2024年07月29日

生命と健康を奪い生き血を啜る人類の敵の馬鹿気違い鬼畜 日本人1億2千万人を総実験動物化 九族誅殺すべき一族 その7 武見一族

黒リボン.png支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その1 河野一家
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支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その1 河野一家

支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その2 二階一家
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支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その2 二階一家

特亜の賣國奴利権政治屋 九族誅殺すべき一族 その3 中村一家
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特亜の賣國奴利権政治屋 九族誅殺すべき一族 その3 中村一家

アメリカの犬、支那の犬、罪務省の犬 蠻族賣國奴 九族誅殺すべき一族 その4 岸田一家、その5 宮澤一家、その6 林一家
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アメリカの犬、支那の犬、罪務省の犬 蠻族賣國奴 九族誅殺すべき一族 その4 岸田一家、その5 宮澤一家、その6 林一家

武漢コロナウィルス旗.jpg 令和01(2019)年12月に支那の武漢から本格的に感染を広めた重症急性呼吸器症候群は、重症急性呼吸器症候群(SARS)コロナウイルス2(severe acute respiratory syndrome coronavirus 2、略称: SARS-CoV-2)によって引き起こされ、令和02(2020)年に世界的大感染、パンデミック(pandemic)となった。数十億人がこの病気に感染し、最終的に数百万人が死亡した。現在も増えている。人間の生命と健康を奪い生き血を啜る悪魔の反人類組織世界保健機関(World Health Organization、略称: WHO)は、パンデミック宣言を出し、統制ファシズム社会を作り出した。

 これで生き血を啜り、味をしめた悪魔は、今再び、プランデミック(plandemic)で日本人の生命と健康を奪い、1億2千万人を実験動物として使う計画を着々と進めている。その先兵の悪魔の1匹が、武見敬三(72)である!!


 この10月に自己増殖型mRNAワクチンのレプリコンワクチン(コスタイベ筋注)の実験動物として日本人を使い始める!!開発国のアメリカでは治験なし。ヴェトナムでの人体実験で接種者8059人中5人が死亡で不承認!!!!マスゴミは04月13日、05月31日の反WHOの数万人規模のデモを報道せず、封殺している(次回は09月28日)!!1秒も早く病原菌撲滅し、癌細胞を剔出しなければ日本人の生命と健康が損なわれる!!!


「レプリコン・ワクチン」になぜ懸念の声?mRNAが自己増殖し長期間の効果に期待、だが承認は日本のみ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82985
2024年10月から「定期接種」に
 新型コロナウイルスのワクチンは、全額を公費負担とする「特例臨時接種」として2021年6月からスタートしました。厚労省のデータによると、2024年3月末までの接種回数は延べ約4億3619万回。全人口に対する1〜3回目の接種率は、80.4%、79.5%、67.1%と高い割合を記録しました。製薬企業の「ファイザー」「モデルナ」といった言葉が、連日のようにニュースとして流れたことを多くの人は忘れていないでしょう。

 全額公費負担のワクチン接種は2024年3月末で終了し、2024年10月からはコロナワクチンの「定期接種」が始まります。定期接種とは、季節性インフルエンザのワクチンなどと同じように、費用の一部を利用者が自己負担する接種のことです。対象となるのは、@65歳以上の高齢者、A60〜64歳で重症化リスクの高い人。それ以外の人は完全に「任意接種」となるため、全額を自己負担せねばなりません。

 この定期接種では、新たに「次世代型mRNAワクチン」も使用されることになっています。「レプリコン(自己増殖型)」とも呼ばれるこの新型ワクチンには、一部の医療関係者などから接種に懸念も示されていますが、いったい、どんなワクチンなのでしょうか。

 この次世代型mRNAは2023年11月、他国に先駆けて日本で初めて承認されました。2024年8月末現在でも、世界で唯一の承認国です。認可を受けたのは、米国のバイオ企業アークトゥルス・セラピューティクス社が開発したもので、日本では明治ホールディングス傘下のMeiji Seika ファルマ社(東京)が製造・販売権を取得。「コスタイベ筋注用」の名称で販売されます。
 Meiji Seika ファルマ社はこのワクチンを福島県南相馬市の施設で生産するほか、2028年の稼働を目指して神奈川県小田原市にも新工場を建設します。

一般社団法人日本看護倫理学会
【緊急声明】新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために
https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf

WHOから命をまもる国民運動
https://anti-who.jp/



パンデミック条約反対でデモ―東京・池袋
2024年04月13日19時52分配信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041300474&g=soc
 新型コロナウイルス感染症対応の教訓を踏まえて世界保健機関(WHO)が5月の総会での採択を目指す、権限強化などに向けた「パンデミック条約」に反対する市民のデモが13日、東京・池袋で行われた。スタート地点の東池袋中央公園は参加者で埋め尽くされ、沿道にも多くの支持者らが集まった。
 デモ行進は「パンデミック条約 IHR(国際保健規則)改定反対」の横断幕を先頭に、午後2時にスタート。「ワクチンが任意である日本の主権を無視して、接種を強要するWHOに強く抗議する」として、参加者は「健康を人質にしたWHOの横暴を許すな」「政府は条約の情報を国民に開示せよ」などとシュプレヒコールを上げ、駅周辺の通りを練り歩いた。

パンデミック条約反対運動について
https://www.risk-megane.com/%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E7%9C%BC%E9%8F%A1/7013/
世界中に混乱をもたらした新型コロナウイルスの感染拡大への対応を鑑みて、世界保健機関(WHO)では5月の総会でパンデミック条約の採択を目指しています。
しかし、パンデミック条約に反対する人は多く、4月13日には東京都で反対する市民によるデモが行われました。
パンデミック条約反対運動とは何か、解説します。
パンデミック条約とは?
パンデミック条約反対運動の内容を知るためには、まずパンデミック条約が何かを知らなくてはいけません。
パンデミック条約の内容について、解説します。
パンデミック条約は、2020年から感染拡大を続けていた新型コロナウイルス感染症、COVID-19のパンデミックへの対応を参考として、今後同様のパンデミックが起こった時の予防や備え、対応を強化するための国際協調の仕組みや規範を定めた法的文書です。
新型コロナウイルスは世界中を混乱の渦に叩き込み、多くの人命を奪いました。
コロナ禍において浮き彫りになったのが、脆弱な立場にある人の保険医療サービスの格差です。
将来、再びパンデミックが起こった時にどう対応するか、政府や地域、社会などのステークホルダーが万全の備えをしておくことで、子供の健康への権利の実現にもつながるのです。
2022年2月以降、条約の国際的な合意に向けて今まで7回の政府間交渉会議を中心とした議論が行われており、日本は西太平洋地域の代表として進行役や共同副議長を務め、建設的な交渉プロセスに貢献してきました。
日本は、国際的な規範や規則の強化が必要であり、可能な限り多くの国が合意できるよう普遍性を確保することが重要というスタンスを表明しています。
セーブ・ザ・チルドレンは、2つの政策概要を発表してパンデミック条約による子供たちの健康への権利の実現を訴えています。
パンデミック条約では、保険システムの強靭性とキャパシティ、保険医療人材、コミュニティ参加、資金調達の4点の重要性を提言しています。
子供たちの健康安全保障を確立するためには、保険医療サービスの提供が必要となるでしょう。
条約の信頼性と正当性が構築されれば、健康危機における予防や対応、備えのための政策も多くの人に受け入れられるようになり、条約が各国に批准されて施行される可能性が高くなるとも示しています。
2022年9月には、公聴会にすべての人の人権が守られるという原則や、強靭な保険システムを確立することの重要性を訴える動画を提出しています。
また、2023年11月には公正な医薬品アクセスの確保や病原体情報へのアクセスと、医薬品開発の利益配分に関して積極的な措置が取られることを求めているのです。
なぜ反対運動が起こるのか
COVID-19には多くの人が苦しめられることとなったため、今後同様の感染症が発生した場合に備えておくことは重要でしょう。
しかし、なぜ反対運動が起こっているのでしょうか?
2024年5月に国会で採択されることが決まっている中、4月13日には東京都池袋でパンデミック条約の国際規則に反対するデモ集会が開かれ、全国各地から1万人以上が集まりました。
反対する理由として、条約に批准することが決まれば今後は世界的な公衆衛生上の脅威が発生した際にWHOが持つ権限は大幅に強化される恐れがあるという点があり、ワクチン接種などの感染症対策を、国家よりも大きな機関から押し付けられてしまうことが懸念されているのです。
多くの人が疑いを持っているのは、マスコミが詳細を報道していないことが原因です。
一般的なメディアでは、パンデミック条約が可決した場合はどうなるのかを報道していません。
例えば、注射を強制接種させられること、反対意見を述べた場合に罰則がある事、自治体ごとに異なっていた緊急事態宣言に対する対応を統一すること、政府より国際機関の命令が上位となることなどが、報道されていないのです。
大切な内容を隠したまま可決したとしても、もう覆すことはできません。
場合によっては、日本を実験場にするための条約ともいわれているのです。
不安を抱えたまま、黙って条約の可決を見守ることはできないという人が、反対運動に参加しています。
COVID-19のワクチンでも、多くの人が副作用や後遺症に苦しんでおり、ワクチンが原因で死亡したのではないかと言われる人もいました。
しかし、パンデミック条例が可決された場合はさらに新たなワクチンを接種することになるかもしれないのです。
また、資金調達という項目があるのですが、どこから集めるかといえばやはり賛成した国からとなるでしょう。
つまり、日本国内では増税につながってしまう可能性が高いのです。
日本では、コロナ禍で「マスク警察」という新たな言葉が生まれました。
マスクを着けずに外出している人を、犯罪者のように罵る人が登場していたのです。
5類となり、マスク着用を推奨されなくなってからも、マスク警察はいなくなっていません。
また、学校などのコミュニティにおいては、マスクをつけない子供に対して石を投げる、いじめの対象にする、人殺しと呼ぶなどの被害も生じました。
少しマスクを外しただけなのに責められた、という子供もいるのです。
教師も子供たちの対応について咎めず、むしろマスクをチェックさせる委員を決めることで推進していたケースがあります。
パンデミック条約が可決された場合は、再び学校で同じことが起こらないとも限りません。
条約が可決した場合は、ワクチンの接種記録がなければ海外に行けなくなるなどの処置があるかもしれません。
問題なのは、摂取するワクチンを決めるのが日本政府ではなく、WHOという点です。
WHOが定めるワクチンの接種義務は世界共通となるのですが、日本と欧州、米国では対応が異なるはずです。
画一的に摂取を義務付けられるのは、おかしいと思わざるを得ません。
日本人は同調圧力に弱いといわれていますが、きちんと自分の意見を持って反対運動をする人も少なくないのです。
距離があったり、タイミングが悪かったりして参加できなかった人も少なくないはずなので、実際にはもっと多くの人が反対していると思われますが、国会に反対の声は届くのでしょうか。
まとめ
WHOが定めるパンデミック条約について、日本でも条約に批准することを5月の国会で可決すると言われていることで、4月13日に池袋で反対集会があり、デモが行われました。
COVID-19の感染拡大が世界規模での問題となったことは記憶に新しいのですが、今後パンデミックの恐れがある時はWHOが各国政府よりも上位の命令権を持つことになるのが不安、という人が集まったのです。
反対する国民の声は、無視されることなく届くのでしょうか。



「レプリコン・ワクチン」になぜ懸念の声?mRNAが自己増殖し長期間の効果に期待、だが承認は日本のみ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82985
一般社団法人日本看護倫理学会
【緊急声明】新型コロナウイルス感染症予防接種に導入されるレプリコンワクチンへの懸念 自分と周りの人々のために
https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf

Plandemic: Exposing the Greed, Corruption, and Fraud Behind the COVID-19 Pandemic (English Edition) - Fife, Dr. Bruce
Plandemic: Exposing the Greed, Corruption, and Fraud Behind the COVID-19 Pandemic (English Edition) - Fife, Dr. Bruce

 意外にもあまり知られていないが、江戸時代において、広大な面積の陸奥、江戸を含む武蔵の2百万人規模に次ぐ国は、1百万人規模の人口を誇ったのは越後だった。戦国時代、越後は越後守護代の三条長尾家の領国で、長尾景虎(後の上杉謙信)(49没)が関東に容喙し北条氏康(56没)と戦端を開き、信濃の川中島で武田晴信(後の武田信玄)(51没)で無意味な消耗戦を演じることができたのも、米本位制であり、米どころの越後は経済的にも人口や戦争を支える余力があったためである。
うんこ.jpg 江戸に近く、農閑期の冬季には越後獅子などで首都の江戸に入り込み、如才ない者が輩出し、中央に影響力を及ぼした。

 近世以降、とりわけ越後長岡は、日本を破壊し、日本人の生命、健康、財産、矜持、文明を致命的に国益を損ねた鬼畜の賣國奴、河井継之助(41没)、山本五十六(59没)、田中角榮(75没)、武見太郎(79没)と腐れ外道の産地である。
 悪魔、日本破壊の癌として処断すべき奴らだが、マスゴミ、権力の洗脳工作により、毀誉褒貶が逆流させられている。


 今やこれら賣國奴の悍ましき末裔の武見敬三(72)が日本人の大虐殺を目論んでいる。

 上杉謙信の跡を甥の上杉景勝(67没)が継ぎ、慶長03(西暦1598)年01月、会津120万石に加増移封され、慶長03(西暦1598)年04月、堀秀治(30没)が福嶋藩30万石で入った。慶長11(西暦1606)年05月、急死した堀秀治の跡を息子で11歳の堀忠俊(26没)が継ぎ、慶長12(西暦1607)年、春日山城を廃し福嶋城に移った。実質的な政務は、三条藩主の堀直政(61没)が家老として引き続き取り仕切った。慶長07(1602)年、堀秀治の弟で越後蔵王堂城主堀親良(57没)は、堀直政と不和になり国政を顧みない堀秀治にも不満があり、病と称し京都伏見にあった亡父堀秀政(37没)の屋敷に出奔した。この時、家督を養嗣子の甥で堀秀治の次男鶴千代に譲り、蔵王堂城主にした。後に堀親良は下野国真岡に1万2000石に大坂の陣で奮戦し美濃国で5000石加増され、下野国烏山藩2万5000石に加増移封された。
 堀直政の次男(または三男)の堀直寄が鶴千代を補佐したが、鶴千代が早世して蔵王堂藩3万石が廃藩になり坂戸藩2万石に併呑され坂戸藩5万石を領有した。蔵王堂城は長尾為景の弟為重が築城した城だったが、信濃川の側で年々浸食が進んでいたので、上流の大島庄平潟原に築城の計画を立て、この地が長岡と呼ばれるようになった。
 慶長13(西暦1608)年に堀直政が死去すると、堀一族で内紛が起こった。は子に越後三条城主の堀直次(68没)とその異母弟の坂戸城主の堀直寄(62没)の2人がおり、藩の主導権をめぐって争い始めた。その争いは慶長15(西暦1610)年に入ると激化し、同年02月には徳川家康による裁断を受けることとなった。堀忠俊自身は堀直次を支持していたが、堀直次が浄土宗と日蓮宗の僧侶を争論させて、敗れた浄土宗の僧侶十名を処刑していたことが発覚し、これに徳川家康(73没)が激怒し、閏02月02日、堀忠俊は改易となり、陸奥岩城に流され、堀直次は改易の上、出羽最上に流刑、堀直寄は信濃飯山藩4万石に懲罰的な移封となった。(越後福嶋騒動)。
 越後長岡は高田藩領となり、藩主は徳川家康の六男(庶子)、松平忠輝(90没)で、母は茶阿局(72没)。新たに高田藩主となった松平忠輝の家臣山田勝重が蔵王堂城主になったが、高田城築城のため、任地を顧みる暇はなく、越後長岡築城は中断した。元和02(西暦1618)年07月、松平忠輝は慶長19(西暦1614)年の大坂冬の陣で江戸の留守居役を命じられた剛毅な忠輝には不満が残る命令であり、なかなか高田城を出発しなかった。これらの不行跡から兄の徳川秀忠(52没)により、改易を命じられ、後に伊勢国朝熊に流罪、信濃国諏訪の諏訪頼水に預け替えとなった。10月に外様大名の堀直寄が3万石を加増され8万石をもって古志郡の旧蔵王堂藩領に入封し越後長岡藩が立藩された。築城と共に城下町の整備も行い、外港の新潟町(新潟港、現在の新潟市古町付近)は交易や人口増加の事を考えて諸税を免除し、以後の発展の礎を築いた。
 堀直寄は、元和04(西暦1618)年、2万石の加増を受け、越後村上藩10万石に転封させられ、越後長岡城は完成目前で牧野忠成(74没)に引き継がれた。牧野氏は幕府の要職にあり、寛永07(西暦1630)年まで長岡に入国できなかった事もあり、明暦03(西暦1657)年の改正までしきたりと称し「堀丹後守御証文通り」として、堀直寄の制度をそのまま踏襲し、些かの不便も来さなかった。
堀直寄が越後村上に入部の際に、徳川家康より「百万石の禄を与える。」という御墨付きを所有していた。これを示して老中に百万石を請求をしたところ、老中は困り果てたが、百万石の「石」の字に虫食いがあるのを見つけ、「これは百万石ではなく百万両であろう、よって佐渡金山を向う3年取らすべし。」と下命して早々に立ち去った。これに怒った直寄はこの金で村上城を増改築し、士分の増員を行い、江戸の上屋敷に凌雲院を建て、不忍池を作った。後に居城の改築と士分の増員について江戸幕府の詰問を受けた。

 越後長岡隣接の越後国刈羽郡長鳥村杉平(現新潟県柏崎市東長鳥の杉平集落)で貧農の山上徳左衛門益平の七男として生まれた銀一(69没)という盲らがいた。盲ら女は瞽女(ごぜ)になり、盲ら男は鍼灸や按摩、そして琵琶などを弾き、生計を立てていた。銀一も片貝(現小千谷市)で按摩などを覚え、12歳あるいは17歳(あるいは18歳)で江戸に出てきた。「300文しか持たず吹雪の夜に奥医師石坂家3代石坂宗哲の門前で行き倒れていた所を助けられた。」と曾孫、勝海舟(75没、幼名: 麟太郎)の「氷川清話」にもある。石坂家3代石坂宗哲(竿斎(うさい))の生年は明和07(西暦1770)年、銀一の没年は明和08(西暦1772)年で、以降宗哲の名前を襲名した石坂宗圭などはその次代である事から年齢が合わない。3代石坂宗哲の養祖父の石坂家初代の石坂志米一(しめいち)(石坂宗権、源与一)か、養父の石坂家2代石坂宗鐵のどちらかである。
 石坂志米一は、越後の国小千谷の上杉家の家臣の家に生まれで幼少時に盲らになった。小千谷の当道座で按摩を学び、後に江戸に行き杉山流鍼治導引稽古所で鍼灸を学び、石坂志米一は杉坂かの一に師事した、杉坂かの一は島崎とえ一に師事、島崎とえ一は三島やす一に師事、三島やす一は杉山和一に師事し、徳川吉宗(66没)の時代の鍼医で検校(91番目)の地位にまで昇った。盲らの銀一が江戸へ出て来たのも石坂志米一の越後の伝手を頼ってのもので、話半分に聞かなくてはならない。最高位の検校から、別当、勾当(こうどう)、 座頭があり、さらにに組織は細分化され、70余といわれ、座頭の下には無官のものも多い。検校の名を手に入れるには千両が必要とされたというが、鍼灸や按摩の労働による収入だけでなく、座の分配金などで高位に付くほど見入りが多かった。特に、幕府公認で、大名や旗本に高利貸しが許された。
 銀一は、初めは石坂志米一(あるいは石坂宗鐵)に、後に嶋補検校について鍼を学び鍼医となった。また、銀一が石坂検校の屋敷の中間部屋に住んでいた時、そこで賭博の話を耳にすると、当時盛んに賭博場が開かれていた幕臣の邸宅に赴き、そこで利殖の才を大いに発揮して富を築いた。 石坂志米一(あるいは石坂宗鐵)から1両2分の資金を借りて盲人に許されていた高利貸しで成功し、巨万の富を得て、江戸府内17箇所の地主となり、朝廷より盲官の最高位検校を買官し「米山検校」を名乗り大名貸も行うほどになった。米山検校銀一は 明和06(西暦1769)年に旗本男谷(おだに)家の株を買い、「男谷検校」と呼ばれた、六男信連(新次郎)が水戸藩士(200石)となり、末子で九男信陵平蔵(忠凞、忠恕)に、安永05(西暦1776)年に男谷家の御家人株を買い与えた。江戸幕府の西丸持筒与力(御家人)となり、後に勘定に昇進し旗本(100石)となった。男谷平蔵の長男が彦四郎で、三男(庶子)が左衛門太郎(小吉)惟寅、勝海舟の父である。小吉は男谷平蔵(忠恕)の正妻に引き取られ、乳母に育てられた。銀一は末子の男谷平蔵に30万両を与えたと言う。三男の小吉は男谷家から勝家に婿養子に出された。勝家は小普請組(41石)という無役で小身の旗本で、天正03(西暦1575)年以来の御家人であり、系譜上海舟の高祖父に当たる命雅(のぶまさ)が宝暦02年(西暦1752)年に累進して旗本の列に加わったもので、古参の幕臣であった。 普請組で無役な小身旗本の勝家に養子に出した時に、祖父銀一の財産が使われたと思われる。男谷家は、平蔵が継ぎ旗本となり、次男で小吉の兄彦四郎思孝、その次は思孝の従甥で男谷忠之丞の子信友(下総守、剣聖・精一郎)が継いだ。男谷信友は、銀一の六男の男谷信連(新次郎)の子として生まれ、20歳の時に男谷平蔵の長男男谷思孝(ひろたか)(従叔父)の婿養子となった。勝海舟は血縁では従甥、系図上では従弟になる。

悪魔1.png 越後長岡から出た徒輩に武見一家も居た。熱心な教育者の武見可質(かしち)と初夫妻の4男1女の長男が武見太郎(79没)、次男が武見次郎、三男が武見三郎である。一家は太郎が誕生して間もなく上京し、東京の寺町の谷中に近い上野桜木町に居を構えた。
 武見日恕(にちじょ)は、越後長岡の武見一族の出で、武見太郎は甥である。下総飯高檀林で学んだ後、吉川日鑑に師事。明治07(西暦1874)年、師吉川日鑑に従い身延山に登った。武見日恕は、字は潮郁。号は深厚院。明治19(西暦1886)年に東京堀之内妙法寺の第29世住職、東京小石川に茗谷学園という寄宿舎を設け、東京に在学する日蓮宗の子弟や檀信徒に開放し、石橋湛山、綱脇龍妙、守屋貫教、加藤文雅らをそれぞれの大学や高校に通わせた。日宗十万人団結報恩会を結成して布教に努めた。親族を皆他宗から日蓮宗へと改宗させ、越後長岡に真浄寺(現住職: 武見潮裕)を開いた。大正03(西暦1914)年に越後長岡に真浄寺を開いた。大正05(西暦1916)年。千葉県の妙覚寺住職。武見太郎の成長を幼時より見守り、精神的にも大いなる影響を与えた武見日恕が: 大正06(西暦1917)年07月に死に、精神的支えを失った武見太郎は、中学3年の時、腎臓結核を患い、2年間の療養になった。
 武見太郎は開成へ復学することなく、慶應義塾普通部へ転校した、4年前に開設された医学部への進学の期待をこめての選択であった。大正11(西暦1922)年04月、慶應義塾大学医学部に入学、さらに本科へ進み、昭和03(西暦1928)に卒業した。在学中、武見太郎は仏教・法華経・日蓮(貫名氏、幼名: 善日麿あるいは薬王麿)(60歿)を積極的に学んだ。慶應義塾大に仏教青年会を作り、慶應義大学教授柴田一能(いちのう)(77歿)が設けた日蓮聖人讃迎会にも入った。義塾大学医学部卒業後、内科教室に入ったが、灰汁が強い武見太郎は教授との折り合いが悪く、博士号も取得できずに慶應義塾から追い出された。

 現在は和光市にある理化学研究所は昭和14(西暦1939)年当時, 理化学研究所は本郷駒込にあり、押しの強い武見太郎は、日本の現代物理学の父、仁科芳雄(60歿)研究室に通っていた。武見太郎は仁科研究室に入ったが、いわゆる正式の人事勤労資料には武見太郎の名前は記載なく、員数外で単に通っていた。仁科芳雄は東京帝國大学電気工学科を電気機械関係の卒論(Effects of Unbalanced Single-Phase Loads on Poly-Phase Machinery & Phase Balancing)で大正07(西暦1918)年07月09日に工科大学首席で卒業し、恩賜の銀時計を授与された。電気化学的方面の研究を行うことを決意し、翌日から理化学研究所(理研)の研究生となり、東京帝國大学工科大学助教授兼理化学研究所研究員の鯨井恒太郎の研究室に所属し、物理をやろうと思い始めた。同日、東京帝國大学大学院に入学し、それから東京帝國大学理科大学教授兼理化学研究所物理学部長の長岡半太郎(85歿)研究室で実験をしながら東京帝國大学理科大学(現東京大学理学部)で理科の講義を聴いた。
 仁科芳雄は、7年間にわたる欧州留学中、初代ネルソンのラザフォード男爵アーネスト・ラザフォード(Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson, OM, FRS)(66歿)、ジェームズ・チャドウィック(Sir James Chadwick, CH, FRS)(82歿)、マックス・ボルン(Max Born)(87歿)、ダーヴィット・ヒルベルト(David Hilbert)(81歿)、ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(典語: Niels Henrik David Bohr)(77歿)、ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg)(74歿)、ヴォルフガング・エルンスト・パウリ(Wolfgang Ernst Pauli) (58歿)、フェリックス・クリスティアン・クライン(Felix Christian Klein)(76歿)、 ポール・エイドリアン・モーリス・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac)(82歿)、チャールズ・ゴールトン・ダーウィン(Charles Galton Darwin. KBE MC FRS)(75歿)ジョージ・ガモフ(George Gamow、露語: Джордж Гамов, Гео́ргий Анто́нович Га́мов(ゲオルギー・アントノヴィッチ・ガモフ))(64歿)など、多くの功績者と親交がある稀有な物理学者であったが、日本の大学は認めず,、理化学研究所で一生を終えた。 当時の仁科研究室には、 朝永振一郎(73歿)、坂田昌一(59歿)、湯川秀樹(74歿)をはじめとして多くの俊秀が集まっていた。そこに武見太郎が正式な研究員でも嘱託でも助手でもないまま数年間を過ごした。時あたかも、 中性子や放射線による生物への影響に関する研究がちょうど行われ始めた頃であり、武見太郎は医者としての位置づけであった。
〒154-0012 東京都世田谷区駒沢1丁目2−6 武見敬三-1.jpg 昭和14年(1939)年04月、東京市銀座4丁目1番地(現東京都中央区銀座4丁目5番1号)教文館ビル(隣接する敷地には日本聖書協会が所有する「聖書館ビル」が建つ。松屋通り側入口および各階のエレベーターフロアを共有しているため一見すると1つの建物のように見える。)3階に武見診療所を開設し内科臨床医となり、週2回診察を行った、患者が自ら診療代を自由に決めて支払う方式であった。その当初から待合室に「現役の大将(戦時職務にある軍人)、大臣と老人(80歳以上の高齢な方)、急患(特に苦しい方)優先(次の人はすぐ診察します)」」を掲げた。政治家で武見太郎の患者は、「いくらでもいいと言われると、少額というわけにはいかない。ちょっと診てもらったら10万円ですよ。」と言っていた。昭和50年代の終わり頃の話である。
 武見太郎は、科学者、文人、政財界の重鎮と人脈を拡げ、幸田露伴(79歿)、西田幾多郎(75歿)、岩波茂雄(64歿)、・・。さらに、開業して2年後、子爵秋月種英(81歿)の次女英子(母利武子は内大臣牧野伸顕(のぶあき)(87歿)伯爵の次女、牧野伸顕伯爵の長女雪子(52歿)は賣國奴吉田茂(89歿)夫人)。牧野伸顕は、西ク隆󠄁盛󠄁(吉之介)(49歿)、木戸孝允(たかよし、桂小五郎)(43歿)と並ぶ「維新の三傑」の無法陰謀テロリスト、大久保利通(一蔵)(47暗殺)の次男。英子夫人は内大臣牧野伸顕の孫娘。牧野伸顕の長女雪子は吉田茂夫人という関係から賣國奴吉田茂の主治医を務めるなど政界とのパイプは太く、強い政治力に繋がった。賣國奴吉田茂に指示されて、高血圧症を患っていた賣國奴米内光政を往診した。賣國奴吉田茂からは「絶対に診察料を取るな。」と厳命されていた。賣國奴米内光政には「酒を適量なら飲んでも良い、」と言い、酒が好きな米内光政も「いい医者だよ。酒を飲んで良いと言ったからね。」と上機嫌だったが、既に賣國奴米内光政の病状が手の施しようがない程悪化し、賣國奴米内光政は肺炎で死んだ。なお「診察料を取るな。」と賣國奴吉田茂が厳命したのは岡田啓介(84歿)もいる。
 昭和19年(西暦1944)11月に長女昭子が生まれ、2男2女を儲けた。長男錠二、次男敬三、長女が昭子、次女和子(株式会社麻生会長の麻生泰(ゆたか)(78)の妻)。日本国憲法制定でGHQの走狗となった日本社会党衆議員、「日中友好協会」宮城県連合会長菊地養之輔(93歿)は、武見太郎と従妹、女性問題活動家、全国地域婦人団体連絡協議会会長、「日中友好協会」全国本部副会長大友よふ(83歿)は菊地養之輔の従妹で、武見太郎と親戚関係にある。

 武見太郎の親族を政治関係者で固め、敗戦後、中央区医師会、日本医師会代議員を経て、昭和25(西暦1950)年には日本医師会副会長に就任し、仇名の「喧嘩太郎」の悪名を轟かしていった。
 GHQ司令部がチフス菌の人体実験を敢行しようとした時、断固「否」と応え、「日本は戦に負けたが医学では負けていない。」と吠えた。しかし、この件でGHQから圧力が掛かり、一時日本医師会を追放された。
 7ヶ月後、副会長に復帰し、昭和32(西暦1957)年04月には日本医師会第6代会長となり、これより13期25年間の長きにわたり日本医師会のドンとしての活躍が始まり、殊に厚生省との対決し、健康保険の問題については凄まじかった。喧嘩太郎」と仇名されるほど常に攻撃的な態度で、厚生行政に医師会の意見を反映させた。

 公益社団法人日本医師会は、現在約17万人の医師会員を擁する職能団体で、日本医師会そのものは明治07(西暦1874)年に日本で医療制度が施行されてから存在したが、実際に組織として確たるものとなったのは、大正05(西暦1916)年に北里柴三郎(78歿)が会長となって組織を運営した以降である。現在の日本医師会は敗戦後の昭和22(西暦1947)年に新しく誕生したもので、我が国の医療行政に確固とした指導的な地位を保ってきた。何年か前に「昔陸軍、今総評」と言われたが、「昔総評、今医師会」に取って変わった。総評は労働者の団体であるが、医師会は組織上各都市医師会と府県医師会の連合体であるが、一方この組織の他に「日本医師会政治連盟」なる別組織を持ち、選挙の際には絶大な力を発揮してきた。日本医師会は圧力団体として政治的に君臨する。しかし、日本医師会は強制加入団体ではない。その組織率は令和01(西暦2019)年時点で全医師の約50%に止まっており、その総数は172763人。そのうち開業医が83368人、勤務医等が89395人と半々を占めている。厚生省と文部省は現場の方が役人や大臣より遥かに高学歴で知能、学識、経験、・・など上にあり、厚生省と文部省の役人や大臣など下に見て侮蔑している。

〒154-0012 東京都世田谷区駒沢1丁目2−6 武見敬三-2.jpg 武見太郎が会長になってから大きな問題がいくつも発生した。健康保険診療における制限の撤廃、医療報酬の改定のために、昭和36(西暦1961)年、昭和46(西暦1971)年に、保険医総辞退戦術で医師のストライキ(保険診療の拒否)を行わせるなど、医療保健行政における医師会の主導性の確立に努めた。昭和50(西暦1975)年アジアで初の世界医師会会長となり、東京総会を主宰した。
 武見太郎は、「今の医療制度で皆保険をやるのは、軽便鉄道のレールを全国に広げ、そこに特急列車を走らせるようなものだ。」と、医療機関の状況を、貨物を運ぶ程度の粗末な鉄道に喩え、「患者という乗客が殺到すれば、脱線・転覆してしまう。」と言った。武見太郎の信念は、反骨精神で立ち向かうことだった。 親族・閨閥に政治家が多いこともあって、医師会政治に加わり、政府の国民皆保険政策に対し,開業医の立場を強力に主張した。医師会系議員を動員し,政府の医療政策,健保行政に巨大な影響力を持った。
 「国民がわからなくても結構。」、「日曜日に病気になる奴が悪い。」などの発言から時代の悪役に仕立て上げられたが、開業医として人と人との触れ合いを重視する「地域医療構想」の実現の側面も少しはある。武見太郎の個性の強さは「喧嘩太郎」政治力、行動力で、日本医師会が必要以上の力を持ち、医療行政を捻じ曲げた。傲慢不遜なその態度はいつの場合でも「武見に押し切られた。」という印象が強い。

 武見太郎は、「クエン酸が世に広まったら我々医者や病院、製薬会社も廃業だよ。クエン酸が一番良いのはわかっているが、どこでも手に入る上に安すぎて商売にならない。医者が要らなくなって、とんでもないことになる。」と言った。私立精神病院大増殖の道を開いた武見太郎が私立精神病院のことを「牧畜業者」と批難した。私立精神病院から見れば「患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じ。」という意味である。世に悪徳病院、病院業者と悪評の立つ一部の精神病院と経営者は確かに存在する。
 晩年になり、武見太郎は、「入院してみて初めて患者というのは可哀そうな存在だということがわかったよ。」と少しだけわかり、「人類の永遠なる発展、真の幸福希求のためには医学と科学、精神文化との融合、すなわち生命科学の構築をしなければならない。」と訴えた。この発想は、「それぞれ違った能力・個性を互いに認め、積極的に共に生きていく。」という法華経の薬草喩品の教えで、銀座4丁目の聖書館3階には、公益財団法人生存科学研究所(〒104-0061 東京都中央区銀座4-5-1 聖書館ビル)がある。戦前は大学人から見放され、敗戦後はGHQに翻弄され続け、日本医師会の総責任者として厚生行政を壟断した武見太郎の「生存の理法」の綺麗事がある。

猛医の時代: 武見太郎の生涯 - 三輪 和雄
猛医の時代: 武見太郎の生涯 - 三輪 和雄



馬鹿気違い

馬鹿気違い燃ゆる者
狂気満てる奴ら
銀座の女給に現を抜かし
ともに歩くその姿
見るも浅まし
見よ低能の集う処
猥褻の意気高らかに
遮るものなきを
低能 低能
三田の色魔 低能


 武見太郎と英子の長男が武見錠二。昭和24(西暦1949)年に誕生し、妻は、衆議院議員江崎真澄(81歿)の長女江崎はと子。

武見敬三(72).jpg 次男が武見敬三(72)。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒、同大学院法学研究科政治学専攻修士課程、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。博士号も取れず、慶應義塾エスカレーター全路線終了。妻は、北海道瓦斯社長小泉英信(68歿)の長女小泉由美子。
 昭和62(西暦1987)年10月〜昭和63(西暦1988)年10月までテレビ朝日「モーニングショー」のメイン司会者。「CNNデイウォッチ」、「CNNデイブレイク」のキャスター。平成07(西暦1995)年に参議院議員通常選挙で初当選し、いわば世襲議員で日本医師連盟の推薦候補だが医学部にも行かず、医師免許もない。
 安倍晋三(67暗殺)内閣で厚生労働副大臣(雇用対策や児童、家庭対策などの担当)。武見敬三は、厚生労働副大臣でありながら、自身がメタボリックシンドローム。3選を目指し比例代表区から立候補したが、次点で落選。平成19(西暦2007)年11月、ディープステイト(DS)の悪魔養成の巣窟、米ハーバード大学公衆大学院及び日米関係プログラムの客員研究員としてDSの犬の烙印。上位当選者の義家弘介(53)が衆議院議員総選挙への立候補を理由に参議院議員を辞職し、繰り上げ当選で5年ぶりに参議院議員。 平成26(西暦2014)年、慶應義塾大学医学部客員教授。
 令和01(西暦2019)年、世界保健機関(WHO)のユニバーサルヘルスカバレッジ(UHC)の推進でDSの犬としてワンワンした功績で、DSそのものの大手情報サービス会社のブルームバーグの創業者、ニューヨーク市長の猶太マイケル・ブルームバーグ(Michael Rubens Bloomberg)(82)らと並び、世界で10人の世界保健機関UHC親善大使に任命された。
 
悪魔1.png 武見敬三は、平成19(西暦2007)年にG8北海道洞爺湖サミットで発足した「グローバルヘルスと人間の安全保障」運営委員会平成29(西暦2017)年12月の会合で、「UHCの主な資金源は、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation、B&MGF)」と暴露している。

 反人類組織WHOも資金はDSのビル&メリンダ・ゲイツ財団。日本を喰いものにし、財務省、厚労省を使い、その走狗の際たるものが、武見敬三。日本人の税金と日本人の金を使い、毒々米アークトゥルス・セラピューティクス社製、自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)をMeiji Seikaファルマに作らせて、日本人をモルモットにして、健康や生命を奪おうとしている。明らかに日本人大虐殺の核兵器3発目である!!!!
 レプリコンはアメリカで認証されず、ヴェトナムの唯一の人間への治験では、18人が死亡。スパイクタンパクを自己増殖し続けるため、これまでのワクチンよりも重篤な疾患を発生する事と、接種した人だけでなく、接種した人の呼気、汗に含まれる細胞外小胞エクソソームによる周囲への人達への暴露(シェデイング)の危険性が従来型ワクチンの100倍から1000倍と言われている。
 
 レプリコンを打たせるために、疫病を蔓延させ(プランでミック)、WHOによる国際保健規則(IHR)やパンデミック条約でワンヘルス(OH)で、全世界をDS猶太のファシスト統制世界に変えようと言う気違い沙汰の反人類の悪魔の所業。




 令和06(西暦2024)年09月17日、Meiji Seikaファルマの武漢肺炎自己増幅型mRNAワクチン(レプリコンワクチン)「コスタイベ筋注用」について医者でもない無能鬼畜が「安全性に問題なし。」と述べた。国立感染症研究所(感染研)と国立国際医療研究センター(NCGM)を統合した新たな専門家組織「国立健康危機管理研究機構(Japan Institute for Health Security、JIHS)を作り。役員に収まりかね感情をしている。

 鬼畜明治製菓は不買運動を受け工場は休止状態。社員は「売りたくない。」という悲痛な叫びが書籍になり、ベストセラー。
 レプリコン接種者は来店や来院お断りの店が増えている!!


私たちは売りたくない! ”危ないワクチン”販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭
私たちは売りたくない! ”危ないワクチン”販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭

 生命と健康を奪い生き血を啜る人類の敵の馬鹿気違い鬼畜、武見敬三(72)
 こいつの父、武見太郎は、敗戦後のG米HQ占領化に日本人へのチフスの人体実験に抗い、制裁を喰らった。世襲2世の次男の武見敬三は、医学部にも入れず、医者でもない。日本医師会の支援のいわば世襲参議院議員分際で、ディープステイ(DS)、人間の生命と健康を奪い生き血を啜る悪魔の反人類組織世界保健機関(WHO)の傀儡として、日本人をディープステイト(DS)に売り飛ばした鬼畜の賣國奴!!恥を知れ!!

 九族誅殺!!!!




 武見太郎の次弟、武見次郎(85歿)は、東海自動車入社。東海自動車取締役。伊豆運送社長静岡県トラック協会会長。妻は山田み和子(山田省三の三女)。長女は武見楳子(慶応義塾大学教授 西川武二の妻)、二女武見李子、三女武見周子(建材メーカー株式会社ノダ社長野田有一(75)の妻)。

 武見太郎の三弟、武見三郎は、電気化学。


歪んだ権威 密着ルポ日本医師会~積怨と権力闘争の舞台裏 - 辰濃哲郎, 医薬経済編集部
歪んだ権威 密着ルポ日本医師会~積怨と権力闘争の舞台裏 - 辰濃哲郎, 医薬経済編集部







 これだけ犠牲者が出ても、勇気ある地方の民放以外は報道しない。10月10日現在、テレビ愛媛もCBCも録画は破棄させられている。

 何しろ、国民の生命、健康、財産を奪う鬼畜の移民党・カルト党政府。この無能な病原菌のに対し、この40℃の酷暑中、岸田文雄(67)の落選運動の数百人規模のデモが数度にわたり、広島で起きているが、マスゴミは封殺して一切報じない。野盗なども寄生虫の売国奴のお仲間なので、何も触れない。

 これが日本の政治屋・マスゴミの主流、お前らは、血を啜る悪魔だ。恥などない人非人の腐れ外道ども、真っ先切って死んで地獄に堕ちよ!呪ってやる!!

悪鬼寂滅

九族誅殺

हां    ह्म्मां





バイデン_岸田840409.jpg






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