2010年08月23日

チエンマイでタクシン派(赤服)の集会に潜入

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16日に非常事態宣言が解除されたタイ北部チエンマイ市で、タクシン支持派の市民数百人が市内の歩行者天国に集まり、03〜05月のクルングテープでのタクシン派集会の模様を撮影したCDを配布したり、シンボルカラーである赤い服を販売するなどした。タクシン派はまた、クルングテープの集会の強制排除で多数の死傷者が出たことに抗議し、路上で倒れこんだり、デモ行進。


Akafuku-3.JPG やっと休みが取れ、チエンマイに着いた。洪水で道は冠水、赤服(タクシン派)の集会に出くわした。
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2010年05月19日

タクシン派(赤服)の強制撤去

ルイウィトンのタクシン.jpg タクシン派赤服軍団は、タクシンの金で操られ、03月12日から、反政府集会を初め、セー・デーンらテロリストの狙撃により死傷者を出し続け、04月03日からは、タイの一等地ラーチャプラソンを占拠。やっと強制排除になった。暴行、銃撃、爆破、略奪そして放火を始めたテロリストである。

 インターネットで常に新情報を追っていると眠る間もなくなっている。早くカタが付いてくれないと、連日、寝不足で、健康を害しそうだ。

 こんな悲劇をよそに、後ろで操っているタクシンはパリのシャンゼリゼで末娘ペートーンターンとルイ・ヴィトンでお買い物(05月15日)。

 「特集 タイククーデター」1139版は写真以外は現時点まで完成。

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兵士をトラックから引きずり降ろし、撃ち殺すテロリスト‏(タクシン派)










 タクシン派の幹部は投降して特別待遇のようだが、タクシン派の暴徒の暴行・殺人・強盗・破壊・略奪は止まらない。20日もチエンマイ、ウドンタニーなど県庁が焼き討ちにあった。タクシン派武装軍団との内戦状態になった。そのため、22日まで夜間外出禁止令が1都23県に発令。

 四角い顔の男、タクシンの面の欲の皮が、パンドラの箱を開けてしまった。治安の全面回復は望めそうもない。

2010年05月15日

タクシン派の暴乱 2ケ月を過ぎ内戦化 そのころ、タクシン一家は海外で優雅な生活

 この十数年、休暇には訪タイをし続け、05月の連休に日本にいたことがなかった。1991年クーデターの1992年の血の5月事件の前にも、SARS騒ぎのときにも渡航を止めたことはなかった。

 ところが、津波の来る24時間ほど前の地2004年12月25日にプーケット空港にいたが、予定を変更し、チエンマイに飛んだ。今回もギリギリでタイ行きを断念した。

 2006年09月19日のクーデターに衝撃を受け、タイの軍事車輛の写真をネットで集め、「特集 タイクーデター」として、メインサイトにリンクしてから1134版を迎える。膨大になったので、「特集 1991年タイクーデター」、「特集 タクシン」、 「特集 タイの王朝」を分離した。

 更新は、いろいろな記事を素材に、誤字や間違いや表記の統一、原語に当たったりと(こんな事態になると、ツィッターまで覗いて)、結構時間が掛かる。こういう暴乱が起きる度にいきなりアクセスが増える。金にもならないので完全な趣味の世界だが、どんどん情報が加わるので、徹夜になったりする。タイクーデターとしては、最強サイトと自負している。自分で不明な点があると、自分のサイトを探しているくらいだ。

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 先日、NHKの「美の壺」という番組を見ていたら、「鎌倉 後編」で狂犬党委員長と同じ発音の名の胡散臭い詐欺師が出ていた。ホストが谷啓から、米兵とパンパンの息子に代わってから見る気がしなくなったが、詐欺師を出すとは思わなかった。本当に地に落ちたものだ。

http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file150.html
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E5%AE%AE%E5%85%83%E5%81%A5%E6%AC%A1%E3%80%80%E8%A9%90%E6%AC%BA%E5%B8%AB&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=

 13日にタクシン派の武闘派テロリスト、カティヤ(仇名がセー・デーン、赤い彗星)が狙撃されたが、、悪名高いテレ朝の番組は、「死亡」とか、「少佐」とかとんでもない間違いを平気で流した。死んでいないし、「少将」を「少佐」とは決闘ものの誤りだ。ルーピーぽっぽや悪相汚沢に脳味噌筋肉ヤクザ亮子やコケ屋雪子まで出てきて、国会で税金で悪事を行っている日本では「言葉」は記録に残っていても都合のよいように捏造できるものらしい。

