2010年01月25日

「非武装中立」の見本 破綻国家ハイチ


 既に述べたが、ハイチは3大暴虐国、スペイン、フランス、アメリカに蹂躙され、1940年代から続くたび重なるクーデターその他の政変が繰り広げられた。1991年に成立した軍事政権が1994年に政権を返上し、アリスティドが大統領に復帰し、正規軍は解散させられた。これにより、陸軍、海軍、空軍の軍人達は復員することになり、軍は書類上のみの存在となる。さらに2009年の憲法改正により軍は憲法上では廃止される事となる。即ち、「非武装中立」になった訳だ。しかし、実質はコスタリカと同じくアメリカの属国で、外敵に対してはアメリカの抑止力が働く。

 ところが、政変の原因のひとつであった軍を解散させたアリスティド大統領は、2004年02月05日のハイチ解放再建革命戦線による蜂起を、既存の警察力のみで鎮圧することが出来ずに亡命する結果となった。そもそも、エスパニョーラ島のハイチがドミニカから分離したのは、非武装地帯になった現ハイチにフランスの海賊が入り込んで支配したためで、歴史を学ばない者に、同じような歴史が繰り返しただけのことである。

 「非武装中立」の結果、地震で無法地帯と化している。阪神淡路大震災のときも、村山富市や貝原俊民のように、社民党の妄想か、特亜への売国か、自衛隊への派遣要請が遅れ、無法地帯が現出した。

2010年01月19日 最貧国・破綻国家 ハイチでの略奪
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2010年01月19日

最貧国・破綻国家 ハイチでの略奪


 壊滅的な大地震に見舞われたハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)は18日現在、数百人の略奪者集団がうろつく街と化している。警戒にあたる警察官や兵士らの姿はまばらで、治安の悪化が懸念される。
 支援物資の配給が滞っていることから、略奪者の一部は食料や飲料を求める被災者たちだ。
 だが、その他の人びとは、無法地帯と化したポルトープランスの通りを、略奪目的でうろついている。彼らは自分で使ったり転売できる物品を探し歩いているのだ。繁華街のある布地店では、状態のよい布地や衣服類が、略奪者集団に強奪された。

■持ち主の目の前で繰り返される略奪
 略奪者が狙うのは商店に限らない。
 ある年配男性は、家財道具をとりに自宅に戻ったところ、家には略奪者が入り込んでいたという。家に入ることもできず、コメやパスタ、牛乳まで、ほとんどすべての所有物を持ち去られたという男性は、悲嘆にくれた様子だった。
 また、別の男性は、略奪者が周りをうろつくなか、妻が営む美容院の倒壊現場で、必死でパスポートと米国のビザを探していた。混乱が続くハイチを離れるためだ。すると、若い男女が近寄り、がれきの中からシャンプーや化粧品が入った箱を見つけ出した。男性は「それは俺のだ!」と声を上げたが、男女は箱を持ったまま逃げ去った。 

■警官の発砲で死者も
 市の中心部では、時折、見回りに来た警官1〜2人が、空砲を撃って略奪者を威嚇している。しかし、警察官に対して圧倒的な人数の略奪者は、一時的に退散して再び戻ってくるか、威嚇をものともせずに、略奪行為を続けている。

 予想通り、略奪が進んでいる。朝鮮進駐軍による略奪・殺人・強姦・暴行もこうだったのだろう。また、ハイチで略奪が横行するのは、社民党の掲げる非武装中立という売国政策のためである。ハイチには軍隊がなく、内戦でも、今回のような地震での略奪などの犯罪を阻止できないのである。小沢一郎・鳩山由紀夫の思惑通り、一連の主権売り飛ばしの売国法案が可決すれば、支那人・朝鮮人が闊歩する地獄絵が展開する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B
正規軍は既に無く、小規模な沿岸警備隊および国家警察が存在するのみである。

1940年代から続くたび重なるクーデターその他の政変が繰り広げられ、1991年に成立した軍事政権が1994年に政権を返上し、アリスティドが大統領に復帰した。その後、アリスティド政権の下で正規軍は解散させられた。これにより、陸軍、海軍、空軍の軍人達は復員することになり、軍は書類上のみの存在となる。さらに2009年の憲法改正により軍は憲法上では廃止される事となる。

皮肉なことに、政変の原因のひとつであった軍を解散させたアリスティド大統領は、2004年2月5日のハイチ解放再建革命戦線による蜂起を、既存の警察力のみで鎮圧することが出来ずに亡命する結果となった。

 各国が援助隊として軍隊を送っているのは、現地の自国民保護が一番の目的である。また、ハイチと国交がない支那(100万ドル+救援隊の派遣)が積極的で、臺灣(500万ドル+中華民国空軍C-130輸送機、救援隊、 緊急物資、医師団の派遣、これは日本に匹敵)と援助合戦をしているのは、南太平洋で繰り広げたように、援助によって臺灣との国交を断絶させようという汚い目論見のためである。
 また、ハイチはヴードゥー教が盛んで、遺体に対しての尊厳が強く、ヴードゥー教の儀式に則るまで遺体を触らせない者が多いため、多数の遺体が路上に置かれた状態になっているという。アメリカのテレビ伝道師、パット・ロバートソンは米CBNで2010年01月13日(現地)に放送された自身の宗教番組で「ハイチ地震は独立のため悪魔と契約した神罰だ。」と発言している。

 甘ちゃんの日本の国際緊急援助隊は、どうなるのであろうか。
 国益にも繋がらない、無関係なこのような国に命を掛けて、国民が疲弊している日本の血税をばら蒔いて何になるのだろうか。日本国内の産科・小児科に緊急援助隊を出すのが先ではないか。ハイチからの侵入に備えて屯田兵のように国境地域に移民させられたドミニカ移民保護ならまだ理解できるが。

 以前にも少し書いたが、ハイチの歴史を見てみよう。

 1492年以降のコロン(コロンブス)以降のスペインのイスパニョーラ島への侵略で、イスパニョーラ島に住んでいたアラワク人(タイノ人)が絶滅に追いやられ、労働力を補填するため、西アフリカから連れてきた黒人奴隷の国で、イスパニョーラ島の西部にフランス人海賊が侵入し、最終的に1697年のライスワイク平和条約により、イスパニョーラ島の西側が現ハイチのフランス領サン=ドマング、東側の3分の2がスペイン領サント・ドミンゴ、現在のドミニカ共和国となった。

 1789年フランス革命が勃発し、サン=ドマングの黒人奴隷とムラート(混血の自由黒人)たちはその報を受けたヴードゥーの司祭デュティ・ブークマンに率いられ、1791年に蜂起。トゥーサン・ルーヴェルチュール、ジャン=ジャック・デサリーヌ、アンリ・クリストフらに率いられた黒人反乱軍は白人の地主を処刑し、フランスに宣戦布告したイギリスとスペインが、この地を占領するため派遣した軍を撃退し、サン=ドマング全土を掌握。ルーヴェルチュールは1801年に自らを終身総督とした。ところが、奴隷制の復活を掲げたナポレオンが本国から派遣したシャルル・ルクレールの軍によって1802年に反乱は鎮圧され、和平協定を結んだが、騙し討ちでルーヴェルチュールを捕えフランスに送還し獄死している。ルクレールはルーヴェルチュールの捕縛後、ナポレオンに島の黒人の半数を抹殺するように書簡で訴えている。

 ところが、新たな指導者デサリーヌの下で再蜂起した反乱軍は、イギリスの支援を受けて、1803年にフランス軍をサン=ドマング領内から駆逐し、1804年01月01日に独立を宣言(ハイチ革命)。国名を先住民族タイノ人由来の名であったハイチ(アイチ)に変更し、ナポレオンに倣って皇帝として即位し、残った白人を追い出した。デサリーヌは1805年に憲法を制定したが、北部のアンリ・クリストフと南部のアレクサンドル・ペションらの勢力に圧迫され、1806年に暗殺された。後世、クリストフはハイチ建国の父と称せられる。

 クリストフによって世界で初の黒人による共和国、かつラテンアメリカ最初の独立国が誕生したが、南北の共和国に分かれて争い、南部の共和国の事実上の支配者ペションは農地改革でプランテーションを解体し、独立闘争の兵士たちに土地を分け与えた。その結果、たくさんの小農が出現した。一方、北部の共和国ではクリストフが王政を宣言。圧政を敷いた。1820年クリストフの自殺に伴い南部のペションの後継者、大統領ジャン・ピエール・ボワイエがハイチを再統一。

 1821年、イスパニョーラ島の東3の2のスペイン領サント・ドミンゴ(現在のドミニカ共和国)を支配していたスペイン人のクリオージョたちがスペイン人ハイチ共和国の独立を宣言し、コロンビア共和国への編入を求めて内戦に陥ると、ハイチは軍を進め併合し、以後1844年までイスパニョーラ島全島に独裁体制を敷いた。ボワイエはフランス艦隊から圧迫を受け、独立時にフランス系植民者たちから接収した農園や奴隷などに対する莫大な「賠償金」を請求された。結局ハイチはフランスからの独立の承認を得る代償として賠償金の支払いに応じた。この賠償金は長年借金としてハイチを苦しめることとなった。政府は奴隷制を復活させるなどしたが、経済は貧窮した。

 1843年、ボワイエの独裁に対しシャルル・リヴィエール=エラールが蜂起しボワイエを亡命させる。しかし奴隷制に対する農民反乱や軍人の反乱が続く無政府状態に陥り、1844年にフランスへの賠償金のための重税に苦しんでいた東部のスペイン系住民が、再度ドミニカ共和国としての独立を宣言。これに敗北して東部を手放すなど、内政混乱が続いた。

 この状況を収拾したのは元黒人奴隷で1791年の反乱にも参加した将軍フォースタン=エリ・スールークであり、大統領に就任したが後に帝政を宣言し、ファーブル・ジェフラール将軍の蜂起で打倒される1859年まで皇帝フォースタン1世として君臨し、国内に秘密警察の監視網を張り巡らせて圧政を敷き、隣国ドミニカへの侵入を繰り返した。

 スールークを追放したジェフラールは共和制を復活させたが、フランスに対する巨額の賠償金による経済の崩壊、小作農たちの没落、列強の圧迫、相次ぐ大統領の交代や内戦、国家分裂でハイチは混乱し続けた。1870年代末以降、まだ国家分裂や反乱は続いたが、ハイチは近代化への道を歩み始め砂糖貿易などで経済が発展し始めた。

 しかし、フランスへの賠償金は完済せず、またドイツによる干渉とハイチ占領・植民地化の試みも繰り返されたため、カリブを裏庭とみなすアメリカの警戒を呼び、1915年、アメリカは債務返済を口実に海兵隊を上陸させハイチを占領。シャルルマーニュ・ペラルト将軍などが海兵隊と戦ったが敗れ、数十万人のハイチ人がキューバやドミニカ共和国に亡命。アメリカ軍は1934年まで軍政を続け、ハイチの対外財政は1947年までアメリカが管理し続けた。1934年には世界恐慌の影響や、ニカラグアでのサンディーノ軍への苦戦などもあって、ハイチからも海兵隊が撤退。

 アメリカ占領以降、数人のムラートの大統領が共和制のもとで交代したが、経済苦境は続き1946年にはクーデターが起こりデュマルセ・エスティメが久々の黒人大統領となった。改革はムラートと黒人との対立など国内混乱を招いた。1950年、エスティメは憲法を改正して再選を図ろうとしたため、ムラート層や黒人エリートらによるクーデターで黒人エリート軍人、ポール・マグロワールによる軍事政権が誕生。再選を図ろうとしたことをきっかけに全土でゼネラル・ストライキが起こり、混乱する中1956年末に彼はクーデターで打倒された。

 1957年、クーデターで誕生した軍事独裁政権下で、民政移管と大統領選出をめぐりゼネストやクーデターが繰り返され政治は混乱したが、09月に行われた総選挙をきっかけに、黒人多数派を代表する医師でポピュリスト政治家のフランソワ・デュヴァリエが大統領に就任。彼は福祉に長年かかわり保健関係の閣僚も歴任し、当初は黒人進歩派とみなされ「パパ・ドク」と親しまれたが、翌1958年から突然独裁者に転じ、警察や国家財政などを私物化し近代でもまれに見る最悪の軍事独裁体制を誕生させた。デュヴァリエは戒厳令を敷いて言論や反対派を弾圧、秘密警察トントン・マクートを発足させ多くの国民を逮捕・拷問・殺害。1971年にデュヴァリエは死亡し、息子のジャン=クロード・デュヴァリエ「ベビー・ドク」が継いだ。国家財政が破綻しクーデターでデュヴァリエが追われる1986年までの長期に渡り、デュヴァリエ父子主導の下、トントン・マクートの暗躍する暗黒時代が続いた。

 1987年に新憲法が制定され、民主的選挙によって選出された左派のアリスティドが1991年に大統領に就任。しかし、同年、軍事クーデターにより、アリスティドは亡命。アリスティド支持派はハイチの進歩と発展のための戦線により多数殺害された。軍事政権は、国連及びアメリカ合衆国の働きかけと圧力を受けて、政権を返上。アリスティドは1994年に大統領に復帰した。1996年、アリスティド派のルネ・ガルシア・プレヴァルが新大統領になり、2001年には、再びアリスティドが大統領となった。

 2004年に入って武力衝突が発生。2004年02月05日「ハイチ解放再建革命戦線」が北部の町ゴナイーヴで蜂起した。1994年以降に国軍の解体が進められていたこともあり、反政府武装勢力に対し政府は武力で十分な抵抗することは出来なかった。02月29日、アリスティド大統領は辞任し、隣国ドミニカ共和国へ出国、中央アフリカ共和国に亡命し、アレクサンドル最高裁長官が1987年の憲法の規定に従って暫定大統領になった。アリスティド前大統領は中央アフリカ共和国においてフランス軍の保護下に入った(この顛末については、アメリカの関与も指摘されている)。三者評議会は直ちに賢人会議を立ち上げ、長く国連事務局にあったラトルチュを首相に指名、組閣が行われた。一連の動きに対し国連は臨時大統領アレクサンドルの要請に基づき多国籍暫定軍(MIF)の現地展開を承認し、03月01日には主力のアメリカ軍がハイチに上陸。04月20日には安保理決議1542号が採択され、MIFの後続としてブラジル陸軍を主力とする国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)を設立、治安回復などを図ることとなったが、数次の期間延長により2010年初頭現在も活動中である。2006年02月に大統領選挙が行われルネ・ガルシア・プレヴァルが51%の得票率で当選し、05月に大統領に就任。

 植民地、革命、帝政、内戦、侵略、米軍の占領、軍事独裁政権、反乱と、ここまで勢揃いした歴史はなかなかない。その結果、西半球(つまりアメリカで)での最貧国、北朝鮮並みの破綻国家となっている。とてもとても、民度など望めない。原因の大半は、スペインの侵略とフランスの植民地支配、アメリカの軍事介入と西欧暴虐国家の3拍子が揃っているためだ。とりわけ、抗議を暴力に訴える長い伝統があり、ベトナム戦争、カンボジア内戦とポルポト派の大虐殺、1961年になっても、アルジェリア人の非武装で平和的なデモ隊を警官隊が襲い、70〜200人を虐殺し数百人が負傷、死体をゴミ箱やセーヌ川に投げ入れるという虐殺、2005年に暴動が起こったりする、被植民地を破綻国にする、無愛想で嘘つきで自分勝手で自己中心主義、世界中から嫌われているフランスの悪影響が大きい。
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2010年01月18日

援助車両を襲撃・略奪



 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災のときも、朝鮮人が火事場泥棒の強盗・略奪・強姦を行う暴徒と化したため、日本人は自己防衛のため自警団を結成した。自警団と朝鮮人・支那人らとの衝突が発生し、虐殺も起きている。朝鮮人の日本の内地への渡航は禁じられていたが、不法渡航をして、日本人所有の家を借り、「日本は国まで盗んだじゃないか!家賃が何だ!」という屁理屈で、家賃は全く払わないのが、戦前の朝鮮人の間では常識化していた風習だった。その上、半年分の家賃に相当する金を「立ち退き料」という名目で払わなければならなかった。震災時に、マスゴミではデマが原因だと偏向報道をしているが、実際に井戸に糞尿を投げ入れたり、朝鮮人が火事場泥棒の強盗・略奪・強姦を行う暴徒と化した朝鮮人が出たことは事実であり、これがきっかけとなった。朝鮮人の死者233、朝鮮人と間違えられて殺された日本人の死者58人が出た。関東大震災までは、東京も治安が良く、一般庶民の家では、鍵をかけたりしなかったのだが、この後、鍵を掛けるようになった。
 1995年(平成7年)1月17日の阪神淡路大震災のときも、朝鮮人やヤクザの多く住む長田区など、貴金属や食料を狙った火事場泥棒の略奪や、援助物資の横領、飲料水や食料を法外な値段で売り付ける大阪あたりから来た者も出た。また、マスゴミは無視したが、ボランティアや若い女性が強姦された。しかし、海外のマスコミでは、略奪などがないと報道された。

 日本とアフリカから連れてきた奴隷の国、ハイチとでは、当然、略奪など犯罪の程度は違うのは当然だが、汚沢一郎のように支那・朝鮮に主権を売り渡して、支那人・朝鮮人の割合が多くなると、ますます地獄のような事態に陥る。実際問題、援助車両まで武装した暴徒から身を守るため、軍隊の援護が必要である。また、汚沢一郎などミンス党は、自衛隊を国連の常備軍に売り飛ばして、国際援助隊にするとか言っているが、難民が武器をもって略奪のため殺害に来たとき、日本の国際援助隊は、機関銃で薙ぎ払うことが出来るのであろうか?普通の国の軍隊は躊躇なく掃討する。

 率直に言って、お義理程度に支援すれば十分で、アメリカの縄張りで、歴史的にフランスの海賊が分捕った国なのだから、フランスが大規模に介入するのが当然で、日本の国益にもならないハイチに深入りするのは反対である。援助をしたい者は個人的に現地に行けば良い。主権を汚沢一郎などミンス党などに売り飛ばされようとしている日本国の行うことではない。

 以前にも書いたが、援助とか募金というのは、一大産業であり、ユダヤなどが使うお涙頂戴の詐欺なのである。募金なんかしても、ほとんどが途中で搾取され、現地の汚沢一郎みたいな現地の権力者がピンハネをしてしまう。現地に入るのは1割以下と考えた方が良い。
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2010年01月14日

死者10万人超 ハイチ地震


 1492年、侵略者クリストーフォロ・コロンボ (Cristoforo Colombo)= クリストーバル・コロン(スペイン語)=クリストファー・コロンブス(ラテン語)が上陸し、「小さなスペイン」(Hispañola)島と勝手に名づけた。2度の植民失敗の後、1496年にコロンブスの弟バルトロメ・コロンによってサント・ドミンゴが建設され、「新大陸」初のスペイン植民地となった。
 イスパニョーラ島を「発見」したとき、この島にはアラワク人(タイノ人)が住んでいたが、スペインの入植者によって金鉱山が発見され、奴隷として使役され、疫病と過酷な労働で四半世紀のうちに絶滅させられた。スペインは西アフリカの黒人奴隷を輸入して、これに置き換えた。
 イスパニョーラ島西部が無人状態になったところに目を付けたフランス人海賊が定住し、最終的に1697年のライスワイク平和条約により、イスパニョーラ島の西側は現ハイチのフランス領サン=ドマング、東側の3分の2がスペイン領サント・ドミンゴ、現在のドミニカ共和国となった。後は、中南米のお決まりの革命・内戦・米軍の介入・軍事政権と混乱の末、現在に至っている。メレンゲはドミニカで1840年代に生まれた。



 このハイチ地震が起こるまで、ハイチとドミニカが同じ島にある国だとは知らなかった。中南米はいつか行きたいとは思い、エスパニョール語を学んだが、本家のエスパニョールには2回行ったが、元々の動機になった中南米に行くという旅は未だ果たしていない。

 M7.0だが、東西に走る2つの断層のうちの1つ「エンリキロ断層」で起きた横ずれの直下型地震のため被害が大きくなった。それより、建物の耐震構造という考え方がないのが問題だろう。もし、被害を少なくしたいのなら、地球温暖化詐欺のCO削減の環境技術よりも耐震技術を世界で売った方が、世界中の現地の人の安全に繋がるし日本の国益にも叶う。

 また、こういう災害があるところにユダヤなどの「人の善意につけ込んだ」援助詐欺が蔓延ることに注意が必要だ。ユニセフや日本ユニセフ、赤十字にしろ、現地に届く資金は募金の1割未満(赤十字で3割と言われる。)だったりする。事務経費とか必要経費とか搾取、現地での賄賂や略奪とかでどんどん消えていく。本当に善意で募金したいと思う者は、直接現地に届けに行くのが一番良い。そうでなければ、善意の募金が、悪の勢力に資金源を提供していることになる。
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2009年12月17日

ライト兄弟の人類初の飛行の日 B787


 中型機、B787ドリームライナーは、ようやく初飛行が成功した。
 実は106年前の1903年12月17日、ライト兄弟が、ノースカロライナ州のキティホーク町にあるキルデビルヒルズで、人類初の飛行機、「ライトフライヤー号」の初飛行をした。

 B787ドリームライナーは、当初B7E7の名前だったが、支那暴虐五輪に間に合うように支那の航空会社が受注し、名前を末広がりの八のB787に変えさせた。3回も遅れて、やっと初飛行に漕ぎ着けた。小沢一郎がミンス党国会議員を大挙して支那に朝貢させ、ウイグル人虐殺の習近平を天皇と会見させた。この朝鮮人小沢一郎の暴虐は全国民の怒りを買っている。支那が絡むとロクなことがない。
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