムバラクはこの長きにわたる独裁政権において今まで副大統領とゆうポジショニングを設けてこなかった。これはムバラクの前のサダト大統領(これまた親米政権)が軍のクーデターによって射殺されたのが副大統領を含めた幹部の陰謀によるのではないかとの見方があり、自分も同じように暗殺されることをおそれてきたから。
それが今回のデモを受けて1月29日、突然スレイマンという人物を側近として副大統領に任命した。このスレイマンという人物は何を隠そうエジプトの秘密警察を束ねる内務省長官でCIAとの繋がりも深い、もうお気付きだとは思いますが、そう、デモが開始され一週間以上も経つこの時期になぜ、突然ムバラク支持派が現れた謎がとけますよね?しかもこの数日アメリカとスレイマンが電話でやりとりもしているこのタイミングに。日本のメディアでも触れていますが、ムバラク支持派の人が秘密警察のIDを所持しているとの情報がありますが、つじつまが合うわけですよ。
ムバラク反対派が100万越えでデモしている中にだれが好きこのんで突っ込んできますか?はぁ、本当にエジプトの政治は腐敗している。自分の支持なんてものは金で買えると信じてるんですよ。まぁ、実際これまで賄賂で回してきた行政ですから。それがこんな時に露骨にでちゃうと、世界にその汚職の仕組みを見せているようで情けないですよね。
なんだかムバラク支持派の持っている真新しい垂れ幕やプラカードは個人が作ったとは思えないクオリティだったし、何よりムバラクの写真うつりが良すぎだし。本人がチョイスしちゃってんのかなと思わせるほどで。

 しかし、1997年11月17日午前09時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷近くにある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた少なくとも6名(もっと多かったという証言もある)のテロリストが、守衛を襲撃した後、無差別に火器を乱射し銃弾がなくなると短剣で襲ったルクソール事件を忘れてはならない。新婚旅行客を含むスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。

 エジプトに限らないが、外国に滞在するというのは、いつ殺されるかわかったものではない。理不尽な死の危険性が高くなる。パキスタンが実効支配しているスカルドゥという町にわざわざ行ったことがある。フンザやギルギットはインダス河の支流のフンザ川沿いで、その本流のインダス河の上流部、ナンガパルパットの奥、K2やガッシャブルムの手前の場所である。ここから、ナンガパルパットまで続く標高4000mのデオサイ高原まで馬で登り始めていたとき、ちょうどパキスタンの独立記念日で、小学生が行進してやって来た。高揚している小学生は持っていたパキスタン国旗を馬の鼻面に近づけたので、馬は驚いて、危うく落馬するところだった。外国人排斥とはいわないにしても、それに近い状態だった。結局、デオサイ高原まで馬では怖いので、ジープで登った。

posted by cnx at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | Ar | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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