 世界史において、「20世紀は、いやしい商人であったユダヤ人を勇敢な戦士にして、勇敢な戦士であった日本人をいやしい商人にした。」と言われる。

http://www.geocities.jp/cnxgeo/thaksin/thaksin.html
 タクシンの政治は、見かけは低所得者よりの政治で、大衆迎合型政策で貧困層や北タイや東北タイなどの地方で絶大な人気をもつ。また、経済政策は大胆である。しかも、このような政策は、タイの経済が好景気になったため、経済政策を中心に過大評価されている。タクシンの人気が高いのは、地方の有力者を掌握していることよりも、経済政策が功を奏していたからである。

(中略)

 タイの労働人口約3000万人のうち、所得税を払っているのは約700万人に過ぎない。4人のうち3人は直接税を払っていない。タクシン政権はこの差に目をつけ、高額所得者、企業から税金を取り、30B医療制度、100万B村落基金といった政策として、「税金」の存在を知らない人々にばら撒いた。こうして所得の再分配を行う一方、政権基盤の強化に成功した。しかし、タクシンが真剣に貧富の差の解消を考えていたのなら、強固な基盤を背景に、タイでタブーとなっている相続税の導入や教育改革などをすべきだったが、前者は論じられることもなかった。代わりに打ち出したのは、株式市場の育成振興、自由貿易協定(FTA)、国営企業の民営化などで、タクシンは会社経営を謳いながらこうした政策と自分の事業が一体化したような利益誘導を平気で推し進めた。

 タクシンの閣僚やタイ・ラック・タイ(タイ愛国)党の幹部には、副首相やエネルギー大臣などを務めたプロミン・ルートスリデート、情報通信技術省大臣を務めたスラポン・スープウォンディー、側近で運輸省副大臣も務めたプームタム・ウェーチャヤチャイ、農業省副大臣を務めたプラパット・パンヤーチャートラック(通称、アイ・カーンヤーオ)などといった元タイ共産党員が多く、地方の基盤固めに旧タイ共産党関係者を使い、元タイ共産党員を側近に任命している。タクシンは、30B医療などに代表される貧困層寄りの政策など、反共色が濃かった歴代政権とは一線を画した共産党よりの左派である。外交は「全方位外交」を装いつつ、かつてなかったほど支那寄りで反日。タイ・ラック・タイ(タイ愛国)党の支部が北京に開設できたほどである。


 詳細は、「タイクーデター」や「1991年タイクーデター」を呼んでもらうことにして、今回の赤服(タクシン派)の暴乱だけを説明してみよう。

 02月26日、タクシンのタイ国内資産766億B(約2300億円)をめぐる裁判で、最高裁判所は、職権を乱用による不正取得として、464億B(約1400億円)の国庫没収の没収を決めた。1991年のクーデターの前に国連演説に出ると、56個の大型スーツケースやトランクを国外に持ち出していたり、英領バージン諸島に移したりしているので、これは氷山の一角。

 これらは、日本のODAの10%(チャワリットがそれまでの3%を5%に撥ね上げたと言う。タクシンはその倍。)を懐に入れたりしたりして作ったもの。それだけではなく、例えば、スワンナプーム空港の資材を劣悪なものに替えたり、X線検査装置の賄賂、テナントを増やすためにトイレを少なくしたり、わざと、乗客を歩かせるため、空港内に交通機関は動く歩道のみにしたりと悪行は数えきれない。名古屋の「愛・地球博」のとき、タイ館が貧相だったのは、賄賂で建設費を抜いたためと言われる。

 03月12日にタクシンの金で、東北部、北部の貧乏な農民を1日500B(ボスが中抜きをするので手に入らない者もいる。)で、動員して、パーンファー橋で集会を開いていたが、クルングテープ在住の地方出身者、低所得者層が加わり、参加者は数千〜数万人で推移。04月03日からはクルングテープ最大のショッピング街であるラーチャプラソン交差点を占拠し、周辺のショッピングセンター、ホテルを休業に追い込んだ。

 政府は04月10日、UDDの別の集会場で強制排除を図ったが、兵士5人を含む25人が死亡、800人以上が負傷する激闘の末、UDDに撃退された。その後もクルングテープの各所で衝突、爆破・銃撃が相次ぎ、タイ政府によると、04月10日の衝突を含め、関連の死者は30人以上、負傷者は1400人以上に上る。

 赤服(タクシン派)は、最前列僧侶、第二列一般人、最後尾プロ軍人と、坊主に一般人を盾にしたテロリストで、完全排除に乗り出せない。しかも、赤服はAK47やMK79で武装している。こんな状況に追いやって、家族のポチャマン、長女ピントーンター、長男パーントーンテー、次女ペート ーンターンをシンガポールに逃がして、貧乏人を死地に追いやっている張本人がタクシン。タクシンはモンテカルロで紅茶を啜りながら、「民主化」だとほざいている(タクシン癌死亡説もある。)。両軍の衝突で死傷者が増加中であり、貧困層を煽って、死地に追いやっている。日本の民主党と同じやり口。

