2025年04月07日

移民党首領にして非法治被占領地域利権酋長 悍ましい脳無し賣國妖怪石破茂(68)が敗戦日本の宿痾、「金環蝕」利権で産声  九族誅殺すべき一族 その9 石破一家

商品券石破茂.jpg移民党首領にして非法治被占領地域利権酋長 悍ましい脳無し賣國妖怪石破茂(68)

 悍ましい脳無し賣國妖怪石破茂(68)を出した石破家は、鳥取県八東郡大御門村(おおみかどそん)大字殿(との)(後の郡家(こおげ)町大字殿、現〒680-0443 鳥取県八頭(やず)郡八頭町郡家殿殿)の百姓。殿村は「外(と)の村」で、内の村からはみ出た所に外来人が住み着いた。中世にツングース系朝鮮族の侵入があったと思われる。殿村(現八頭町郡家殿)は、集落の半数が「石破」姓で、あと田中、福波など。農林業が基幹産業の寒村だが、鳥取県の県庁所在地鳥取市に近く15km南に位置する。
 百姓、石破常七とみやの長男が石破市造(66歿)で、市造は百姓と隼村役場、大御門村役場に勤め、山を拓いて二十世紀梨を栽培したり、御所柿を植えたり、養蚕などの篤農家で成功しなかったが、大御門村長に選ばれた。
 石破市造とマサ(51歿)の次男、二朗は、東京帝國大学法学部法律学科英法科を卒業し、内務省で警察畑を務めた。
 内務省の所管は地方行政・警察・土木・衛生・社会(労働)・神道で、道府県庁を直接の監督下に置く、内政・民政を担う行政機関であり、強大な権限の集中から「官庁の中の官庁」、「官僚勢力の総本山」、「官僚の本拠」であった。
 石破二朗は、社会(労働)、軍政から、敗戦後、戦災復興院、特別調達庁から、異例にも土木畑に転じた。昭和26(西暦1951)年には、建設事務官建設省監察官として公共事業費をめぐる不正事件(天狗橋事件)に関し衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。 ➡ 第12回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第6号 昭和26年10月30日 手取川は石川県の現白山市を流れて日本海へ注いでいる一級河川。石川と通称され、石川郡及び石川県の名称由来となっている。米占領下の昭和25(西暦1950)年09月に襲来したジェーン台風を機に、石川県道4号小松鶴来線に架かる天狗橋がジェーン台風で壊されたことにして県庁幹部が業者宮竹組に指示し崩壊させ、国に災害復旧費を申請し詐取し、橋を鉄骨に付け替えようとした。作業には数十人が関わり、少々傾けようとしたが、宮竹組が未熟で11月11日の午前10時頃、補修中の吊り橋が大音響とともに川中に墜落した。手取川流域住民の鶴来町字大国町の辻井と能美郡山上村の中島の2人が死亡し、26人が重軽傷を負った。金沢地検が不審を抱いたのは事件直後で「これはおかしいとピンときた。ワイヤが外されている。誰が見ても不自然。」石川県職員や業者9人が往来妨害致死傷容疑で逮捕された。金沢地裁の第1審判決は昭和28(西暦1953)年で起訴された被告全員に往来妨害致死傷罪で懲役2年6ヶ月〜2年、うち5人に実刑。控訴審判決はその3年後。最高責任者の竹島元道路課長1人に懲役1年6ヶ月。残る5人は執行猶予。被告となった全員は、金沢土木出張所関係者、金澤工業専門学校(現金澤大工学部)卒のエリートで、県庁を免職された後は、苦難の道のりを辿っているが、いずれの被告にも共通するのは「県のため、地元のために良かれと思った。」、「災害を利用して国庫補助を引き出すのはどこでもやっていた。」、県の技師。厳しい県の財政と、橋の付け替えを求める地元住民との板挟みの中での行為だった。「これも役人の務め」と甘んじて裁判を受けた。「私に疚しい所は何一つないんだ」と語った。最高裁でも上告棄却、全責任を取る形で服役した竹島県道路課長は金澤工業専門学校を主席卒業後、内務省入省のキャリア組である。他の部課長のように連れ立って夜の街を飲み歩くことはなく、仕事一筋の性格だった。最高裁で実刑が確定したのは事件から10年余。昭和36(西暦1961)年01月。福井刑務所で服役し模範囚としてその年の11月に出所している。県議会議長は「災害を担当するのは砂防課長だ。竹島君は何も知らなかった。あれは冤罪だ。」県土木出張所長は「竹島さんには気の毒なことをした。確かに竹島さんから工作の指示を受けた。しかしそれ以上に強く命令した人物がいた。当時の砂防課長だ。」砂防課長の関与は、竹島課長が裁判の中で一切証言しなかった。しかし事件から4年後、この砂防課長が県道を故意に破壊して逮捕、県庁を退職している。竹島課長の遺族を東京に訪ねた。破壊工作の指示をした石川県土木部幹部が逮捕され、柴野和喜夫県知事、田中精一土木部長、永田敏男金沢地方検事が国会証人喚問された。
 石破二朗は建設省事務次官から、鳥取県知事(4期)、参議院議員(2期)の政治家に転身し、鈴木善幸(93歿)内閣で、自治大臣兼国家公安委員会委員長を務めた。東京帝國大学法科大学独法科卒の農商務省・内務省官僚の金森太郎(69歿)の長女和子と2女1男をなした。長女悠紀子、次女美知子、末っ子の長男が東京都千代田区で出まれた茂である。茂の長姉悠紀子(85)、次姉美知子(84)は年子で、美知子と茂は16歳の差がある。姉2人はいずれも母の意向で、中学から私立の女子学院に進学し、東京女子大文学部卒で、悠紀子は国語、美知子は英語の教師になり、母和子も国語の教師であり、茂は、女だらけの教師一家にやっと産まれた末っ子である。茂の母方の血統が紅毛蠻賊アメリカ合衆国(西暦1776年〜)の邪教耶蘇教徒。母方の曾祖父、金森通倫(みちとも、ツウリン、ポール・カナモリ)(87歿)は、肥後国玉名郡小天村(現熊本県玉名市天水町小天)に生まれ、紅毛蠻賊アメリカ合衆国の邪教耶蘇教の熊本バンド(同盟、集団、英語: band)の1人で、詰まるところ紅毛蠻賊アメリカ合衆国の邪教耶蘇教の宣教員=日本破壊の工作員であった。その中でもホーリネス・リバイバル運動の中心的な役割を果たし、神癒の祈りに没頭したカルトである。
悪魔1.png 明治04(西暦1871)年、リロイ・ランシング・ジェーンズ(Leroy Lansing Janes、L・L・ジェーンズ、善斯)(71歿)が、3年契約月給400円で熊本県の官費の熊本洋学校に招聘された。善斯は紅毛蠻賊アメリカ合衆国の南北戦争(西暦1861〜1865年)に従軍し、最終階級は退役砲兵大尉の退役軍人の宣教師という生粋の侵掠工作員である。
 明治07(西暦1874)年頃から日本破壊の工作員の本性を露わにし、有志を集め自宅で聖書研究会を始めた。明治09(西暦1876)年01月30日の早朝、生徒達は花岡山に登り、祈祷会「天拝会」を開き、邪教耶蘇教をもって祖国を救うという主旨の「奉教趣意書(花岡山の誓い)」に海老名弾正(80歿)、浮田和民(86歿)、横井時雄(69歿)、石破茂の曾祖父金森通倫、徳富猪一郎(蘇峰)(94歿)を含む35人が署名誓約した。
この出来事に驚いた熊本県は、その年、善斯の招聘期限切れと同時に洋学校を廃校とした。善斯は奉教を表明した生徒たちをアメリカンボードの宣教師に依頼し、新島襄が創立した同志社英学校へ転校させ同志社英学校は明治12(西暦1879)年に最初の卒業生15人を出したが、全員が熊本洋学校から来た学生である。宣教師から「熊本バンド(同盟)」と呼ばれ、「横浜バンド」や「札幌バンド」とともに、日本3大バンド(同盟)」である。
 石場茂の母方の曾祖父、ポール・カナモリ(金森通倫)は、この熊本バンド(同盟)。昭和02(1927年)年03月、ホーリネス教会に入会し、「基督教三鋼領」を改定して出版し、「神・罪・救」の三綱領を説く「金森伝道」を展開した。「百万人救霊運動」を提唱し、霊魂狩(たましひがり)という言葉で会員達を鼓舞した。昭和05年(西暦1930)年01月渡米し、ホーリネス・リバイバルの時には日本には居なかったが、後に運動の中心的な役割を果たし、地方教会を回って信徒を激励した。昭和07(1932)年03月、五女壽々枝(植物学者、細菌学者濱健夫の妻)が胃癌になり、神癒の祈りに没頭したが邪教に効力がなく五女壽々枝は死に、これで改悛しホーリネスを脱会した。晩年は湘南の嶺山に隠居し、原始的な洞窟生活をして「今仙人」と言われた。
 神戸英和女学校(現神戸女学院)を第1期生として卒業した西山小壽(こひさ)との間に4男5女をなした。長男が茂の母方の祖父金森太郎で東京帝國大学法科大学独法科卒で、農商務省、内務省官僚。徳島県知事、山形県知事。 茂の母方の祖父金森太郎は、原田二郎の長女で神戸女学院卒の原田花子との間に、茂の母の長女和子、次女幸子の2女をなした。次男次郎(93歿)は東京帝國大学工学部機械科卒。東京光学機械(現トプコン)社長、山之内製薬(現アステラス製薬 )元顧問。長女三壽は東京女子高等師範学校卒で、日系アメリカ人2世東ヶ崎(とうがさき)潔(本名: ジョージ・キヨシ・トガサキ)(96歿)の前妻。ジョージ・キヨシ・トガサキはカリフォルニア大学商学部卒で日本タイムス社(現ジャパンタイムス)社長や富士海外旅行社長。国際基督教大学(ICU)名誉理事長、聖路加国際病院理事長を務め、昭和35(西暦1960)年、フリーメイソンの日本グランドロッジのグランドマスターとなった。次女四壽は市田幸四郎の妻で長男は国際サッカー連盟(FIFA)) 常任理事の市田左右一(75歿)。三男五郎は九州帝國大学医学部卒、郡山脳病院(現針生ヶ丘病院)院長。三女か四女の壽々子は陸軍司政長官を務めた濱田清治の前妻。五女壽々枝は植物学者、細菌学者で明治学院大学経済学部教授を務めた濱健夫(82歿)の妻。四男九郎(70歿)は東京帝國大学工学部冶金科卒、富士製鉄元常務取締役、日本原色押花協会会長。

 善斯(リロイ・ランシング・ジェーンズ)は、帯同していた妻ハリエットから日本での不貞行為や暴力、家計費の不足や梅毒の罹患を理由に離婚訴訟を起こされ、米国耶蘇教徒界隈での評価は急落し、妻のハリエットは脳出血で急死し、ハリエットの妹ケイティが結核で死亡し、ハリエットの弟ヘンリー・マーチン・スカッダー・ジュニアは再婚して間もない新妻の母親を殺し逮捕され、獄中自殺した。善斯とハリエットの次男ロイスは、供述書で、ハリエットの死にもハリエットの弟ヘンリーが関与していたのではないかと仄めかした。いずれにしても、耶蘇に限らず宗教を名乗るに値しない天罰的中の呪われた一家である。
 経済的に苦しくなった善斯は教え子熊本バンド(同盟)横井時雄らの斡旋で再来日直前に再婚した妻フロラを連れて16年ぶりに来日し、お雇い外国人として英語を教えた。善斯を訪ねた教え子の熊本バンド(同盟)小崎弘道(81歿)は、善斯が帰国後、事業に失敗して負債を抱え、サンノゼ近郊のライツ村の山中で1人暮らしをしていることを知り、サンフランシスコから見舞金を送金した後、帰国後熊本洋学校出身者(熊本バンド(同盟))に寄付を呼び掛けて借金を完済してやった。熊本バンド(同盟)海老名弾正が熊本洋学校出身者(熊本バンド(同盟))から集めた寄付金を持って訪ねた翌年の明治43(西暦1909)年に入院中の療養所で死に、翌年、ご丁寧に愚かにも、熊本バンド(同盟)浮田和民ら47人の弔慰金が未亡人のフロラに送られた。
うんこ.jpg 日本に寄生した善斯(リロイ・ランシング・ジェーンズ)と日本を蝕む邪教耶蘇教の熊本バンド(同盟)は、紅毛蠻賊アメリカ合衆国のお家芸の宣教侵掠の手先となり、テロリスト、偽りの大正デモクラシー、仕組まれた大東亞戰爭、占領軍の聯合國軍最高司令官総司令部(General Headquarters of the Supreme Commander for the Allied Powers、GHQ)の洗脳教育、邪教擬態極左から、日本の破壊と日本人の殺戮の淵源で、妖怪石場茂の誕生まで引き起こした。

 54万石の肥後熊本細川藩は、筑前福岡黒田藩47万3千石、藝州廣島浅野藩42万6000石も同じだが、外様の雄藩でありながら、幕末に佐幕か倒幕か、藩内の意見を纏められず、薩長土肥の後塵を拝して手下に使われた。薩長では下級武士テロリストが藩を支配し藩の方針を倒幕に推し進め、あからさまに対蹠的である。薩摩は一旦決めたことに「議を言うな。」という風土であり、長州は血で血を洗う天誅の嵐を経ている。とりわけ肥後熊本は、派閥に分かれ議論ばかりで行動しない国柄で、権勢や利権に預かれず切歯扼腕した。
 明治維新後、これの痛烈な反省と反動で、紅毛蠻賊欧米の侵略者のケツを舐める邪教工作員の熊本バンドや、逆に紅毛蠻賊欧米化する政府に対し、日本古来の伝統や文化の崩壊を憂慮する士族の叛亂が起こった。

 新開大神宮(現熊本市南区内田町)の宮司で熊本藩士族の太田黒伴雄(41歿)を首領とし、加屋霽堅(はるかた)(37歿)ら約170人によって神道と尊皇を重んじる志士の集まり、敬神党が結成され、明治09(西暦1876)年10月24日深夜、廃刀令などに激怒し、熊本鎭臺(熊本城)を襲撃した。(敬神党の亂、神風連の亂(神風連は反対派の戯称))この事件に誘発され、宮崎車之助(しゃのすけ)(40歿)の秋月の亂、前原一誠(42歿)の萩の亂等、各地で士族の叛亂が発生し、翌年、薩摩軍と政府軍との闘い、西南の役が起こった。熊本や宮崎からも薩摩軍と呼応して立ち上がった士族隊がいた。熊本では時習館の学校党を中心に1300人が健軍神社から出陣、宮崎4兄弟の長男宮崎八郎(26歿)率いる協同隊400人、その他人吉隊などが参加した。熊本県県北から県南まで菊池、山鹿、阿蘇、御船、矢部(山都)、八代、人吉と熊本県内の多くが戦場となり、開戦から7ヶ月続き、明治維新軍戦死者約6900人、薩摩軍戦死者約6800人に上る最大の士族の叛亂である。この後、士族は自由民權運動で一知半解の立憲政権となり、その後の日本の利権政治に直結する蠱毒となった。
 西南の役で宮崎4兄弟の自由民權論者、長男宮崎八郎は熊本県八代郡八代萩原堤(現八代市)で戦死し、弟の六男民蔵(63歿)・七男彌蔵(29歿)・八男寅蔵(滔天)(51歿)はいずれも大アジア主義者で、日本に集った恩知らずの詐欺師孫逸仙(孫文)(58歿)を支援し、辛亥革命を成功させた。八男寅蔵(滔天)は一時耶蘇教に入信したが「宗教の裏面に地獄あり…古来宗教の為に恐るべき戦争を惹起したること幾何ぞ、」との言葉に衝撃を受け、さらに自由民権の本場である欧米社会でも貧困に喘ぐ人々が多くいる事実を知り、耶蘇教を脱会した。宮崎寅蔵(滔天)は孫逸仙、蔣介石(87歿)、康有為(69歿)、金玉均(43歿)らを保護し支援し、寅蔵(滔天)の講演の聴衆に毛澤東(82歿)もいた。
 宮崎寅蔵(滔天)の長男龍介(78歿)は、日本社会党の結成に参加し護憲運動や「日中友好協会」の常任理事になった。龍介龍介夫妻が孫文誕生90年の祝典に招待され、毛澤東・周恩来と共に臨席した。その後も宮崎家と支那の交流は続き、支那大使館に新たに大使が着任した際には自宅に訪問があり、孫文の友人「井戸を掘った人」と5年に1回、国賓として支那に招待され、龍介民蔵の次男の世民(せいみん)(83歿)は支那共で重用され、「日中友好協会」の理事長を務め、日支「国交正常化」と緊密化に尽くした。宮崎民蔵の三男世龍(90歿)は朝日新聞記者など、十重二十重に歴史的な賣國奴である。

ゲゲゲの鬼太郎 妖怪ファイル - 水木 しげる
ゲゲゲの鬼太郎 妖怪ファイル - 水木 しげる

 石破茂の父、石破二朗は茂の出生時に建設事務次官で48歳、母和子は39歳での恥かきっ子のため、二朗は病院へ行きたがらず、公私混同でノンキャリアの建設省人事課長補佐高岩迪資(みちすけ)を病院へ代理の使い走りに行かせた。病院では高岩迪資を茂の父親と間違えていた。上級甲種試験(I種試験(旧外務I種を含む)、現総合職の国家公務員試験)の合格者を、大東亞戰爭後、占領軍GHQにより制度上廃止された高等官に代わって「資格者」になり、「資格者」が「キャリア」と変化し、俗称として定着した。その「キャリア」試験に合格していない中級下級官吏を「ノンキャリア」と蔑称で呼ぶ。GHQ用に翻訳した用語を符丁として用いる下等さ、腐臭が沁みている。

 大東亞戰爭前における生活基盤や産業基盤などの社会資本の整備は、内務省等行政によって直接実施されてきた。その中には勿論、企画、調査、計画、設計、施工など一連の業務が含まれていた。戦後復興のための社会資本整備に対する事業量が急速に拡大し、一連の業務のうち企画を除いたものについて民間技術力の活用が始まり、昭和34(西暦1969)年01月、建設省事務次官通達「土木事業に係わる設計業務などを委託する場合の契約方式等について」が発出され、「任意の事業について、原則として設計業務を行うものに施工を行わせてはならない。」という、「設計・施工分離の原則」が明確化され、設計業務(調査、計画、設計)を行う国内の建設コンサルタントを確立させた。この時の建設省事務次官が参議院議員(2期)に転進した稲浦鹿蔵(83歿)である。次の建設省事務次官が石破茂の父、石破二朗で、九頭竜川ダム汚職事件発覚時には、石破二朗は鳥取県知事に転進していた。石破二朗の4代後の建設省事務次官が後述の国会答弁にも出てくる山本幸雄(95歿)である。山本幸雄は内務・建設官僚で、昭和21(西暦1946)年、内務政務次官であった世耕(せこう)弘一(72歿)の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発など警察畑を歩いた。
 世耕弘一は和歌山県東牟婁郡敷屋村(現新宮市)の百姓世耕佐七の五男で、材木店に丁稚奉公しその後苦学して大正07(西暦1918)年専門学校入学者検定試験に合格、日本大学予科に入学。大正12(西暦1923)年、日本大学法文学部卒。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官、学校法人近畿大学初代総長及び理事長。長男世耕政隆(75歿)は日本大学医学部卒の近畿大学2代総長及び理事長で、世襲2世衆議院議員(1期)、参議院議員(5期)。世耕弘一の次男世耕弘昭(79歿)は日本大学法学部法律学科卒の近畿大学3代理事長。世耕弘昭の長男世耕弘成(ひろしげ)(62)は、1浪で駿台予備学校を経て、昭和61(西暦1986)年03月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒で近畿大学4代、6代理事長。世襲3世参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)で経済産業大臣。
 世襲2世の建設大臣河野一郎(67歿)は慣例を無視し、山本幸雄を大阪府警察本部長から建設省官房長に異動させた。真正賣國奴の世襲2世河野一郎、世襲3世河野洋平(88)、世襲4世河野太郎(62)と、現在の日本に巣くう悍ましい賣國奴の系譜まで出て来た。

支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その1 河野一家
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 山本幸雄は建設事務次官から 衆議院議員(7期)に転進し、自治大臣兼国家公安委員会委員長。平成02(西暦1990)年に岡田屋イオングループ創業者である岡田卓也(99)の次男岡田克也(71)に四日市市・桑名市周辺の自民党の地盤を譲り、引退後の平成05(1993)年、後継者の岡田克也が自由民主党を離党して新生党結成に加わった際、「君がそれがいいと思うのなら、その信念を通せ、」と励まし、自らも自由民主党を離党して新生党に入党した。
 村上紋四郎(もんしろう)(79歿)は、久松松山藩15万石の支藩の松下今治藩3万5千石の伊豫國越智郡の大島の福田(後の吉海町)の出だが、 同じ大島の宮窪村の徳丸リセと結婚し宮窪村(現今治市)に住み着いた百姓、村上伊勢吉の子で、愛媛県漁業組合長、宮窪村初代村長、愛媛県会議員、今治市長、衆議院議員(5期)を務めた。長男の村上常太郎(90歿)は東京帝國大学法科大学英法科卒で東京控訴院次席検事。常太郎の長男村上孝太郎(55歿)は)東京帝國大学法学部政治学科卒業。東京帝國大学在学中のに高等試験行政科試験に合格し卒業後は大蔵省に入省。大蔵事務次官から、昭和46(西暦1971)年06月の参議院議員通常選挙全国区で自由民主党から出て、「走れコウタロー」をキャンペーンソングに初当選し世襲2世で参議院議員(1期)になったが、登院は1日のみで癌で倒れ、わずか3ヶ月後の09月08日に参議院議員在任のまま肝硬変のため死んだ。常太郎の次男村上信二郎(53歿)は、東京帝國大学法学部を卒業し内務・通産官僚から自由民主党所属の世襲3世の衆議院議員(2期)になったが在任中に死んだ。村上信二郎の娘の多津子は、岡田克也に嫁した。東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業後、河本敏夫(89歿)の秘書を務めていた醜い気違い賣國奴村上誠一郎(72)は、世襲4世の衆議院議員(13期)となった。令和04(西暦2022)年09月20日に「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ。」と暗殺された安倍晋三(67暗殺)を誹謗し、石破茂の推薦人を務め総務大臣に就任した。義弟の岡田克也の実父である実業家の岡田卓也から平成27(西暦2015)年02月12日には100万円の寄付金を得ている。この寄付金が平成27(西暦2015)年度の政治団体や個人からの寄付の約4分の1を占めている。

「金環蝕」九頭竜川ダム汚職事件

 「金環蝕」九頭竜川ダム汚職事件は、昭和40(西暦1965)年に表面化した大汚職事件である。立件はされず揉み消された。特殊会社電源開発株式会社が計画した350億円に上る九頭竜川のダム(九頭竜ダム)の建設をめぐり、第1工区は指名競争入札で行われた。41億円の最高額で入札した鹿島建設が落札し、「間組、熊谷組、西松建設、前田建設工業の4社は最低落札価格(ロワーリミット(これも語学力も知識もない低能が使うカタカナ語の符丁として用いる下等さ。))を超えていない。」として失格となった。「池田勇人(65歿)首相への政治献金を約束した鹿島建設と電源開発、政府が一体となって最低落札価格の足切りによる落札操作を仕組んだ汚職」との疑惑が拡がった。
鉱業権を握る交渉に利権屋児玉誉士夫(72歿)の命を受けた讀賣新聞の米中央情報局(英語: Central Intelligence Agency、CIA)工作員渡邉恒雄(98歿)が中曾根康弘(101歿)らと共に、政治的な介入が行われたが失敗した。そのため、強制収用に踏み切った。
 池田勇人は、広島県出身の政治家、大蔵官僚で、大蔵事務次官、あの賣國奴吉田茂の信頼を獲得し、「吉田学校」の優等生。「丙申会」(旧吉田派)は昭和31(西暦1956)年に田布施の佐藤榮作派「周山会」と池田勇人派「宏池会」に事実上分裂した。衆議院議員(7期)、大蔵大臣、通商産業大臣、経済審議庁長官、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣などを歴任し、昭和35(西暦1960)年12月27日に第2次池田勇人内閣によって所得倍増計画が閣議決定された。10年の計画だったが、実質国民総生産は約4年(昭和39(西暦1964)年08月)で、国民1人当り実質国民所得は約7年(昭和42(西暦1967年10月期)で倍増した。
 児玉誉士夫は、戸籍上福島県出身の右翼活動運動家で、自称CIA工作員、暴力団の錦政会顧問。大東亞戰爭中、海軍航空本部の物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売り捌いて莫大な利益を得た。
肥桶.jpg 渡邉恒雄は、東京都出身の新聞記者、実業家。読売新聞グループ本社代表取締役主筆。「ナベツネ」の通称で知られ、読売新聞社社長、球団オーナー、読売ジャイアンツ取締役最高顧問、日本新聞協会会長などを歴任し、CIA工作員として、マスゴミで日本人を洗脳し莫大な利益を得た。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人。」という発言で知られる党人政治屋大野伴睦(73歿)の番記者で自民党と強く繋がった。大野伴睦は、岸信介(のぶすけ)(90歿)に「床の間に肥溜めを置けるわけがない。」と言放たれた岐阜県出身の党人政治家。東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、国務大臣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁。タカ派の政策集団、青嵐会を結成し、後に農林水産大臣・科学技術庁長官などを務めた中川一郎(57暗殺)の政界での師匠として知られる。
 中曾根康弘は、群馬県高崎市出身で、内務省に入省し海軍短期現役制度で戦時中に海軍主計士官に転じるも、敗戦後には内務省に再勤。衆議院議員連続20回当選し、自由民主党総務会長、幹事長。科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官、内閣総理大臣などを歴任し、昭和60(西暦1985)年、群馬県多野郡上野村の高天原山山中ヘ墜落した日本航空123便墜落事故とその直後のプラザ合意など、真実は墓場まで持って行った。

 「池田勇人首相への政治献金を約束した鹿島建設と電源開発が結託して行った可能性がある。」として、衆院決算委員会で田中彰治(72歿)らが追及し、参考人質疑で元朝日新聞記者、言論時代社主幹の倉地武雄(58歿)は「記事内容に間違いない。」と断言した。昭和40(西暦1965)年02月12日、池田勇人前首相秘書官事務取扱だった中林恭夫(当時、大蔵省証券局課長補佐)が自宅官舎屋上の給水塔の上から転落死した。飛び降り自殺に隠蔽された。この問題を追及していたジャーナリスト、倉地武雄(58)は元朝日新聞記者で、言論時代社を設立し政界暴露新聞「マスコミ」で影響力を持ち、九頭竜川ダム汚職の証人として国会喚問されたばかりの04月09日、倉地武雄(58)は東京都千代田区の自宅で、倉地武雄の3男(25)に殺害された。倉地武雄の3男(25)は成績優秀な兄弟で1人だけ劣等生で大学受験に失敗してからグレて、父親は自分の後継にしようとしたが働かずに会社の金を持ち出しスポーツカーを乗り回して女と遊び歩いてブラブラしていた。金欲しさに父親の倉地武雄をアイスピックでメッタ刺しにして現金20万円を強奪し豪遊していた。逃走したが、04月25日に自首した。死刑が求刑されたが、東京地裁は「コーヒーの飲み過ぎによる刺激性不安状態にあった。」と、意味不明の国民を舐め切った無期懲役判決になった。
 中林恭夫に倉地武雄が、相次いであまりにも不自然な死を遂げ、事件は有耶無耶になった。石川達三は「金環蝕」として小説化し、映画化もされた。賄賂と不審死が続出した九頭竜ダムが日本の利権構造と腐敗を示している。

第55回国会 衆議院 建設委員会 第5号 昭和42年5月8日
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=105504149X00519670508
〇岡本(隆)委員 (前略)というのは、すでに以前にも問題があった九頭竜ダムなどですね。これは2人も犠牲者が出ておる。池田さんの秘書が団地の給水塔の上から飛びおり自殺をやっておる。それからまた、もう1人は例の何とかいう新聞記者ですね、倉地という新聞記者が自分の息子に殺されておる。これは自分の息子に殺されたのか、そういうことにされておるのか、まだ解決されておらぬ問題です。しかしながら、とにかく九頭竜ダムの事件をめぐって2人の犠牲者が出ておる。そしてその間、田中彰治事件が起こってきた。九頭竜ダムから田中彰治事件が起こってきたのでしょう。だからダム工事というような大きな工事、しかも建設業というのは受注産業ですから、1つぱくんとそうした発注を取るか取らぬか、契約を取るかとらぬかということでその事業の業績に非常に大きな影響があるわけでございますから、したがって請負契約を巡っていろいろ暗躍も行なわれるということは想像されることでございます。それだけに、また事実あのときには「金環蝕」という石川達三の小説にまでなって、それで大体のなには推理小説的に非常におもしろく筋書きが作られております。それがもし事実とするなら、また事実に近いとするなら、これは日本の政治というものがどれほど不明朗なものかということを国民に訴えておるわけであります。したがって、先ほど前の委員会で大臣が言われたように、政府はあくまでも入札は公正にやらなければならぬ。どこまでも公明なものでなくてはならぬ。ところがその入札問題を巡っていろいろな−−われわれ国民にすかっと通るような形でやっていただくと我々もいろいろの推量をしなくて済むわけでございます。今度の場合でもあなたのほうで、建設省でやるつもりだった、しかし急に計画を変えて水資源にやらしたのだからこれはしようがないじゃないか、あなたはこうおっしゃいます。しかしながらその間、この問題についていろいろな噂が飛んでおる。そしてその噂の1つとして前の建設省の事務次官をやっておられた山本幸雄君−−今度建設委員会に入ってきておりませんが、選挙はうまくいかなかったようで気の毒だと思いますが、しかしあの山本さんが事務次官をやっていた時分に秘書官をしていた高岩迪資という人がおる。その人がどうも暗躍したらしいという噂が飛んでおるのでございますが、高岩迪資という人はどういう人か。官房長、何で建設省で秘書官までしていた人が辞めたのか、そしていま何をしているかということですね。それを1つお教え願いたい。
〇鶴海政府委員 高岩君の件でありますが、高岩君は秘書官ではなくて建設省の官房の人事課で補佐をやっておりました。事実山本次官当時、次官の秘書的な仕事もやっておったようでございます。お辞めになりましたのは、山本前次官及び平井学官房長の両名に関します選挙資金の授受問題で、起訴になるかならぬかというふうな事件がございまして、その際高岩君は辞めております。
〇岡本(隆)委員 平井さんが辞めたのは、いわゆる東京都内の橋梁汚職といわれておる一連の汚職事件で、山本幸雄君の選挙資金をつくるために業者から金を集めて回って、そのことのために辞めた、こういうふうなことを聞いておりますが、いま何をしておりますか。
〇鶴海政府委員 詳しいことは知りませんが、高岩君は間組に勤めておるというふうに聞いております。
〇岡本(隆)委員 これは間組に入っておる高岩という人物や大津という佐藤総理の秘書が一緒になってこの工事が間組に落ちるようにいろいろ努力した。そしてさっきの入札なんか見ましても、最初の第1回の入札は24億台で、ずらっとわずかな差で並んでいます。それは綿密に計算したらそういうことになるのかもしれませんけれども、そして6回目、最後の入札では20億台でずらっと並んで、1千万から5百万の差で間組に落ちた。これは競争入札だったらもうちょっと、20億に気はれるのなら最初から−−これだけの大きな工事の入札を取るか取らぬかという勝負でございましたら、最初に24億に入れる所もあれば20億に入れる所もある。21億に入れる所もある。それ位の頑張りがきくものなら、最初から俺の所で取ってやろうと思ったら、それ位の札を入れる者がなくちゃ嘘だと思うのです。それを最初からずらっとそんな綺麗な入札、まるで最初あらかじめ予行演習やっておってその上で勝負したというような勝負で、いかさま八百長の臭い芬々です。こういうような八百長の臭い芬々たるところの入札が非常な大工事といわれておるダム建設に行なわれているということ自体、私ども不思議に思うのでございます。そうしますと、何かそういうようなことについて佐藤総理や−−そうなってくると今朝もある私の先輩議員とエレベーターが一緒で、私が建設委員だということを知っています。しかし私が建設委員やということを知っていても、建設大臣だれやら知らぬ。建設大臣だれや、西村さんやと僕が言ったら、ああ佐藤総理の金庫番か、こういうことでございました。佐藤総理が自分の金庫番を建設大臣に据えた。そこにこの工事を巡って、前の山本幸雄君−−これは河野派でしたが、とにかく山本幸雄君の、前の建設の事務次官の息のかかっておるのが間組に入っており、佐藤さんの秘書が一緒になって仕事をすれば、西村建設大臣も痛くない腹を探られなければならぬような妙な噂が飛ぶ、こういうふうなことでございます。したがって、やはりこういう不明朗な噂が飛ぶこと自体−−揣摩憶測いろいろあるでしょうが、こういうこと自体私は非常に残念に思いますので、これから後はそういう不明朗な噂が飛ぶようなことはなさらないで、もうちょっと水資源にやらすなら最初から水資源でやりなさい、こういうことで請負は水資源でやりなさい、こういうことでして頂きたいと思います。(後略)

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 田中彰治は、航空自衛隊の第1次FX問題や日本国有鉄道志免鉱業所払下げ、九頭竜ダム建設工事落札を巡る疑惑など、田中彰治が決算委で追及しながら全容の解明に至らぬ疑惑や不正事件が多い。職権を利用して疑惑を追及する振りをしながら当事者を脅して金品を私した田中彰治の行為は、後に「政界のマッチポンプ(自らマッチで火をつけておいて、それを自らポンプで水を掛けて消すと言う意味で、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語。またも語学力も知識もない低能が使うカタカナ語。)」と呼ばれた。
 昭和41(西暦1966)年後半、自民党を中心に相次いで汚職が発覚し、一連の事件で自民党への国民の信頼は失墜し、「永田町を『黒い霧』が覆っている。」と批判され黒い霧事件と呼ばれる。 その黒い霧事件の1つに田中彰治事件があり、田中彰治は、一連の事件で詐欺・背任・恐喝・偽証・所得税脱税で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受け、控訴中の昭和50(西暦1975)年に死亡したため控訴棄却。その後低下した求心力を回復するため、昭和41(西暦1966)年12月27日佐藤榮作は衆議院を解散した(黒い霧解散)。逆境下の選挙戦となった第31回総選挙は翌昭和42(西暦1967)年01月29日に投票が行われたが、自民は善戦して予想外の微減に止まり、佐藤榮作は勝利を宣言し、大山鳴動して鼠一匹の結果となった。

松本清張全集 (30) 日本の黒い霧 - 松本 清張
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大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)

 鉛色の空が拡がり、冷たい雨がぱらついた平成10(西暦1998)年01月19日朝、東京都千代田区霞が関の日本道路公団(JH)に東京地検特捜部の係官約20人が入った。大蔵省(現財務省)造幣局長から日本道路公団に天下った井坂武彦元理事(後に有罪が確定)の外債発行に伴う主幹事選定での便宜をはかった見返りに、野村證券から約258万円相当の供与を受けていた収賄容疑で逮捕した。大蔵省ノンキャリアでは出世頭の宮川宏一金融証券検査官室長、谷内敏美管理課課長補佐も相次ぎ収賄容疑で逮捕された。
井坂武彦は造幣局長時代、恒例の桜の通りぬけに、大阪の一流キレイどころや宝塚歌劇団の若手スター達を局長室に入れたりと派手な好みだった。同時に、野村證券の元副社長等も贈賄容疑で逮捕されている。外債入札に絡む汚職事件捜査の幕開けだった。第一勧業銀行や野村證券などが関わった総会屋への利益供与事件に端を発し、大蔵省出身の国会議員に総会屋と同様の手口で利益供与が行われ、大蔵省の金融検査部の幹部職員が、銀行などから多額な接待を受け、検査日程を事前に漏らしたり、 他行の検査結果を他業態に流していた。
 これが、大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)の端緒である。支那人女性が経営する東京都新宿区歌舞伎町地下にハニートラップの為に作られた会員制完全予約制1日2回の完全入れ替え制、B3Fは完全個室の高級ノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭(ローラン)」を頻繁に使っていた。
芸能人やスポーツ選手もよく利用していた。WBCの王監督、峰竜太、松方弘樹、野茂その他有名人が出入りしていた。。大蔵官僚や日銀マン、、現日銀総裁の福井氏も常連だったようだ、スマップの中居君も利用していたようだ。
個室の場合のシステムは、掘りごたつの部屋(アダルト割烹)に指名した女性がやってくる。上着はもともと胸が横から丸見えのような服だ。チップを5000円渡して、パンティを脱がす。そして、説明するのは難しいが、天井から逆さまに吊るされたボトルを利用して 水割りを作ってくれる。そのときテーブルの四隅から、 『プシュ〜〜〜』というけたたましい音とともに、風が吹き上がる、そして、女性のスカートがまくれ上がって全部丸見えというわけだ。あそこをハート型にしている女性もいた。見たい人はがんがん飲めばいい。
隣りに女性が座る、さらに5000円チップを渡す。テーブルに下にカメラがついている。これをリモコンで動かして、ズームしたり、方向を変えたりして、テーブルの上に埋め込まれている小型テレビから、女性の○○○が丸見えというわけだ。
それから、店内で販売されている懐中電灯(1本2000円)を購入する。その懐中電灯を片手にテーブルの下に潜り込み、女性の○○○を照らして、観察するのだ。中には、30分くらい出てこないやつもいる。原則 さわったり、つまんだりしてはいけない。
しかし、ある会社で、外人が箸で 女性の大事なところをつまんで、出入り禁止になったらしい。合意の上ならもちろんかまわない。
見せるだけからかもしれないがかなり綺麗な女性が多い。。場所がらか 早稲田大学の学生もいた。。。女子大生が多い。

 ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」の顧客名簿がネットに流れた。 ➡
 ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」の顧客名簿
● 日銀
福井 俊彦 (日銀副総裁)、永島  旭 (理事)、本間 忠世 (理事)、米澤 潤一 (理事)

● 大蔵省
橋口  収 (大蔵元次官)、長岡  寛 (大蔵元次官)、保田  博 (大蔵元次官)、西垣  昭 (大蔵元次官)、松尾 直良 (元関税局長)、吉田 正輝 (元銀行局長)

● 厚生省
山口 剛彦 (厚生次官)、近藤 純五郎(厚生官房長)、田中 泰弘 (厚生総務審議官)、伊藤 雅治 (審議官)、谷  修一 (健康政策局長)、小島 比登志(総務課長)、小林 秀資 (保健医療局長)、木村 政之 (企画課長)、小野 昭雄 (生活衛生局長)、羽入 直方 (企画課長)、宮島 俊彦 (指導課長)、中西 明典 (医薬安全局長)、吉武 民樹 (企画課長)、鶴田 康則 (審査管理課長)、安倍 道治 (安全対策課長)、間杉  純 (監視指導課長)、羽毛田 信吾(老保福祉局長、宮内庁長官)、水田 邦雄 (企画課長)、青柳 親房 (老人福祉計画課長)、江口 隆裕 (老人福祉振興課長)、横田 吉男 (児童家庭局長)、伍藤 忠春 (企画課長)、渡辺 芳樹 (家庭福祉課長)、畠山  博 (育成環境課長)、小林 和弘 (保育課長)、小田 清一 (母子保健課長)、外口  崇 (血液対策課長)、山本  章 (麻薬課長)、高木 俊明 (保険局長)、中村 秀一 (企画課長)、霜鳥 一彦 (保険課長)、矢野 朝水 (年金局長)、紺矢 寛朗 (企画課長)、大谷 泰夫 (年金課長)、高橋 直人 (企業国民年金基金課長)、塩田 幸雄 (資金管理課長)、皆川 尚史 (運用指導課長)

● 農林水産省
高橋 政行 (事務次官)、東  久雄 (審議官)、堤  秀隆 (官房長)、石原  葵 (総務審議官)、鈴木 信毅 (技術総括審議官)、加藤  孝 (審議官)、小畑 勝裕 (審議官)、小高 良彦 (審議官)、竹中 美晴 (審議官)、西藤 久三 (審議官)、田原 文夫 (企画課長)、上谷 敏博 (情報化対策室長)、城  知晴 (秘書課長)、関川 和孝 (総務課長)、須賀田 菊仁(文書課長)、熊澤 英昭 (経済局長)、林  正徳 (総務課長)、佐藤 正明 (調整課長)、白須 敏朗 (金融課長)、宮本 昌二 (国際部長)、山本  徹 (構造改善局長)、岡本 芳郎 (次長)、川村 秀三郎(総務課長)、小林 新一 (農政部長)、石原 一郎 (農政課長)、高木  賢 (農産園芸局長)、高橋 徳一 (総務課長)、皆川 芳嗣 (企画課長)、坂野 雅敏 (農産課長)、中須 勇雄 (畜産局長)、梅津 準士 (畜産課長)、本田 浩次 (食品流通局長)、田中  誠 (総務課長)、上原 勝美 (企画課長)

● 食糧庁
高木 勇樹 (長官)、川口 将志 (次長)、樋口 久俊 (総務部長)、米田  実 (総務課長)

● 通産省
渡辺  修 (事務次官)、中川 勝弘 (審議官)、村田 成二 (官房長)、中島 邦雄 (総括審議官)、今井 康夫 (審議官)、北村 俊昭 (秘書課長)、前野 陽一 (参事官)、北畑 隆生 (総務課長)、原山 保人 (参事官)、増田  優 (参事官)、松島  茂 (企画室長)、伊佐山 建志(通商政策局長)、佐野 忠克 (通商政策局次長)、柴田 治呂 (審議官)、大慈弥 隆人(審議官)、藤岡  誠 (審議官)、田中 伸男 (総務課長)、小川 恒弘 (通商企画官)、大木 勝雄 (通商渉外調整官)、鹿島 幾三郎(国際経済部長)、石毛 博行 (国際経済課長)、日下 一正 (経済協力部長)、鈴木 善統 (経済協力課長)、今野 秀洋 (貿易局長)、北爪 由紀夫(貿易局審議官)、安達 俊雄 (貿易局審議官)、青木 宏道 (総務課長)、松倉 孝男 (管理審査官)、星  政志 (貿易為替検査)、新木 雅之 (農水産室長)、守谷  治 (貿易調査課長)、桑山 信也 (輸出課長)、江崎  格 (産業政策局長)、杉山 秀二 (審議官)、望月 晴文 (総務課長)、鈴木 英夫 (知的財産政策審議官)、中村 雅弘 (管理審査官)、斉藤  浩 (民間活力推進室長)、板東 一彦 (知的財産政策企画室長)、並木  徹 (環境立地局長)、岡本  巌 (審議官)、石海 行雄 (審議官)、作田 頴治 (基礎産業局長)、入野 睦則 (審議官)、林 由紀夫 (総務課長)、広瀬 勝貞 (機械情報産業局長)、河野 博文 (機械情報産業局次長)、水谷 四郎 (生活産業局長)、土屋  博 (審議官)、吉海 正憲 (総務課長)、中村  薫 (工業技術院総務部長)、稲川 泰弘 (資源エネルギー庁長官)、太田 信一郎(資源エネルギー庁次長)、林  康夫 (中小企業庁長官)、中村 利雄 (中小企業庁次長)

● 運輸省
黒野 匡彦 (事務次官)、戸矢 博道 (審議官)、梅崎  壽 (官房長)、和田 敬司 (総務審議官)、土井 勝二 (運輸政策局長)、辻  道明 (運輸政策局次長)、小幡 正人 (鉄道局長)、縄野 克彦 (鉄道局次長)、荒井 正吾 (自動車交通局長)、金澤  悟 (総務課長)、岩崎 貞二 (企画課長)、梶原 景博 (旅客課長)、桝野 龍二 (貨物課長)、大野 裕夫 (保障課長)、岩村  敬 (海上交通局長)
柴田 耕介 (総務課長)、山本  孝 (海上技術安全局長)、楠木 行雄 (航空局長)、羽生 次郎 (航空局次長)

● 郵政省
五十嵐 三津雄(事務次官)、楠田 修司 (審議官)、天野 定功 (官房長)、濱田 弘二 (総務審議官)、長谷川 憲正(郵務局長)、池田  仁 (郵務局次長)、安岡 裕幸 (貯金局長)、松井  浩 (貯金局次長)、金澤  薫 (簡易保険局長)、中山 治英 (簡易保険局次長)、木村  強 (通信政策局長)、谷  公士 (電気通信局長)、品川 萬里 (放送行政局長)

● 労働省
野寺 康幸 (総務審議官)、渡邊  信 (官房長)

● 建設省
伴  襄  (事務次官)、小野 邦久 (官房長)、小鷲  茂 (総務審議官)、橋本 万里 (総括監察官)、三沢  真 (審議官)、山本 繁太郎(文書課長)、五十嵐 健之(建設経済局長)、澤井 英一 (審議官)、風岡 典之 (審議官)、山中  敦 (技術調査官)、関川 紳一郎(総務課長)、木下 博夫 (都市局長)、倉林 公夫 (審議官)、伊藤 英昌 (審議官)、尾田 栄章 (河川局長)、吉井 一弥 (河川局次長)、平口  洋 (総務課長)、阿部  健 (水政課長)、佐藤 信彦 (道路局長)、板倉 英則 (道路局次長)、松井 邦彦 (道路公団、本四連絡道監)、峰久 幸義 (道路総務課長)、小川 忠男 (住宅局長)、那珂  正 (審議官)、亀本 和彦 (監理官)、小神 正志 (総務課長)

● 水資源開発公団
近藤  徹 (総裁)、安橋 隆雄 (副総裁)

● 地域振興整備公団
工藤 敦夫 (総裁)、柳   晃 (副総裁)

● 森林開発公団
塚本 隆久 (理事長)

● 石油公団
小松 國男 (総裁)、公文  宏 (副総裁)

● 新東京国際空港公団
中村  徹 (総裁)、佐々木 建成(副総裁)、永井 隆男 (理事)、皆合 達夫 (理事)、大山 克巳 (理事)、高橋 四郎 (理事)、小坂 英治 (理事)

● 首都高速道路公団
三谷  浩 (理事長)、岡本 堯生 (副理事長)

● その他
黒木 武弘 (福祉医療事業団理事長)、森  仁美 (年金福祉事業団)、木下 博生 (中小企業事業団理事長)、白井  太 (簡易保険福祉事業団)、尾崎  護 (国民金融公庫総裁)、安部  彪 (国民金融公庫副総裁)、坂本 龍彦 (環境衛生金融公庫理事長)、柳澤 健一郎(環境衛生金融公庫理事)、鶴岡 俊彦 (農林漁業金融公庫総裁)、藤原 和人 (農林漁業金融公庫副総裁)、角谷 正彦 (中小企業金融公庫総裁)、角南  立 (中小企業金融公庫副総裁)、望月 薫雄 (住宅金融公庫総裁)、伊藤 博之 (住宅金融公庫副総裁)、児玉 幸治 (商工中金理事長)、茶谷  滋 (元厚生省)

 01月26日、東京地検特捜部はあさひ銀行・第一勧業銀行・三和銀行・北海道拓殖銀行から贈賄を受け検査日程を漏らしていた大蔵省検査官2人を逮捕。03月05日、東京地検特捜部は、大蔵官僚2人を野村證券への収賄容疑にて逮捕。03月11日、東京地検特捜部は日本興業銀行・三和銀行から収賄を受け機密情報を流出させた日本銀行証券課長を逮捕。04月27日、大蔵省は民間金融機関に関する内部調査の結果を公表し、銀行局審議官の杉井孝(78)を停職、証券局長の長野庬士(あつし)(81)らを減給とする等、計112人(停職1人・減給17人・戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人)に対する処分を行った。大蔵省銀行局金融取引管理官、日本銀行理事鴨志田孝之、第一勧業銀行元頭取(元会長) 宮崎邦次(67自殺)が自殺している。杉井孝、長野庬士は弁護士で、長野庬士は当時の大蔵省の局長級の退職金は5000万円で、その退職金の一部を返上して大蔵省を去ることで、社会的制裁を受けたという形を整え、弁護士の高額所得者番付の10位以内に入った。
 平成13(西暦2001)01月06日、「大蔵省」は「財務省」と金融改編と改称をさせられた。

実録 バブル金融秘史 - 恩田 饒
実録 バブル金融秘史 - 恩田 饒

 同じ頃、東京都世田谷区の財団法人「道路施設協会」など関連企業6社の捜索も開始された。「井坂元理事と我が社は無関係なのに…」と職員たちは訝かったが、東京地検特捜部の狙いは別にあった。サービスエリア(SA)の出店権を独占していた道路施設協会は「日本道路公団の伏魔殿」、「利権の巣」と言われ、東京地検特捜部は多額の「闇資金」が政官界に流れた疑惑の解明 を目指していた。
 ところが10日後に道路施設協会の子会社社長、02月初旬には日本道路公団中国支社長が相次いで自殺。表沙汰にはならなかったが、中国支社長と同時期に技術系幹部も自殺 し、東京地検特捜部は「闇資金」の全容解明を断念した。
 日本道路公団は昭和38(西暦1963)年の名神高速開通時に大津に開設したサービスエリアが好評だったことを受け、自らサービスエリア(SA)事業を展開する積りだったが、大蔵省から「トイレ以外の施設の運営は認めない。」と待ったが掛かり、昭和40(西暦1965)年05月にガソリンスタンドなど施設の現物出資を行って道路施設協会を設立。日本道路公団法で子会社設立が制限されていたことから建設省(現国土交通省)認可の財団法人にした。
 道路施設協会は日本道路公団と二人三脚で事業を拡大していったが、昭和44(西暦1969)年05月に高岩迪資が理事室長に就任し、理事、常務理事へと上り詰めていったことで状況が一変した。「(道路施設)協会は元々健全な組織だったが、ある人物(高岩迪資)が実権を掌握して以来、次第に闇に包まれた組織に変わっていった」。そう言って元日本道路公団幹部は顔を顰めた。
 後に「(道路施設)協会のドン」と言われた高岩迪資は、ノンキャリアながらも建設省人事課長補佐として政官業にパイプを築いた。昭和39(西暦1964)年に建設省の「」に連座して退職したが、捜査当局の調べに完全黙秘を貫き、「組織を守ったことによって男を上げた。」 (元建設省幹部)

高岩君の件でありますが、高岩君は秘書官ではなくて建設省の官房の人事課で補佐をやっておりました。事実山本次官当時、次官の秘書的な仕事もやっておったようでございます。お辞めになりましたのは、山本前次官及び平井学官房長の両名に関します選挙資金の授受問題で、起訴になるかならぬかというふうな事件がございまして、その際高岩君は辞めております。

 高岩迪資に牛耳られた道路施設協会は、日本道路公団が財務報告を要請しても「うちは日本道路公団の子会社ではない。」と突っぱねるようになり、道路施設協会の関連企業が次々と設立された。高岩迪資本人も、協会の20周年記念誌「人道施設」の座談会で、「僕が言いたいのは、協会が関連会社を作ったことですね。(略)あれで人事の異動がだいぶはけるようになった。いろいろ言われても良かったと思います。」と自慢している。これにより「建設省→公団→関連企業」という天下りの連鎖が確立され、同時に資金の流れも不透明になった。平成07(西暦1995)年に高岩迪資が死ぬと、建設省は待っていたかのように関連企業改革に乗り出した。平成09(西暦1997)年度から、関連企業が随意契約で請け負っていた高速道路の料金徴収、保守点検、路面清掃など4事業に競争入札制度を導入し、平成10(西暦1998)年には、道路施設協会そのものも「ハイウェイ交流センター」と「道路サービス機構」の2つの財団法人に分割された。
 しかし、国会で道路施設協会の疑惑を追及した民主党の石井紘基(こうき)(61暗殺)衆院議員は「2つに分割されたことで天下り先が増え、事業が拡がった。見せかけの改革で、逆に焼け太りだ。」と批判した。平成14(西暦2002)年10月25日午前10時35分頃、石井紘基は、東京都世田谷区の自宅駐車場で在日朝鮮人伊藤白水(伊藤泉、本名:尹白水、東京都世田谷区三軒茶屋2丁目在住)(70)に、柳刃包丁で左胸を刺され死亡した。伊藤白水は、指定暴力団山口組系右翼団体構成員即ち代表の1人団体で、右翼標榜暴力団「守皇塾」の代表だった。石井紘基議員の左の中指は切断され、事件当日、石井紘基の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、未だに発見されていない。書類を取り出すために左の中指を切断したと考えられる。一般会計の4倍相当の金額を有する国会では審議されない、特別会計について質問する予定だった。平成17(西暦2005)年11月15日、最高裁第3小法廷(藤田宙靖(ときやす)(85)裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出したため、伊藤白水に対する無期懲役の判決が確定した。

安倍晋三暗殺_報道統制.jpg← 令和04(西暦2022)年07月08日午前11時31分、奈良県奈良市の近畿日本鉄道(近鉄)大和西大寺駅北口での安倍晋三(67暗殺)暗殺や令和07(西暦2025)年03月14日午後05時10分、東京都千代田区霞が関1丁目財務省の前の解体デモでNHKから国民を守る党党首の立花孝志(57)暗殺未遂事件を彷彿とさせる。

 日本道路公団が公表している関連企業は82社と5公益法人。日本道路公団だけで計405人が役員として天下っている。「道路のドン」、「ミスター道路」、「ミスター高速道路」の日本道路公団総裁藤井治芳(はるほ)(86歿)は民営化推進委で「8800人の社員が固唾を飲んで、自分たちはこれからどうなるんだろうと気にしております。」と述べるなど、事あるごとに「8800人」という数字を強調した。しかし、元日本道路公団幹部は「故意に組織を小さく見せようとしている。日本道路公団は関連企業を含めると4万人、非常勤を含めると8万人の巨大組織だ。」と指摘し、「関連企業を根本から整理し、透明性を確保しなければ本体を民営化しても立て直しはできない。」と訴えた 。藤井治芳は辞表提出を拒否し続け、平成15(西暦2003)年10月24日に日本道路公団法の規定によって解任された。解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴したが、平成18(西暦2006)年09月06日に「解任処分は相当である。」と、藤井敗訴の判決が下された。


 前述のように、因幡國鳥取近くの八東郡大御門村の外の村という部落に棲みついた朝鮮人石破一家は、石破市造が、大御門村長に選ばれた、次男二朗は、東京帝國大学法学部法律学科英法科を卒業し、異例にも内務省の警察畑から利権の巣窟建設省事務次官を勤め、鳥取県知事、参議院議員に上り詰めた。東京帝國大学法科大学独法科卒の農商務省・内務省官僚の金森太郎の長女の国語の教師和子と2女1男を作った。金森太郎の父、金森通倫(ポール・カナモリ)は、紅毛蠻賊アメリカ合衆国の侵掠の手先、邪教耶蘇教のカルトの日本破壊の工作員である。長女悠紀子(85)、次女美知子(84)は年子で、次女美知子と東京都千代田区で出まれた末っ子の長男茂は16歳の差がある。国語の教師和子の意向で、長女悠紀子、次女美知子は中学から私立の女子学院に進学し東京女子大文学部卒。悠紀子は国語、美知子は英語の教師になり、茂は、女だらけの教師一家の末っ子。
 石破茂の父石破二朗は茂の出生時に建設事務次官で48歳、母和子は39歳での恥かきっ子のため、二朗は病院へ行きたがらず、ノンキャリアの建設省人事課長補佐高岩迪資を病院へ代理の使い走りに行かせた。石破二朗は汚職と利権の伏魔殿の建設省の事務次官に君臨し、手下の高岩迪資を公私混同でこき使った。この高岩迪資は橋梁汚職事件、「金環蝕」九頭竜川ダム汚職事件、田中彰治事件から一連の黒い霧事件で暗躍した国賊で特別会計の利権の汚職の膿の中で10人以上の暗殺や自殺を装った他殺に関与あるいは情報を知る蠢いた毒虫で、ひいては大蔵省接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)や石井紘基暗殺を招いた。しかも、高岩迪資は、晩年にも道路施設協会に巣くい、「日本道路公団の伏魔殿」、「利権の巣、道路施設協会協会のドン」として国民の血税を吸い続けた。
 石破二朗は、内務省の警察畑から土木畑の経歴異例であり、鬼畜米軍GHQの掠奪の猟犬として国民の財産の隠匿物質資の摘発から、利権と汚職の巣窟建設省事務次官から政治屋に転進した。
この石破二朗が関わっていない訳がない。石破二朗の4代後の建設省事務次官が「金環蝕」九頭竜川ダム汚職事件の国会答弁にも出てくる山本幸雄であり、揉み消されて立件もされなかった。なにしろ、平気で暗殺の死屍累々悍ましさが特別会計の闇である。


〒680-0015 鳥取県鳥取市上町36 石破茂-1.jpg← 〒680-0015 鳥取県鳥取市上町36 石破茂邸

 反日カルト金森通倫(ポール・カナモリ)の孫娘が母親和子で、母と言って良いほど年の離れた姉悠紀子、美知子の女だらけの教師一家の末っ子。父親二朗は老いてからの待望の長男。世間体を忖度して、利権と汚職、犯罪の国賊を手下に公私混同して使い走りにした特別会計の国民の資産に巣くう鬼畜。茂が物心がつく頃には鳥取と言う裏日本の日本中で最も何もない県のお山の大将の県知事だった。

 正に、親の顔が見てみたい、この父にしてこの母にしてこの石破茂あり! ➡ 
石破茂と石破二朗

 家族や周囲から甘やかされ、最低限の食事作法や人間としての対人儀礼も躾られていない悍ましい嘘吐きクズで脳無しの賣國妖怪、石破茂が産声を上げた!!

 自己犠牲的な行為や寛大さといった崇高な性質を「善」、それとは正反対の自己中心性や暴力、破壊衝動などが「悪」である。万人が嫌悪する石破茂の悪行の源は「共感性の欠如」。感情処理や意思決定、衝動の抑制や目標の設定を助ける、扁桃体や眼窩前頭皮質といった領域を結びつける機能に障害があるとしか思えない。こんな片輪の気違い妖怪に見かけ上とはいえ、日本の最高権力を与えた自由民主党は悪魔の政党で、日本を破壊し、日本人を殺戮することを党是としている。

【超希少品】ブーフーウー/三匹の子豚/3匹のこぶた/ソフビ/NHK人形劇//当時物
【超希少品】ブーフーウー/三匹の子豚/3匹のこぶた/ソフビ/NHK人形劇//当時物

〒680-0015 鳥取県鳥取市上町36 石破茂-2.jpg← 〒680-0015 鳥取県鳥取市上町36 石破茂邸

 石破茂は伴天連教の幼稚園に入園し、講堂で「三匹の子ぶた」のテレビをみんなで見ていた時、オオカミが出てくると「怖いよー、怖いよー」と言って、茂は担任の教諭の後ろに隠れた。NHKの人形劇「ブーフーウー 3匹の子豚」のオオカミをここまで怖がる幼稚園児は少ない。甘やかされて育ったため、極度の臆病者で卑怯者!!大問題なのは、こんな卑劣で臆病な石破茂が国民の生命と財産を守る自衛隊などの最高司令官だという事だ!!!!石破茂は国民の生命や財産など一顧だにせず、保身のために逃げ回る不幸が訪れるであろう!!
 一刻も早い剔出が必要!!


石破茂首相「総理大臣のすること?」幼稚園時代を突如Xにて公開で国民混乱
https://www.jprime.jp/articles/-/34898?page=2
「首相は典型的な昔のオタクです。好きなことはいつまでも話し続けるけど、興味無いことは必要以上に語らない。しかも近寄り難い雰囲気と話し方ですので、一部の政治マニアからしか人気ありませんでしたし、党内でも人望がなかった。自民党の総裁選で負け続けたの理由の一つですね。自分からアピールするならもっと言葉を使わないとダメです」
 ちなみに鳥取で過ごしていた頃の首相はどんな子どもだったのだろうか。
「他の二世議員と違ってお父さんが国会議員から県知事へ転身したため鳥取で過ごしています。子どもの頃は今みたいな話し方ではなかったそうです。プラモデル作りと漫画が好きで部屋にたくさん並んでいたと聞いています。子どもの頃の写真をSNSにアップするなら、そうしたエピソードを加えるだけでも違ってくるのに」(全国紙政治部記者)

お気に入りの即席麺について、恍惚の表情で語る石破茂首相(本人インスタグラムより)
「やっぱりね、高校受験の時に食べた日清『出前一丁』。」

 ねばねばゲル石破茂は、戦闘機や軍艦のプラモデルが趣味の軍事オタク。東京と地元鳥取の間を敢えて鉄道で移動するなど、「鉄道オタク」と公言している。キャンディーズと南沙織の大ファンで、ラジオ番組で、彼女らの解散宣言に触れ「キャンディーズに及びもつかないが普通のおじさんに戻りたい。」と述べて話題になった。料理好きで、得意料理はカレーライス、ラーメンの文化振興を目指す議員連盟の会長も務め、各地で食べ歩いて自ら振興を図っていると抜かす。いずれも1人で時間を要する趣味で、国民の声を聴くべき政治家の対人関係から最も遠い趣味である。
 ねばねばゲル石破茂は、キャディーズの追っかけで、女性への粘着が異常な色気違い。銀座のクラブのホステスに言い寄り、そのホステスは閉口して店を変えたら、その新しい店を突き止めて追いかけて来た。支那、北朝鮮にハニートラップの女を要求した。特亜(支那南北朝鮮)に國を売り飛ばす賣國奴の極み。大平正芳(70歿)と同じく、アラブ人を虐殺している猶太教の分派で、全地球を侵略し、掠奪、殺戮、強姦、奴隷化の邪教、伴天連教徒。醜い気違い粘着。
 慶應義塾大学法学部の同級生で1年次の04月に、図書館で見掛けた女性に、「こんなきれいな女性が世の中にいたのか。」と一目惚れしたのが、妻の佳子(旧姓: 中村)であった。中村佳子(68)は、昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)取締役、昭和発電(昭和電工の系列会社)社長、大口自家発電施設者懇話会(JIKACON)会長などを務めた中村明(86歿)の次女。女子学院中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業後、丸紅に入社。中村明は新潟県出身、医師の中村安蔵・きいの六男で東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、昭和電工に入社し、東京都出身女子学院卒の博子(96)との間に長女百合子(70)日本女子大学卒と次女佳子の2女をなした。
 昭和電工は、昭和23(西暦1948)年に昭和電工事件(昭電疑獄)を引き起こした。復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために、大手化学工業会社昭和電工の日野原節三(88歿)社長が行った政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件。1948年(昭和23年)6月に発覚したが、収賄側としてGHQの下で日本の民主化を進める民政局(Government Section、GS)のチャールズ・ルイス・ケーディス(Charles Louis Kades、90歿)大佐ら高官の名前が取り沙汰され、チャールズ・ルイス・ケーディスは失脚。裏にGSの好敵手で反共工作を行っていたGHQ参謀第2部(G2)のチャールズ・アンドリュー・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby、80歿)少将と右翼の三浦義一(73歿)の暗躍があった。大蔵官僚福田赳夫(90没)(後の首相)や野党民主自由党の重鎮大野伴睦(後の自由民主党副総裁)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及んだ。栗栖赳夫(70歿)経済安定本部総務長官、西尾末広(90歿)前副総理が検挙され芦田内閣は総辞職をもって崩壊し、民主自由党の吉田内閣の成立を齎した。その後、前首相であった芦田均(71没)自身も逮捕されたが、裁判では栗栖赳夫以外の政治家は無罪となった。 新潟県東蒲原郡鹿瀬町(現阿賀町)の昭和電工鹿瀬工場がメチル水銀を阿賀野川に排出し、昭和40(西暦1965)年に第2水俣病が発覚した。
 石破茂が大学を卒業して三井銀行に就職する時に、中村佳子に「結婚を前提としてこれからもお付き合いいただけませんか?」と頼んだが断られた。「弁護士になりたいから法律学科に入ったのに、私と結婚したいから安定した仕事が良いと言って三井銀行にしたんですよね。そういうふうに人生の目標がコロコロ変わる人は私は嫌いです。」と言われた。その後、茂の父の石破二朗が死去したことを新聞報道で知った中村佳子が弔電を送ったことを契機に交際を開始し、慶應義塾大学のドイツ語クラスで出会って8年掛けて恋愛結婚した。その妻の佳子に、「あなたを政治家としては評価します。ですが、夫として父親としては評価できません。」と言われた。



 慶應義塾高等学校からエスカレーターで慶應義塾大学法学部法律学科卒。昭和54(西暦1979)年、三井銀行(現三井住友銀行)に「お預かり物のお客さん」としてコネ入行した。東京都中央区にある本町支店に配属した。入行に際して、三井信託銀行社長を務めた鳥取県出身の土井正三郎は、「昭和53年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました。その時私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています。」と述べている。
 石破茂と佳子は、昭和58(西暦1983)年に結婚し2女をなした。長女(38)は早稲田大学卒業、東京電力社員と次女。

妖怪石破茂.png 石破茂は2世の世襲政治屋でありながら、平成05(西暦1993)年、日本政界で世襲が多い理由について、「2世代議士が多いという理由はたった1つ、エコノミーだから、ということなんですよ。たとえば私の場合、昭和59(西暦1984)年の09月16日、父親の命日に鳥取県庁で記者会見をして、次期衆議院選に出馬する、と言ったわけですね。すると翌日の地元紙の朝刊トップに『石破二朗元知事の長男、次期衆院選に出馬』とバーンと出るわけです。で、私は1円の金も掛けることもなく鳥取県津々浦々に出馬の意向を伝えることができた。すなわち、名前の売り賃がタダ。同時に、あの親父の倅であれば、そんなにおかしなやつじゃなかろうという、そこはかとない安心感がタダ。ふつうの人が私よりどんなに優秀であろうが、志が高かろうが、そこのステージに到達するまでに、すでに何億円もかかるわけですよ。」、「金は無くても二世でなくても優秀な人材なら国会議員になれるということにしていかないと、やがて日本の国はおかしくなるよ、と。そのために政治改革、選挙制度改革をやろう、ということですよね。小選挙区制度になれば党対党の選挙ですから、党が金を出す。そして、選挙の費用は国費でもつ、と。我々は、優秀な人材を公募で集めるということも考えているんですが、選挙のために、田畑売り払ったり借金したり、というのでは誰も応募しませんよ。」と述べた。
 評論家気取りの石破茂は2世の世襲政治屋の利権を吸いながら、世襲政治の評論はしても実行する意欲も能力もない。共感性も協調性の欠如のない石破茂が最も就いてはならない職業が政治屋だった。「〜せねばならない」と他者を批判し、卑怯にも裏切りを繰り返し、いざその立場になあると、この恥知らずの無脳妖怪は、胆力も勇気も能力もなく、前言を翻し嘘を吐く、しかも利権や権力にしがみ付いて粘着し離さない。これが、悍ましく醜くく浅ましい賣國妖怪、石破茂である。
 昭和56(西暦1981)年、父石破二朗(73歿)の死後、父の友人であった田中角榮(75歿)が「お前が(親父の後に)出ろ。」と薦められ、昭和58(西暦1983)年01月に三井銀行を辞め、田中派(木曜クラブ)の事務局員となり政界入りを決断したが、昭和61(西暦1986)年07月には、田中派を裏切り、衆院選鳥取県全県区で中曾根派から立候補し当選。平成05(西暦1993)年に細川護熙(86)政権が誕生し、自民党が野党に転落した時に離党届を出して裏切り、新生党から新進党へ参加したが、小沢一郎(82)を裏切り自民党に復党。伊吹文明(ぶんめい)(86)から目を掛けられ伊吹派に入ったが裏切り、額田派に入ったが無派閥から石破派。
 賣國奴福田康夫(88)を支持し、賣國奴福田康夫内閣の防衛相の時、海上自衛隊のイージス艦「あたご」の漁船「清徳丸」に衝突事件で、海上自衛隊を責め、漁船が原因の事件で、「あたご」に回避義務がないにも拘らず、賣國奴福田康夫と共に海自を責め、海上保安庁の捜査の前に海自に命令して事情聴取をしたがマスゴミにこのことを批判されると海自に責任を押し付けたなど、海自自衛隊を裏切った。屑の害人賣國奴の宝庫、防衛相ではあるが、石破茂以外の防衛相は、海外派遣している場合、必ず現地入りしている。石破茂の防衛相時代は自衛隊をイラクに派遣をしていた。蚤の心臓で臆病で卑怯者の石破茂は「自分が死んだら困る。」と自衛隊幹部からの要請を断り、イラク派遣隊の現地視察を3回拒否(ドタキャン)しイラクに1度も行かなかった現地を知らない防衛相。北朝鮮による拉致問題にも向き合わず家族会も無視の人でなしである。麻生太郎内閣の農水相だったが、麻生おろしに加担し麻生太郎を裏切った。第2次安倍改造内閣で安全保障法制担当相就任を拒否し、地方創生担当相にごり押しでなったが、成果がなく地方を裏切った。安倍晋三を後ろから撃って安倍晋三を裏切った。



馬鹿印.jpg「スーツに革靴で登山」「イジるとふてくされる」 石破首相の「変人伝説」を支援者らが明かす
2025年02月03日
https://www.dailyshincho.jp/article/2025/02030557/
「慶應義塾大学時代からスーツ姿で授業に出ていたというのは有名な話ですが、実は今もスーツ姿しか見たことがない。私たちの間では“石破さんって皇室みたい”なんて冗談まであるほどです」
 後援会の70代男性も驚くような証言をする。
「昔、みんなで標高800メートルくらいの山に登って山頂のキャンプ場でバーベキューをしたことがあるんですが、その時も石破さんはスーツと革靴で登っていたね」
この「説」の真偽を確かめるべく、私は鳥取県議会を訪ねた。別館2階にある自民党議員控室で話を聞かせてくれたのは、ポロシャツに身を包んだ福田俊史県議だ。2011年に県議に初当選するまで、約15年にわたって石破氏の秘書を務めていた福田氏にこの都市伝説を伝えると、笑いながらこう言った。
「確かに私もスーツ姿以外見たことがありません。政治家でも普通は、議会が休みとか支持者の人と飲む時なんかは、今日の私のようにカジュアルな格好をすることもあります。でも、石破先生はいつもスーツで、どんなに暑い日でもネクタイをしっかり締めている」
 いくら国会議員とはいえ、そんな堅苦しい生活を続けていたら、さすがに息が詰まるのではないか。しかし福田氏によれば、「政治家・石破茂」にとっては、それが当たり前の日常だという。

ゴミはゴミ箱へ.jpg腐れ移民党.jpg

 日本國の癌の病巣、罪務省や害務省、狡牢省、悶禍省、呆務省、刑惨省、膿吸省、政治屋、猶太や鬼畜米英のDS(ディープステイト)。癌細胞が転移し生命の危機が訪れている。この危急存亡の時機に、政権党の不自由非民主党こと移民党の総裁選、即ち首相を決める選挙が不自由非民主党党員のみで行われた。
 史上最多の9人が立候補する乱戦となった自由民主党総裁選は。1回目の投票で高市早苗(64、当時63)経済安保担当相が181票(議員72票、党員109票)で1位、石破茂が154票(議員46票、党員108票)で2位。過半数を獲得した候補はなく、両者による上位2人の決選投票では、石破茂の215票(議員189票、都道府県26票)に対し、高市早苗は194票(議員173票、都道府県21票)という僅差だった。

 「40歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない。 」この言葉は、第16代アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーン(56暗殺)が残した言葉である。ココ・シャネル(87歿)は、「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値が滲み出る。」と繋げた。目があり、まともな判断力があれば、2人ともに醜く悍ましく日本國の首相に不適格だが、最もついてはならなかったのが、石破茂であった。


賣國奴とプーさん.png 「そこにおいて、では、当選をさせていただきました、そこにおいて掲げました政策が、私は当選をしたのだからこのとおりにやるということにはなりません。いや、なりません。いや、ええっと言う方が問題で、失礼、私はそう思う。
では、そこで当選をしたら、自分が掲げたこと、全て我が党はこれでやるというようなことを私どもの党はやったことがございません。私は何度も、総裁選挙というものは、自分が出る出ないは別として、経験をいたしてまいりました。私が当選したのだから私が選挙中に言ったことを全部実現するぞということは、それは私は一度も存じません。


 移民党首領にして非法治被占領地域利権酋長、悍ましい脳無し賣國妖怪石破茂は、白昼公然と、「公約は守らない。」と公言し、「嘘を吐いて構わないし、移民党は嘘を吐いてきた。」と、良心の痛みの欠片もない妖怪悪魔の石破茂は宣言した。

 道徳、倫理、宗教、法律、規範、文化、文明、・・・・紛い物とはいえ民主政治の全否定である!!!!!これに対し、引きずり下ろしも殺処分にも頭を踏み潰す者も現れない!!!!!

 ただこの事実を記すだけでも衝撃的な痛みを伴う!!
 日本は既に終わって存在していない。それが明らかになった!!!!!

 移民党の党是は、日本の破壊と日本人の殺戮!!!!!
 無為に殺されたくなければ、武器を取って戦い、しん日本を創建せよ!!!!!


 慶應義塾の蠱毒は枚挙の暇がない。こいつら低劣低能な賣國奴が日本を蝕んで破滅の向かわせている。
 最期の日に突き進む日本のハーメルンの笛吹き男になる次の妖怪は誰だ?


百鬼夜行と魑魅魍魎 (洋泉社MOOK)
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TBS「報道テロ」全記録: 反日放送局の事業免許取り消しを! (晋遊舎ムック)
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くまのプーさん猿.jpg支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その1 河野一家
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支那の賣國奴利権豚糞 九族誅殺すべき一族 その2 二階一家
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特亜の賣國奴利権政治屋 九族誅殺すべき一族 その3 中村一家
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生命と健康を奪い生き血を啜る人類の敵の悪魔 日本人1億2千万人を総実験動物化 九族誅殺すべき一族 その7 武見一族
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米支財に媚びる以外の知能のない低能低劣低級極まりない朝鮮蠻族賣國奴 九族誅殺すべき一族 その8 鮫島こと小泉一家
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米支財に媚びる以外の知能のない低能低劣低級極まりない朝鮮蠻族賣國奴 九族誅殺すべき一族 その8 鮫島こと小泉一家

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