クーデターとタイ政治―日本大使の1035日

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クーデターの政治学―政治の天才の国タイ (中公新書)

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2010年03月17日

タクシン派(赤服)がタイ全土を血で染めたその頃、タクシンはモンテネグロで優雅にケーキとコーヒー


 日当2000Bで集めた参加者から献血させて、昨日は首相官邸前や民主党本部前、そして今日はアピシット首相私邸前で血をぶちまけ、呪いの儀式を執り行う。平安時代の陰陽師の猟奇の世界が現出した。タクシンが王朝を目指す支那人だから、タクシン派は赤服なのだが、実際に赤の血をぶちまけたら、生臭い血の臭いに覆われるだろうに、写真や映像だけでも吐きそうになる。

 ところで、赤服のお祭りの話ばかりだが、北部は旱魃の上に煙霧。しかも、支那がメコン河にダムを作って水を少ししか流さなくしている。遠くが全く見えない。この3月も1日としてドイ・ステープが見えた日はなかった。陰陽師を活躍させるのは降雨の方だろう。

 私事ながら、この14日の深夜便でタイのスワンナプーム空港から帰って来て、帰れないかなと思ったら、キャンセルも出ず満席。適当に荒れた方が快適だった。

 そもそも、タクシンのタイ国内の資産766億Bはクーデター後に凍結され、2010年02月26日、タイ最高裁は、首相時代の不正蓄財による資産464億Bの没収判決が下した。これを不服なタ クシンは赤服に大規模デモを03月14日に開催させた。ところが、逃亡先のアラブ首長国連邦(UAE)から国外退去を命じられ、モンテネグロに逃亡先を替えた。アラブ首長国連邦(UAE)は「タクシンが政治活動禁止違反を犯している。」として、タクシンの入国を認めない方針をタイに伝えている。家族も娘2人(長女ピントーンター、次女ペートーンターン)はドイツに、妻ポチャマンと長男パーントーンテーは香港に優雅に退避している。
パニット外相補佐官は、拠点としているドバイを13日に出発した「タクシンが14日にバルカン半島中西部のモンテネグロを訪れているとの情報の確認を急いでいる。」と明らかに。モンテネグロの地元テレビが、「タクシンがモンテネグロの中世の古い町、ブドヴァの豪華なホテルで、側近と共に、コーヒーとケーキを啜るのを楽しんでいる。」と報道。
外務省は、外交チャンネルを通じて報道の真偽を確かめているというが、在ハンガリーのタイ大使館にも確認を指示。タイはモンテネグロに大使館を置いていない。
タクシンは先週ドバイ(アラブ首長国連邦)を出てから行方が分からず、タクシン派の赤服軍団が大規模デモを開始したとき、雲隠れしていた。タクシンはモンテネグロのパスポートを持っていると信じられているが、市民権があるか不明。
タクシンの元法律顧問で元外務大臣ノパドン・パッタマは、「タクシンがモンテネグロに滞在中である。」と確認。しかし、「タクシンが政治活動禁止違反でドバイ当局から国外退去を勧告された。」との指摘に関しては、「事実ではない。」と否定。

 チナワット家は代々チエンマイ周辺の阿片やタイシルクなどのビジネスを手がける富裕な一族で、阿片利権を巡り、アメリカの諜報機関CIA(アメリカ中央情報局)の前身機関であるOSS(アメリカ戦略事務局)との関係が深く、アメリカの走狗なのだが、アメリカは「モンテネグロ滞在中のタクシンの電話会話の盗聴結果に基づき、タクシンがクルングテープを標的にした破壊活動の準備を指示した。」と赤服を操るタクシンをテロリストと断じて切ろうとしているようだ。

 主戦場のタイクーデターやタクシンのアクセスが増えていて、このブログはそっちのけ状態だった。詳しくは、下のサイトへ飛べば、1053.5版目のタイクーデターが見られる。我ながら、足掛け5年もよく続けたものだ。文系の博士論文くらい数報書けそうだ。事実、IPは取っているが(かつてチエンマイ関連で気違い作家に絡まれたので)、acやマスゴミのIPが多い。このサイトで博士論文を書いた院生も居るに違いない。アフェリエイトもお仕着せ以外付けていないのだから、我ながらお人好し過ぎる。

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2009年11月26日

S21 (トゥール・スレン)で1万5千人虐殺で禁錮40年求刑


 1万5千人殺して、禁錮40年だと、1人あたり1日をわずかに切る。1人の命が禁錮1日未満。なんとも納得が行かない。ポルポトの将軍が今のフン・セン首相で、タイと国境問題で揉めているのに、国際逃亡犯タクシンを経済顧問として招いたりで、タイと一触即発の事態になっている。カンボジアなどは、ポルポトの大虐殺で,まともな人間は死に絶え破綻し、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で漸く復興した乞食国の分際で、タイからの援助も打ち切られた。UNTAC以来、日本が最大の援助国だが、どこの国でもやっている紐付き援助の批判を恐れるあまり、空港や港湾などインフラの整備を行い、南鮮の企業に良いように利用されている。フン・センなどは、不届きにも日本のODAで作ったシェムリアップの浄水場を、南鮮の企業に水道公社の権利51%を転売しようとしたならず者である。日本の害務省はこんなフン・センに義眼を贈っている。



 以前にS21について、書いたものを邪腐ブログから引き移してきた。

ポルポト(クメール・ルージュ)の大虐殺 200万人

http://blogs.yahoo.co.jp/cnxgeo/23901820.html

S21.jpg S21 (トゥール・スレン)を9月に訪れた。初めてのカンボジアでここだけは外せない。結局、雨期で暑いのでアンコール・ワットは止めて、海岸のコンポンソム(シアヌーク・ビル)に向かったのだが。
 ベトナムと違って、人がまだマシ。S21 (トゥール・スレン)はプノンペン郊外などと書いてあるが、貧乏日本人の溜まり場のキャピタルホテルの近くなんだから、市の中心部である。
 雨期が終わりかけ、晴れてとにかく暑い。順路に従って左の建物から見ると、いきなり、拷問器具、拘束具だのが並び、下に血痕が残っている。熱い中を階段を登ったり降りたりで、フラフラになった。最後に入ったこの建物(写真を写した建物)の1階には、頭蓋骨が展示してあり、中に有名な頭骸骨と骨で作ったカンポジアの地図があった。もう疲れてしまって、怖いとかという感覚はなく、無感動で展示物に対した。こんなものをヒトの頭蓋骨で作ろうという意図が理解しかねる。メコン河とトンレサップ湖を頭蓋骨の上に赤ペンキを塗って表してあった。鬼畜米兵は、日本兵の骨でペーバーナイフを作るのが流行したり、ドイツでは、ユダヤ人の死体を原料とした石鹸を作ったりで、気違いのやることを理解できるのは、気違いだけだ。

 その赤い、ポルポトのクメール・ルージュは、S21 (トゥール・スレン)だけでも2万人。虐殺総数は200万人(ベトナム軍の傀儡政権は300万人と過大推計していた)と言われる。この数は、カンボジア人の4〜5人に1人が虐殺されたということになる。

> 2年9ヶ月の間に14,000〜20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が
> 分かっているのは7名)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送
> されたため生き残った女性一名が名乗り出た)。

 ポルポトを「メコンのヒトラー」などという別名で呼ぶが、ヒトラーの虐殺は50万人程度(なかにはユダヤ人が主張する1100万人というトンデモ説まである)だから、到底ポルポトの足元にも及ばない。ヒトラーを「ゲルマンのポルポト」と呼ぼう。

 しかし、上には上があり、スターリンが2000万人、毛沢東の文化大革命で7000万人〜2億人虐殺しているのだから、ポルポトは彼らには及ばないように見える。ところが、人口の4〜5人に1人を虐殺したポルポトは、人口比でいうと、ポルポトの圧勝である。それどころか、教育や文化を否定し、その伝承者や中核をになうべき人材を虐殺したのだから、ポルポト時代にクメールは死んでしまったと言える。

 ポルポトは、無線技術を身につけるためにフランスに留学した電気屋であり、ここに出てきたスターリンは、父親が靴職人で気象台にも勤めていたことがある。毛沢東は師範学校出だが、ケ小平はフランスで苦学の最中にルノーの工場で働いていた。朱鎔基は電気屋、胡錦濤は土木屋、温家宝は地質屋、不破哲三、志位和夫、鳩山由紀夫、菅直人ともに応物屋である。これらから言えることは、工学が政治に関わると、人類に恐ろしい惨劇をもたらしているということである。工学屋には、政治を禁じるべきだ。血の通った人間の利害関係の調整を血の通わない機械の修理のように考えるのであろう。部品が壊れたから取り替える。壊れた部品を捨てるように人間を虐殺してきた。
posted by cnx at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | SEA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする