2023年05月25日

地蔵尊と神社を破壊した兇暴ガンビア気違い狂信ムスリム、ママドウ・バルデ(29)処分保留で釈放で野放し

ガンビアの魔女狩り 西アフリカの野蛮性
http://cnxss.seesaa.net/article/133188678.html

ガンビア

ガンビアとは、先住民の言葉で「堤」の意。西暦15世紀ガンビア川河口に来寇したポルトガル人が、それを川の名と勘違いした。周囲はフランスの植民地に囲まれ、「堤」川の両岸20kmの金魚の糞のような国土をもち、アフリカ最狭小の1.1万㎢m(岐阜県の面積)。黒人奴隷を運ぶのに「堤」川が利用され、西暦18世紀末からイギリスが、奴隷と金の搬出のために植民地にした。
周囲のフランスの植民地、セネガルでは、西暦15世紀に来寇したポルトガル人がゴレ島に定住をし、その後オランダやフランスが奴隷貿易を引き継いだ。ゴレ島はセネガルの首都ダカールの沖合の小島であり、西暦15世紀〜19世紀まで「三角貿易」と呼ばれる奴隷貿易の拠点となった島です。 三角貿易とは、製品(武器など)・素材(蜜蝋、ゴムなど)・奴隷(労働力)を交換し合う諸国の取引のことで、約1500万人の黒人奴隷がゴレ島を経由して売られた。
セネガル川からガンビア川にかけてのセネガンビア地方は大西洋奴隷貿易の初期において、特に重要な奴隷供給地で、ガンビア川における奴隷貿易の主要な拠点はジェームズ島(現クンタ・キンテ島)であり、西暦1651年に要塞が築かれた。西暦1661年からはイギリスがジェームズ島を支配し、この島から送り出された黒人奴隷は3世紀の間で300万人に及んだ。ガンビア自体が鬼畜英仏の身勝手な植民地分捕り合戦で分けただけで、現在のガンビア領内から連れて行かれた奴隷の正確な数は不明。
アレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」、原作とするテレビドラマによって、ガンビアの奴隷貿易は広く知られるようになり、ヘイリーの先祖として描かれたクンタ・キンテはジェームズ島から奴隷として出航させられたという。西暦2011年にジェームズ島はクンタ・キンテ島と改名され、西アフリカの奴隷貿易の拠点、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」としてユネスコの世界遺産に登録された。

在名古屋ガンビア共和国名誉総領事館
https://gambia.jp/home/
住所
〒452-0822
愛知県名古屋市西区中小田井5-16 2F
電話番号052-684-5911または電話番号090-1725-1294
電子メール:gambianconsulatejapan@gmail.com.


在セネガル日本国大使館が、在ガンビア日本国大使館を兼轄する。
在セネガル日本国大使館
Sénégal
Ambassade du Japon
Boulevard Martin Luther King, Dakar, Sénégal
(B.P. 3140)
電話:(221)338495500
在セネガル日本国大使館は、在カーボヴェルデ日本国大使館、在ガンビア日本国大使館、在ギニアビサウ日本国大使館を兼轄する。



新版 アフリカを知る事典 - 小田 英郎;川田 順造;伊谷 純一郎;田中 二郎;米山 俊直
新版 アフリカを知る事典 - 小田 英郎;川田 順造;伊谷 純一郎;田中 二郎;米山 俊直

ママドウ・バルデ(29).jpg「ここで祈るな」「日本の神は認めない」ガンビア人の29歳男が神社で“大暴れ”…さい銭箱など次々破壊
https://news.livedoor.com/article/detail/24299256/
黄色い服を着た男が神社の境内に現れたのは、朝9時半ごろ。
男は一直線に歩いて行き、さい銭箱の前で足を止めた。
そして、左足で一撃。
さい銭箱を壊し、地面に落とした。
神戸市にある神社で5月3日に起きた事件。
器物損壊の疑いで逮捕されたのは、アフリカ・ガンビア人のママドウ・バルデ容疑者(29)だ。
この日、別のカメラには手を清める手水舎の竹筒を、力ずくで引きちぎるところも記録されていた。
当時参拝していた女性:
本当にみんな泣いてはりましたよ。なんちゅうことすんねん言うてね。
なぜ神社で犯行に及んだのか。
当時、ママドウ容疑者は参拝者に、興奮した様子でこう叫んでいたという。
瑞丘八幡神社 宮司:
自分が信じている神様だけが神様なので日本の神様っていうのを認めない。「ここで祈るな」 ということを言われたと(参拝者から)うかがっています。
調べに対し、ママドウ・バルデ容疑者(29)は、「何もしゃべりません。違法な逮捕です」と容疑を認めていないというが、この神社の近くにある地蔵菩薩を壊した疑いですでに逮捕されている。


 パヨク紙では、名前も隠蔽。

移民党岸田文雄(64)-1.jpg神社のさい銭箱など、蹴ったり投げたりして破壊の疑い ガンビア国籍の男を再逮捕 神戸・垂水
https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202305/0016387675.shtml
 神社境内のさい銭箱などを壊したとして、兵庫県警垂水署は23日、器物損壊の疑いで、神戸市垂水区に住むガンビア国籍の無職男(29)=処分保留で釈放=を再逮捕した。調べに「何も言うことはない。逮捕は違法だ」などと話し、容疑を否認しているという。
 逮捕容疑は3日午前9時半ごろ、瑞丘八幡神社(同区高丸1)の境内で、さい銭箱やちょうず舎に水を流す竹筒など計3点(約5万5千円相当)を蹴ったり、投げたりして破壊した疑い。
 同署によると、男がこの直後、同神社から南西に約350メートル離れた「池姫地蔵尊」(同区陸ノ町)の地蔵3体を壊したとして、同容疑で同署が男を逮捕していた。発生時間や場所が近接しているため捜査したところ、男の関与が浮上したという。


岸田文雄(65)TIME.jpg 移民党は、日本を壊し、日本人を殺戮する悪魔の結社。

 兇暴ガンビア気違い狂信ムスリム、ママドウ・バルデ(29)を送り込み、日本を壊し、日本人を殺戮する。

 移民党に野盗は、鬼畜米に支那、マスゴミと利権の犬。日本御経済成長と賃金を30年間停止し@国富を害国に売り飛ばし、増税・社会保険料引き上げ、給付削減。移民法に種子法、種苗法、差別法、ザイヌ法でパヨクと利権を吸い会い、水道法、農薬、添加物、武漢肺炎と毒ワクチンで日本人を殺戮している。

 日本は害人に甘く、家畜を盗んで食べたヴェトナム人も不起訴。パヨクに扇動された違法移民が勝手に死んでも大問題にする気違いマスゴミに政治屋が跋扈している。普通の国

 害人に土地や会社に技術を売り飛ばし、太陽光パネルで木々を抹殺し土砂崩れや毒物分散、風力発電風車で風邪を弱めて作物を。低周波騒音で住人を病気にし、電気料金に省エネ賦課金として徴収し害資に垂れ流している。売国害患誘致の枚挙の暇もない。

 直近でも移民党の大悪政は、変態利権法に、森林環境税国民1人当たりの人頭税を盗み、日本を棄て、海外に出る度に人頭税の出国税。日本を壊し、日本人を殺戮する。

 移民党は、日本を壊し、日本人を殺戮する悪魔の結社。





 八幡神社は、猶太の失われた10氏族の1つの末流の秦氏が建立した。アブラムの宗教のタナハの神、YWHWヤハウェ(ヘブライ語: יהוה‎、フェニキア語: 𐤉𐤄𐤅𐤄、古アラム語: 𐡉𐡄𐡅𐡄)の神が祭神。このテトラグラマトンは、逆らい続けたローマ属領の猶太人に業を煮やしたローマ軍のエルサレム攻撃で、読み方は不明。ヤーウェ、ヤーヴェ、エホバと読む宗派もいる。

 兇暴ガンビア気違い狂信ムスリム、ママドウ・バルデ(29)は、回教の神(アラブ語でアッラーフ(الله‎))を冒瀆したことになる。ガンビアみたいな辺境の無知な土人が、回教の神の神殿を壊した。

兇暴ガンビア気違い狂信ムスリム、ママドウ・バルデ(29)は、
タナハの神、YWHWヤハウェ=アッラーフの罰も当たる!!!!


バーミアンのの大仏(磨崖仏)
アフガンの気違い狂信ムスリム、ターリバーンがバーミアンの大仏(磨崖仏)を平成13(2001〉年に破壊した。

 日本以外の国では、神、神殿への冒瀆は死刑!!
 回教でもカリフの玉座の脇には死刑執行人が控える。現在の野盗のサウディアラビアでもそうだ。

 公法でなくても、私刑を下す。フランスやタイでも執行している。アメリカだろうとドイツだろうと同じだ。それを馬鹿でお人好しの日本は刀狩り、明治維新、鹿鳴館、アメリカ占領軍、移民党などの洗脳で牙が抜かれて、CD(預金支払機)に堕してしまった。

 それを野放しにする間抜けな國は日本だけで、ますます、特亜やアフリカから狂信気違いが犯罪を犯しに日本医入国してくる。

 日本を壊し、日本人を殺戮するのが、移民党と葬禍党と野盗!!!


エラワンの祠

 昭和31(1956)年、エラワン・ホテル(現在のグランド・ハイアット・エラワン・バンコク)の工事中に事故が多発し、作業員が「悪霊がいる。」と建設作業を拒否した。このため、ホヒンドゥーの神ブラフマーを祭るエラワンの祠とを設置した。踊りを奉納するため、タダでタイの舞踊が観れるので、ケチな観光客が集まっている。
 平成18(2006)年03月21日、タナーコーン・パックディーポンという気違い狂信ムスリム♂が祠を破壊するという事件が起った。このムスリムはその場で群衆に殴り殺された。警察は捜査をせず、不問にした。

これが普通の対処法。



外国人労働者の特定技能「2号」、ビル清掃・農業・外食など11分野へ拡大…自民党が了承
2023/05/23 11:41
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230523-OYT1T50138/
 自民党は23日午前、外国人労働者等特別委員会などの合同会議で、外国人労働者の在留資格「特定技能」のうち、在留期間の上限がない「2号」の対象を現在の2分野から11分野へ拡大する政府案を了承した。労働力確保が目的で、政府は6月にも閣議決定し、早期の導入を目指す。
 現行制度では、在留期間の上限が5年の「1号」の対象が12分野あり、このうち建設、造船・舶用工業の2分野が、2号の対象にもなっている。2号は在留期間の更新を重ねれば事実上の永住が可能だ。家族帯同も認められる。労働力不足に悩む業界から対象拡大の要望が寄せられていた。
 2号に追加されるのはビルクリーニング、素形材・産業機械・電気電子情報関連製造業、自動車整備、航空、宿泊、農業、漁業、飲食料品製造業、外食業。いずれも現在、1号の対象だ。1号のうち介護は、長期就労可能な別の在留資格があるため、2号の対象には加えない。
 政府は閣議決定で方針を定めた後、法務省令改正で対象を追加する。追加する9分野では、今秋から資格試験を始め、合格者には来年5月以降に2号資格を付与する予定だ。


「官民で投資4兆円」岸田首相が表明 アフリカ開発会議が開幕
2022年8月27日 21時24分
https://www.asahi.com/articles/ASQ8W733NQ8VUTFK022.html
第8回アフリカ開発会議(TICAD(ティカッド)8)が27日、北アフリカのチュニジアで始まった。新型コロナウイルス感染で出席をとりやめた岸田文雄首相はオンラインで基調講演し、アフリカを「ともに成長するパートナー」と位置づけ、今後3年間で官民あわせて300億ドル(約4兆円)を投資すると表明した。


増税岸田文雄(65).jpg



増税岸田文雄(65)、人頭税を新税で大増税!!!!


森林環境税
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/150790_18.html
森林環境税及び森林環境譲与税

 森林環境税とは、2024(令和6)年度から国内に住所のある個人に対して課税される国税であり、市町村において、個人住民税均等割と併せて1人年額1,000円が徴収されます。その税収の全額が、国によって森林環境譲与税として都道府県・市町村へ譲与されます。


愉快なガンビア建国記 (1968年) - バークレー・ライス, 杉辺 利英
愉快なガンビア建国記 (1968年) - バークレー・ライス, 杉辺 利英

アフリカ漂流〈6〉アフリカ乞食行 - 鈴木 正行
アフリカ漂流〈6〉アフリカ乞食行 - 鈴木 正行

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2020年10月10日

悪魔の連合国(UN)傘下の世界保健機関(WHO)、国連児童基金(UNICEF)、国際移住機関(IOM)、国境なき医師団(MSF)

 ただでさえ武漢肺炎で地球を腐界に追いやっている、悪魔の連合国(UN)傘下の世界保健機関(WHO)、国連児童基金(UNICEF)、国際移住機関(IOM)、国境なき医師団(MSF)が、凄まじく致死率の高いエボラ出血熱を建前に、薄汚い犯罪を行なっている。

 なにが、今年のノーベル平和賞が世界食糧計画(WFP)だ。


http://www.med.or.jp/doctor/kansen/ebola/003340.html
エボラ出血熱は、エボラウイルスによる感染症です。 エボラウイルスに感染すると、2〜21日(通常は7〜10日)の潜伏期の後、突然の発熱、頭痛、倦怠感、筋肉痛、咽頭痛等の症状を呈します。 次いで、嘔吐、下痢、胸部痛、出血(吐血、下血)等の症状が現れます。

WHO要員らが性的暴行か エボラ熱流行のコンゴで
https://www.47news.jp/5316294.html
 【ジュネーブ共同】ロイター通信は29日、エボラ出血熱が流行したコンゴ(旧ザイール)で支援活動をしていた世界保健機関(WHO)などの国際援助組織の要員が、立場を利用して性的暴行を行い、被害者が約50人に上っていると報じた。報道を受けてWHOは徹底した調査を行うと発表した。

 ロイターによると、被害はコンゴ東部ベニを中心に発生。援助機関での炊事や清掃の仕事と引き換えに、性的行為を強要されたとの証言が多くを占めている。加害者はWHOの他に国連児童基金(ユニセフ)、国際移住機関(IOM)、コンゴ保健当局や、国境なき医師団(MSF)の要員という。

ユニセフなど国連3機関、コンゴでの性的虐待疑惑で内部調査 エボラ流行支援中
https://www.afpbb.com/articles/-/3307647
国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)は9月30日、複数の職員がコンゴ民主共和国で女性らに性的虐待を加えた疑いが浮上したことについて、内部調査を開始したと発表した。国際移住機関(IOM)と世界保健機関(WHO)も、同様の疑惑で内部調査を実施することを先に明らかにしている。

 ユニセフは発表で、「ユニセフの職員とされる複数人が、コンゴ民主共和国において立場の弱い女性たちを虐待していたと報じられたことに、非常に衝撃を受けている」と述べた。何人の職員が内部調査の対象になっているかは明らかにしていないが「性的虐待が発覚した職員は全員、厳しい処分を受ける」としている。

 コンゴ民主共和国における虐待をめぐっては、IOMが9月30日、同国がエボラ出血熱の流行に見舞われた期間に、職員の1人が性的虐待と搾取を行った疑いがあるとして調査を行っていると明らかにしている。またWHOも9月29日、同様の発表をしている。

 これら国連(UN)3機関の発表は、ロイター通信(Reuters)の慈善団体「トムソン・ロイター財団(Thomson Reuters Foundation)」と「ニュー・ヒューマニタリアン(New Humanitarian)が1年かけて行った調査結果が、9月29日に公表されたことを受けたもの。

 これによると女性50人以上が、エボラ出血熱流行中に支援活動に当たっていたWHOや主要NGOなどの職員に性的に搾取されたと訴えている。性的な誘いを受けたり、仕事と引き換えに性的関係を強要され、拒否したら契約を破棄されたりした女性もいるという。

 これらの性的虐待は、2018年から20年までに起こったとされている。


新型肺炎感染爆発と中国の真実 中国五千年の疫病史が物語るパンデミック - 黄文雄
新型肺炎感染爆発と中国の真実 中国五千年の疫病史が物語るパンデミック - 黄文雄

黒リボン.png
武漢コロナウィルス旗.jpg

武漢肺炎(武漢SARS、病原菌名:SARS-CoV-2)からの予防法

シュウ・キン・ペイを避ける。
集(シュウ)
近(キン)
閉(ヘイ)


 我々人類は共通の目的のために結ばれる。我々人類は再び、自由のために戦う。

 圧政や弾圧から逃れるためではなく、生存をかけてだ。人類がこの地球に生きる権利を守るためにだ。

 我々人類は戦わずして、滅びはしない。我々人類は、支那とWHO絶滅の戦いに勝利し、生存し続ける。



武漢コロナウィルス感染の現状
https://graphics.reuters.com/CHINA-HEALTH-MAP-LJA/0100B5FZ3S1/index.html

特設サイト 武漢コロナウィルス
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/

チャートで見る日本の感染状況 武漢コロナウィルス
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-chart/


各国・地域における武漢コロナウィルスの感染状況
https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/country_count.html

武漢コロナウィルス(日本からの渡航者・日本人に対する各国・地域の入国制限)
https://www.anzen.mofa.go.jp/covid19/pdfhistory_world.html


 コンゴといえば、1000万人を超えるコンゴ人を死に追いやった悪魔、ベルギー王レオポルド2世の災禍にも見舞われている。今はなき邪腐ブログで書いている。

暴虐な悪魔 レオポルド2世のコンゴ 2008-11-10 18:44:25
https://ameblo.jp/cnxa/entry-12525399054.html?frm=theme

コンゴ 内戦と虐殺 2008-11-08 12:02:41
https://ameblo.jp/cnxa/entry-12525399053.html?frm=theme

暴虐の植民地から内戦と虐殺のコンゴ 2008-11-04 19:48:58
https://ameblo.jp/cnxa/entry-12525399040.html?frm=theme

ヒトラーよりヤバい! アフリカ内陸で最大3000万人を虐殺した“知られざる暴君”レオポルド2世の鬼畜ぶりがハンパない!
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201709_post_14463/
■コンゴ獲得にみせた執念

 1865年、ナポレオン戦争を戦い抜いた父の後を継ぎ、30歳の若さで即位したレオポルド2世は、独立間もない祖国の行く末を案じていた。

 その折に彼の目に留まったのは、隣国であるオランダが経営していた南太平洋の植民地である。そして、彼は確信する。国家の偉大さは、植民地から得られる資源に比例すると!

 旧支配国・オランダのプランテーションが生み出す莫大な利益が、レオポルド2世の野心に火をつけて、彼は海を隔てた領土を渇望するようになった。彼は議会で弁舌をふるい、未開の土地を手当たり次第に物色し、著名な探検家であるヘンリー・スタンリーのパトロンとなって報告を待った。

 そうした努力の結果、レオポルド2世はついに、暗黒大陸と呼ばれたアフリカの中心部に列強の手の及ばない空白地を発見し、その土地をコンゴ独立国と名付けて我が物としたのである。

■苛酷なノルマと弾圧

 帝国主義が幅を利かせていた当時、ヨーロッパ各国による海外支配は決して珍しいものではなかった。

 にもかかわらず、念願の植民地を手に入れたレオポルド2世が非難されるようになった原因は、コンゴが徹底して王の“私領”として扱われた点にある。

 レオポルド2世は自らのポケットマネーで土地を拓き、私兵隊を組織して現地の警備にあたらせた。支配は科学や慈善の名の下に偽装されていたが、手元にある資金が底をついてゆくにつれ、中世を彷彿とさせる無法なふるまいが横行するようになった。

 コンゴの産業の主軸はゴムの栽培であったが、現地の住民たちは度を越したノルマを課され、それを満たせない者は次々に罰せられていった。具体的な方法については、コンゴを訪れた宣教師たちが詳しく書き残している。

 ある記述には「十人ほどの住民に網をかけ、石を吊るして川に沈めた」とあり。別の記述には「切り取った住民の頭を柵に掲げ、十字架を模した晒し首にした」とある。

 さらに、コンゴの象徴として名高いものに、バスケットに山と積まれた血だらけの手首があった。これらは不足するゴムと引き換えに住民たちから回収されたもので、私兵たちの間では一種の通貨として機能していた。手首を上司のもとへ届けると、彼らは臨時の報酬にありついたり、任期を短縮してもらったりすることができたからだ。

 かかる惨状が新聞や書籍によって各国に伝えられると、コンゴ独立国はあざけりの意味を含め、いつしかコンゴ自由国(自由貿易の意)と呼ばれるようになっていった。

■歴史の授業から消えたベルギー王

 結局のところコンゴは、レオポルド2世の財産であり、ベルギー本国ではなく、彼個人を富ませたに過ぎなかった。またそのような意味で、彼はコンゴの指導者にはなり得ず、奴隷監督として君臨したにすぎなかった。

『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷 - 藤永 茂
『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷 - 藤永 茂
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2013年01月23日

ヨーロッパの支那朝鮮=フランスに食い込んだ日揮、平和惚けは日本国内しか通用しない

 平成25(2013)年01月16日、アルジェの南東1300qに位置する、イナメナス(إن أميناس‎、In Aménas)の天然ガス関連施設を国際テロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ機構( الإسلامي、、Tanẓīm al-Qā‘idah fī Bilād al-Maghrib al-Islāmī、英語:Al-Qaeda in the Islamic Maghreb、AQIM)」が襲撃し、人質拘束事件が起こった。17日、アルジェリア軍が作戦行動を開始。ヘリコプターで空爆するなどの攻撃を行い、21日、アルジェリア軍の特殊部隊が現場に突入、制圧して作戦は終了。この戦闘で685人のアルジェリア人労働者、107人の外国人が解放された一方、少なくとも23人の人質と、32人の武装勢力が死亡した。アルジェリア政府は、8ケ国の合わせて37人が死亡と発表。24日、日本人10人の死亡を確認。犠牲になった日本人は全員が日揮の社員と協力会社、派遣社員である。

 アルジェリアは、北アフリカにある国で人口の8割がアラブ人、1847年にフランスの一部となり、徹底的にフランス化された。1962年になってようやく独立を勝ち取ったが、それまでの激しい独立闘争で約100万人が犠牲になった。
 姉妹ブログ、cnxうぇぶろぐの「おフランス(aux France) その3」に詳しい。
https://blog.goo.ne.jp/cnxgoo/e/71327d71640ae6bbc0d0701edc8a51363
フランスの野蛮性の検証
〜西欧の朝鮮・東北アジアのフランス〜

 1961年10月17日、パリのど真ん中でアルジェリア戦争(1954〜62年)に反対する3万人のアルジェリア人の非武装で平和的なデモ隊を警官隊が襲い、70〜200人を虐殺し数百人が負傷、死体をゴミ箱やセーヌ川に投げ入れるという虐殺(Paris massacre of 1961)が発生した。
 10月06日に警官がアルジェリア民族解放戦線(FLN)に襲撃されると言う事件が起こり、パリ市警視総監のモーリス・パポンは「一発やられたら10倍にして返す。」と警官の葬儀の際に発言し、パリのアルジェリア人に対し、夜間外出禁止令を命じた。騒然とした緊張感が高まった17日の夕方、「アルジェリア人のアルジェリア」をスローガンに夜間外出禁止令への抗議デモを行ったところ、彼らに対する鎮圧は地獄絵となった。
 パリ市内の至るところでアルジェリア人に対する虐殺が行われた。虐殺を免れたアルジェリア人も逃げ場を失い、次々とセーヌ川に身を投じた。また死体もセーヌ川に捨てられ、セーヌ川は血の色で染まった。翌日パリ警察からの死者の発表はわずか2人。日を追うごとにセーヌ川の岸におびただしい数の死体が打ち上げられていったが、警察はこの死者の数を訂正しなかった。さらに酷いことには、この事件が起こったことは、1998年まで秘密にされてきた。
 アルジェリアが地中海を挟んだフランスに支配されたのは1834年。それ以来、フランスは130年近くに渡ってこの地を支配し、100万人以上のフランス人が入植し、アルジェリアを海外直轄県(オラン県・アルジェ県・コンスタンチン県)と称していた。日本の大東亜戦争によって、世界秩序が変わり、白人の圧政に対し、独立の機運が高まり、1954年にアルジェリア独立戦争が始まる。1962年まで続いたこの戦争はアルジェリアに約100万人、フランスに約10万人の犠牲者を出した。
 フランスは、アルジェリアを海外県として、「フランスの秩序を乱す内乱」と捉えていた。フランスがこの戦争を「内乱ではなく独立戦争である。」と認めたのは、戦争が終結して40年近く経った1999年のことである。
 多くのアルジェリア人がフランス人として戦争(普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、インドシナ戦争など)に駈り出された。第一次大戦の激戦地ベルダンでは1万5000人のフランス軍兵士が命を落としたが、そのうちの600人はアルジェリア人であり、イスラム教徒である彼らの墓には十字架は存在しない。アルジェリア戦争でも多くのアルジェリア人がフランスのために祖国と戦い、アルジェリアで命を落とした。
 アルジェリア独立戦争にフランスは敗れ、現在でも、アルジェリア出身と聞いただけで、フランス人は、敵意をその移民に抱くようだ。インドシナ戦争やアルジェリア戦争でのフランスの残虐行為は、言うまでもない。

 長く社会主義体制の独裁政権が続いた後、1988年ごろから民主化を進め、1992年の総選挙ではイスラム政党、イスラム救国戦線(الجبهة الإسلامية للإنقاذ、al-Jabhah al-Islāmiyah lil-Inqādh、FIS:Front Islamique du Salut)が勝利したが、軍部がクーデターを起こし選挙結果を無効としたため、反発したFISの下部組織、武装イスラム集団(الجماعة الإسلامية المسلّح、al-Jama'ah al-Islamiyah al-Musallaha、GIA:Groupe Islamique Armé)によるテロを頻発させ、アルジェリア南部や周辺のサヘル地域と呼ばれるサハラ砂漠一帯では、AQIMなど、多くのイスラム過激派武装勢力が活動している。
 1994年12月24日、GIAのテロリスト4人がエアーフランスの旅客機AF8969をハイジャックし、乗客220人と乗員12人を人質にし、フランスに収監されている仲間の釈放を要求。交渉に入ったフランス政府は、旅客機をマルセイユ空港に誘導した。2日後の26日17時頃、フランスの国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN、Groupe d’intervention de la gendarmerie nationale)は旅客機に突入し、テロリスト4人全員を射殺して人質を救出した。20分続いた作戦はテレビで生中継され、2010年に「フランス特殊部隊 GIGN(原題:L'Assaut)」で映画化された。マリもフランスの植民地だったが1960年に独立。フランスは、マリ政府の要請を受け入れて軍事介入。アルジェリアの武装勢力まで関わり、マリの反政府勢力は、「フランスが地獄のドアに入った。」と、決死の抗戦を誓っている。GIAは、エアーフランス機ハイジャック事件後、1995年にパリ市内で8度の爆弾テロを行っている。
 アルジェリアやその南にあるマリ、ニジェールなどでは独立を目指すトゥアレグ族(ベルベル系の遊牧民)の反乱が起きていた。もともと戦闘力に定評のある彼らはリビア内戦に傭兵として参加したことにより、革命に伴って流出した大量の兵器や戦闘経験といった軍事力を蓄え、マリで軍によるクーデターを機にイスラム国家の建設を目指して2012年にアンサール・アッディーン、西アフリカのタウヒードと聖戦運動(MUJWA)やAQIMと協力して反乱を起こし、マリ軍を追放して彼らの暮らすマリ北部(アザワド地域)の独立を宣言。しかし、トゥアレグ族組織(MNLA)と過激派が反発し戦闘が勃発、過激派がトゥアレグ族組織を打倒した。これにより、アザワド地域は事実上イスラム過激派の手に落ちる事態となっている。フランスなど欧米、アルジェリアを含むアフリカ諸国はトランス・サハラにおける不朽の自由作戦、欧州連合マリ訓練ミッション、アフリカ主導マリ国際支援ミッションなどによって間接的にマリ軍を支援してきた。そんな中、マリ大統領の要請に応えてフランス軍が軍事介入し、2013年01月11日にアザワド地域に攻撃を開始した(セルヴァル作戦)。

 こんな国に進出したのが日揮(旧日本揮発油株式会社、英語表記:JGC Corporation、JGCはJapan Gasoline Company)であーる。支那進出企業と全く同じ図式である。

 大東亜戦争の敗戦により、アメリカの属国となり、国際法違反の日本国憲法の前文と9条のお花畑により、日本政府は何もしてくれない。戦争やクーデターなど治安にかかわる事態となったとき、日本大使館よりアメリカ大使館に逃げこむというのが日本国民にとっての正解である。日揮は、こんな分かりきったことも無視し、利益優先で従業員を危険地帯に送り付けていた、日揮の経営陣の無知蒙昧、無為無策を断じるべきである。
日揮広報・IR部長遠藤毅.jpg 中期的には、憲法改正と邦人保護の国軍の派遣だが、短期的には、今回の事件を風化させないためにも、2次被害を防ぐためにも情報の公開が必要である。にも拘らず、日揮は「遺族に配慮して」という個人情報の保護を大義名分として、被害者の名前公開しないなど、隠蔽を策謀した。社長、役員ども、本社で安閑とせず、全世界の危険地帯を回って、派遣している従業員の状況を視察せよ。日揮の広報・IR部長遠藤毅などは化粧にアイラインまで入れている。どさ回りのマツケンばりのオカマが、サンバでも踊るかと、カメラ目線でステージで涙を流しているようだ。IRとはInvestor Relations。投資家の方しか向いていない。被害者は灼熱の砂漠で汗まみれになりながら銃弾や爆弾で焼き殺されたのを思うと怒り心頭である。

平和惚けは日本国内しか通用しない。


死亡が確認された日本人(敬称略)
新谷(あらたに)正法(ただのり)(66)、伊藤文博(ふみひろ)(59)、緒方弘昭(57)、川畑圭右(けいすけ)、木山聡(29)、後藤康次(やすじ)(59)、内藤文司郎(ぶんしろう)(44)、渕田六郎(64)、前川秀海(ひでみ)(60)、山田隆(72)
合掌

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130122/k10014981601000.html
伊藤文博さん(59)
死亡が確認された7人のうち1人、日揮の社員の伊藤文博さん(59)は宮城県南三陸町出身で、岩手県の一関工業高等専門学校を卒業したあと東京工業大学に進学し、博士課程を修了しました。
日揮では、アルジェリア開発プロジェクトの部長を務めるなど、アルジェリアの滞在経験も豊富で、長く現地の資源開発に携わってきました。
母校の後輩の育成にも熱心に取り組み、高等専門学校では、みずからの仕事の内容や技術者の心構えなどについて、たびたび講演していました。
伊藤さんは、野鳥の観察会の会員になってバードウォッチングを楽しむなど趣味も大切にしていたということです。
<母親“いちばん頼りにしている息子だった”>
宮城県南三陸町に住んでいた母親のフクコさん(82)は、自宅を津波で流され、仮設住宅で独りで暮らしています。
フクコさんは、まもなく60歳になる文博さんが、来月、還暦の集まりに出席するために地元に戻るという連絡を受け、文博さんに会うのを心待ちにしていたということです。
今月11日には、出張でアルジェリアに出発すると文博さんから電話がかかってきたということで、これが最後の会話になりました。
フクコさんは「こんなことがあるなんて思わなかった。今は泣くだけで何もできず、ご飯ものどを通らない。私の方がダメになりそう」と時折、涙ぐみながら答えました。
文博さんの人柄については、「電話が来たときに『しっかり食べてるか?』と気遣ってくれる、心優しい子だった。一番頼りにしている本当にいい息子だった」と落ち込んだ様子で話していました。
<友人“夢であってほしい”>
伊藤さんが、来月、出席する予定だった地元の還暦祝いの幹事の1人で、宮城県南三陸町の公立志津川病院の横山孝明事務長(59)は「還暦祝いに出席するという電話が正月に伊藤さんからあり、そのときは『会うことを楽しみにしている』と元気な声で話していました。世界で活躍していた人がこのような事件に巻き込まれることに憤りを感じます。伊藤さんと会えることを楽しみにしていたので、夢であってほしいです」と話していました。
伊藤さんの幼なじみで、小中学校で同級生だった宮城県南三陸町の職員、三浦源一郎さん(59)は「幼いころは家も近く、よく一緒に遊んでいました。中学時代の伊藤さんは頭がよく、ブラスバンド部でトランペットを吹いていました。なぜこのようなことが起きてしまったのだろうと思うとつらいです」と話していました。
また、同じく小中学校で同級生だった町職員の錦部泰子さん(59)は「来月、予定されている地区の還暦のお祝いで、久しぶりに会えると思って楽しみにしていました。世界で活躍されている罪のない方が、このようなことで亡くなることに憤りを感じます」と話していました。
<野鳥が好きだった>
伊藤さんは幼いころから野鳥が好きで、地元の野鳥の観察グループ「愛鳥会」のメンバーに加わっていました。
伊藤さんが30年ほど前、観察グループの創立30周年の記念文集に寄せた文章では、アルジェリアやマレーシアなどで見た鳥のことに触れていて、「このときほど鳥を見る楽しみに感謝したことはない。日本ではたまにしかお目にかかれない鳥も見たし、また、当然、日本では見られない鳥も見た。外国製の図鑑が鉛筆やボールペンの書き込みで、少しずつ賑やかになっていく」と記されていました。
伊藤さんと小学校時代からの友人で、野鳥観察の趣味を通じて交流していた宮城県南三陸町の三浦孝夫さん(64)は「アルジェリアの人質事件をニュースで知ったとき、まず、伊藤さんのことが頭に浮かびました。伊藤さんは小さいころからおとなしく、まじめな人で、鳥の観察力はずばぬけて優秀でした。大人になってからも、帰省したときは、私の家を訪ねてくれて親交が深かったので、今回のことはうそだと信じたい」と話しました。
また、三浦さんは「伊藤さんはアルジェリアに行った際、お土産に砂漠の砂を持って来てくれたり、砂漠にいる鳥の話をしてくれたりした。会社を退職したら、地元の南三陸町で一緒に鳥の観察をしたかっただけに、残念でなりません」と話していました。
渕田六郎さん(64)
亡くなった渕田六郎さん(64)は、昭和23年、鹿児島県肝付町で9人きょうだいの末っ子として生まれました。
兄の渕田光信さんによりますと、渕田さんは地元・鹿児島県の鹿屋市にある工業高校では空手部で活躍し、卒業後は大手建設会社に入りました。英語が得意で、長年、世界各地で現場監督などを務めてきました。
渕田さんは定年前に大手建設会社を退職していましたが、この年末に、帰省した際には、退職した会社からの依頼でアルジェリアに行くことになったと話していたということです。
<兄“本当に残念”>
渕田さんの兄で鹿児島県肝付町の渕田光信さんは(70)、22日朝、親族を通じてアルジェリアで六郎さんの遺体が確認されたと伝えられたということです。
兄の光信さんは、「兄思いの優しい弟でした。この年末に帰省していたときには、一緒にカラオケに行ったし、今度帰ってきたら、温泉に行こうという話もしたばかりでした。まさかこんなことになるとは思っていなかったので、本当に残念です」と話していました。
また、渕田さんの義理の兄で、鹿児島県肝付町の廻実義さん(73)は「突然のことだったので驚いています。本当に残念です」と話していました。

伊藤文博.jpg
http://www.ichinoseki.ac.jp/documents/40thAnniversaryKeynoteSpeech.pdf
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130124-00000004-asahi-soci
日揮最高顧問も被害か アルジェリア紙「死亡」5邦人名
 アルジェリアであった人質事件で23日、新たに日揮社員ら日本人2人の死亡が確認された。同社の最高顧問、新谷正法(あらたにただのり)さん(66)が事件に巻き込まれた可能性が高いことも判明。一方、地元紙は死亡者として日本人5人の氏名を報じている。次々に届く悪い知らせに関係者は言葉を失った。
 新谷さんが事件に巻き込まれた可能性は、日揮関係者が明らかにした。新谷さんは昨年6月、代表取締役副社長を退き、最高顧問に就任。アルジェリア事業を統括する立場で、現地での交渉に参加することも多かった。事件があったイナメナスの天然ガス関連施設には当時、出張で行っていたという。
 新谷さんを知る別の同社関係者は「アルジェリア事業は、会社が非常に大きいエネルギーを注いでいる事業。彼はその中心人物だった」と話した。
 一方、日本人5人の氏名は同日、地元紙シュルーク(電子版)が生年月日と合わせて報じた。同紙によると、死亡が確認されたのは、キヤマ・サトシさん(29)、イトウ・フミヒロさん(59)、マエカワ・ヒデミさん(60)、ゴトウ・ヤスジさん(59)、ヤマダ・タカシさん(72)。
 関係者の話では、5人は、人質になった木山聡さん、宮城県出身の伊藤文博さん、前川秀海さんの日揮社員3人と、後藤康次さん、山田隆さんの関連会社の2人とみられる。
 日本政府と日揮は事件で9人の日本人が死亡したと発表しているが、この5人が含まれるかは明らかにしていない。また、犠牲者の氏名などの詳細を公表していない。
■「帰ったら集まろうと…」
 「負傷した。襲撃犯らといる。状況は悪くない」――。この日、「死亡」と報道された木山聡さんは、武装勢力の人質になっていた際、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの電話取材にこう語っていた。木山さんを知る人は声を聞き、心配を募らせていた。
 木山さんは熊本県出身で長岡技術科学大学(新潟県長岡市)に進学後、入社。日揮によると、現場の監督役を任されていた。
 八代高専(現・熊本高専)で同級生だった埼玉県の男性(29)は事件後、他の同級生と電話やメールで連絡をとり合っている。同級生40人ほどの小所帯で、友人同士の結びつきは強い。「木山が無事帰ってきたら、みんなで集まろうって話をしていたんですが」と話す。


 次の日揮事件を防ぐためにも死者に鞭打つようだが、敢えて日本のお花畑に辛言を投ずる。新谷正法最高顧問(前副社長)、伊藤文博理事は、関連会社で殺された人たちと立場が全く異なり、自業自得と言える。
 朝鮮人テロリストに殺害された日本の初代総理大臣の伊藤博文公の名前をひっくり返して名付られたというのも、呆れるが、何より、日揮の理事で国際事業本部長代行でもある。新谷正法最高顧問、伊藤文博理事は、パニックルームを設置しておくとか、自前の警備員を警備させる、従業員に軍事教練を行うとか、最高幹部でもあり、提言できたはずであり、そういう立場の役職である。しなかった、あるいは実現させなかった無知蒙昧が自分の不幸を招いた。
 それを名前を公表しないとは、企業の姿勢が問われるものである。海外メディアでは公表している。たとえば、香田証生事件で名前が公表されていなかったとしたら、首チョンパ事件とでも言うのだろうか。日本政府は、キチガイ首相の小泉の「自己責任」一言で、一切の救出努力を放棄し、テロリストにより首を掻き切られて、映像までが世界中に晒された。名前があるのとないのでは、切実さが異なる。当人にとっても生きた証である名前すら報じられないでは、何のために生きてきて、灼熱の下で殺されたかわからない。次の被害を防ぐためにも、死体写真も掲載べきである。お花畑の国ではなにより必要である。

http://www3.nhk.or.jp/news/index.html?page=cat1
亡くなった新谷正法さん
日揮の最高顧問で、前の副社長の新谷正法さんは、東京の出身で、66歳。横浜国立大学工学部を卒業して昭和46年に日揮に入社しました。
日揮の元役員によりますと、新谷さんは国内での業務が長く、医療分野への進出など、新規事業に関するプロジェクトに数多く携わってきたということです。4年前の平成21年からは日揮の代表取締役副社長を務め、去年6月に副社長を退いて最高顧問となりました。新谷さんは副社長時代の3年前には大学で企業マネージメントに関する講義の講師を務めるなど、社外でも幅広く活躍していました。
日揮の元役員の男性は「新谷さんは頼りがいがある人柄で、若いころから将来を期待されていた人だった」と話しています。
関係者によりますと、新谷さんは事件が起きた今月16日に予定されていた、イギリスの石油会社の幹部らとの会合のため、現地を訪れていたということです。
新谷さんは24日、政府専用機が現地を出発したあとに死亡が確認されました。
“信念の固まりのような人”
日揮の元社員で、新谷正法さんより入社が1年早かった森口健二さんは、新谷さんの人柄について、「社内の会議などでは、自分の考えを臆することなく伝え、理路整然とした話ぶりだった。正義感が強く、信念の固まりのような人で、そうした能力があったからこそ、アルジェリアなど海外でのプロジェクトを成功させられたのだと思う」と話していました。
また、身元の判明につながった指輪について、「銀色の立派な指輪をつけていたのが印象的だった。おそらく奥さんと同じもので大切にしていたのだと思う。それで身元が分かったのだから『そのために現地に持って行ったのか』と思うと感慨深い」と話していました。
森口さん自身も2年間のアルジェリア勤務の経験があり、「アルジェリアには、みんなリスクを覚悟で赴いている。今回の事件は非常に残念だが、新谷さんにとってアルジェリアでの仕事は、国の発展を願って入社2、3年目から誇りを持って続けてきたものなので、悔いはなかったのではないかと思う」と話していました。

亡くなった緒方弘昭さん
佐賀県武雄市の緒方弘昭さん(57)は、地元や東京などで大工をしていましたが、12年ほど前から仕事場を海外に広げ、アルジェリアにも何度か訪れていました。今回は、東京の建設会社から日揮に派遣され、去年11月から3か月間の予定でアルジェリアで働き、現地では現場監督を務めていたということです。
妻の由利子さんによりますと、海外での仕事が多い緒方さんは、国内で過ごす時間を長くしたいと考えていたということで、去年、アルジェリアに出発する直前には「今回は行きたくない」と話していたということです。
事件の6日前の今月10日に電話で話したのが最後の会話になったということで、由利子さんは「夫は今までよく海外でよく頑張ってくれたと思います。夫には感謝のことばを伝えたいです」と話していました。
“優しくて仕事をまじめにする人”
緒方弘昭さんと小学校と中学校の同級生で50年来の友人という大宅輝記さんは「アルジェリアに行く3か月前にも緒方さんと自宅で酒を飲みました。緒方さんは優しくておとなしい人で、仕事もまじめに一生懸命にする人でした。海外では危険な場所に行くこともあるので、『気をつけないといけない』と話していました。最近は、『そろそろ定年で仕事を引退したら一緒に酒を飲もう』と話していました。こんなことになり、どうしようもできず、とても悔しいです。ゆっくり休んでくれと伝えたいです」と話していました。
緒方弘昭さんの地元、佐賀県武雄市の、同業の大工として緒方さんを20代の頃からよく知っているという緒方文悟さん(84)は「大工としての腕は良く、朗らかで指導に立つ人はああいう人がいいと思っていた。現場監督になり成功したのは、人柄がよかったからだと思う。亡くなったのは残念でたまらない」と話していました。

亡くなった川畑圭右さん
日揮の社員の川畑圭右さんは東京の出身で49歳。都立高校時代の担任の教師によりますと、昭和57年に都立高校を卒業後、横浜国立大学に進学し、日揮に就職しました。
高校時代はラグビー部に所属し成績もよかったということで、明るい性格でクラスの人気者だったということです。
高校時代の担任“クラスのまとめ役だった”
川畑圭右さんの高校時代の担任だった橋本健一さんによりますと、川畑さんは明るくひょうきんな性格で、クラスメイトをよく笑わせていたということで、「修学旅行のバスで教師のモノマネをして笑わせていたことが印象に残っています。積極的な生徒で自然とクラスのまとめ役になっていたので、世界を舞台に活躍していたのは納得できます」と当時の様子を振り返りました。
そのうえで「こんな事件に巻き込まれて死亡したということが、全く信じられない思いです。会社や社会を引っ張ってやりたいことを実現させる世代にさしかかっていたはずで、残念、無念と言うしかない」と話しています。

亡くなった木山聡さん
日揮の社員の木山聡さん(29)は熊本市出身で、熊本市内の中学校を卒業後、県内の高等専門学校の機械電気工学科に入学しました。高専時代は「電気研究部」に所属し、開発したロボットの技術を競う「ロボコン」の九州大会にも出場し当時の様子がNHKの映像に残されています。
高専を卒業後、新潟県にある長岡技術科学大学に進学し、大学院にも進みました。研究室で4年間、木山さんを指導した、長岡技術科学大学の名誉教授の石崎幸三さんは「木山さんは積極的な性格で、以前から海外で仕事をしたいと言っていた」と話しています。
石崎さんによりますと、木山さんは修士課程を修了したあと日揮に就職し、クウェート勤務などを経てアルジェリアに赴任したということです。石崎さんが木山さんに最後に会ったのは去年5月の研究室のOBたちとの旅行で、仕事も充実している様子だったということです。
木山さんは武装勢力に拘束されたあと、中東の衛星テレビ局の電話インタビューに答えたとみられていて、報道で声を聞いた石崎さんやかつての同級生たちは無事を祈り続けてきました。
高専の同級生“仲間として誇り”
木山聡さんと高等専門学校で同じクラスだった会社員の男性は「最悪の結果になってショックは大きいです。去年一緒にお酒を飲んだときには、暑い国から帰ってきたばかりで真っ黒に日焼けしていたが、とても元気そうだった。海外の危険を伴う地域で彼が仕事をしていたのは、高専時代から頑張ってきたことのあらわれだったと思うので、仲間として誇りに思います」と話していました。

亡くなった後藤康次さん
東京の建設会社の社員、後藤康次さん(59)は大分市出身です。
後藤さんは、以前、日本の別の企業がアルジェリアで進めていた高速道路の工事で、型枠大工として働いた経験がありました。
会社の関係者によりますと、今回は日揮からの要請で、半年ほど前から日揮のアルジェリアのプラントで働いていたということです。
後藤さんの親族は警察を通じてコメントを出しました。そこには、「日本から遠く離れた異国の地で突然殺害され、とても悔しかったと思います。私たちも突然の悲報を受け、驚くと同時に大変悲しんでいます。今は、少しでも早く家に連れ帰り、供養してあげたいと思っています」とつづられています。
大分市内にある実家の近所に住む70代の女性によりますと、後藤さんは5人きょうだいの3番目で、明るい性格だったということです。10年ほど前に兄が亡くなった際には喪主を務めたということで、ハキハキと力強くあいさつしていた様子が印象に残っていると話していました。
“まじめで仕事熱心”
後藤さんの知人の建設業の男性は「後藤さんは首都アルジェの高速道路の建設現場で働いたあと、いったん帰国し、半年ほど前から今回のプラントの建設現場で働いていると聞いていた。自分もアルジェリアで何度か一緒に酒を飲んだことがあるが、まじめで仕事熱心な一方、気さくで気持ちが優しく、とても明るい人だった。会社の社長からも信頼されていて、型枠の大工として数多くの海外の現場に派遣されていた。亡くなったと聞いてとても残念だ」と話していました。

亡くなった内藤文司郎さん
内藤文司郎さんは愛知県豊橋市出身で、東京の人材派遣会社から日揮に派遣され、去年10月からアルジェリアで働いていました。
内藤さんは、平成21年から22年にかけて別の日本企業がアルジェリアで進めていた高速道路工事の現場で働いたことがあり、現地での経験や内装工事の技術を買われて今回のプラントに派遣されたということです。
内藤さんは、25日に帰国して父親の誕生会を開くのを楽しみにしていたということで、母親のさよ子さんは、24日、「現実を受け入れなくてはいけないと思いますが、どこかから元気で出てきてくれるのではないかという気持ちが捨てきれません」と辛い胸のうちを明らかにしていました。
家族が遺体に対面
亡くなった内藤さんを日揮に派遣していた東京の派遣会社の稲塚博社長は、午前10時ごろ、羽田空港内の施設で内藤さんの母親のさよ子さんや弟の二郎さんとともに内藤さんの遺体に対面し、25日午後、報道陣に対してそのときの様子を語りました。
稲塚社長によりますと、内藤さんの表情は安らかで、寝顔のように見えたということです。母親と弟の2人は声を上げて泣きながらひつぎにすがりつき、「ブン、こっちを向いて、帰ってきて」と内藤さんの名前を何度も呼び続けていたということです。
稲塚社長は「弟の二郎さんは『母は兄がアルジェリアに残してきた魂を呼び戻したかったのだと思う』と話していた。また、二郎さんは『亡くなった原因が知りたい。体に銃弾が残っているならその銃弾が欲しい』と話し、肉親でないと出ないことばだと感じた」と述べ、心情を代弁していました。
また、稲塚社長は、内藤さんに「会社として何も守ってあげられず申し訳ありません」とおわびのことばを述べたということです。
内藤さんの遺体は、26日に実家がある愛知県に帰るということです。

亡くなった渕田六郎さん
渕田六郎さん(64)は、昭和23年に鹿児島県肝付町で9人きょうだいの末っ子として生まれました。
渕田さんは、鹿屋市にある工業高校を卒業したあと、大手建設会社に入社しました。建設会社では、得意の英語を生かして長年、世界各地で現場監督などを務めてきたということです。
渕田さんは定年前に大手建設会社を退職しましたが、退職した会社からの依頼でアルジェリアに行くことになり、日揮のプラントで働くことになったということです。
インターネットの交流サイトには「燦々と降り注ぐ星空を目指し世界各地で仕事をしている。日本には3〜4か月の休暇を利用して一時帰国。次はアルジェリアに行き、砂漠で星空を眺める事に期待を込め!!」などと書き込み、アルジェリアで仕事をすることを楽しみにしている様子でした。

亡くなった前川秀海さん
日揮の社員で神奈川県横須賀市の前川秀海さんは、北九州市出身の60歳。地元の工業高等専門学校を卒業したあと、日揮に就職しました。
高専時代はラグビー部に所属し、4年生と5年生のときには高専の全国大会で優勝したということです。卒業後もラグビー部の仲間たちとの交流を続け、おととし11月にも後輩たちの応援のために集まったということです。
友人によりますと、高専の入学式で新入生代表であいさつするなど、成績は優秀で、日揮に就職したあとは海外に行く機会が多かったということです。
“心に穴があいた気分”
前川秀海さんの高専時代のラグビー部の先輩の小出和男さんは「学生時代は多くを語らず、ラグビーのプレー中も黙々と確実にやるタイプでした。おととし11月にラグビー部のメンバーと顔を合わせたときにも、昔と変わらず淡々と話し、元気そうでした」と述べました。そのうえで、「近況を尋ねたら、本人から『最近は日本で働いています』と聞いていたので今回の事件には巻き込まれていないと信じていました。本人は悔しかったでしょう。こんな形で自分の後輩が亡くなり、心に穴があいた気分です」と声を詰まらせていました。

亡くなった山田隆さん
死亡した10人の1人、川崎市の山田隆さん(72)は、長年、プラント建設に関わってきた経験を買われ、今回、現地のプラントで働いているときに事件に巻き込まれました。
東京・日本橋の喫茶店の店主、西本春子さんによりますと、山田さんは多い時には月に数回、店を訪れていたということで、自分の仕事について、「石油プラントの建設などに長く携わり、海外にもたくさん行った」と話していたということです。
西本さんのもとには去年12月、山田さんからアルジェリアで働いていることを知らせる絵はがきが届いたということです。
西本さんは、「気さくで誰とでもすぐ仲良くなるすてきな人でした。家族のような感覚でお付き合いしていただけに、残念でことばがありません」と話していました。


敬称略
日揮の最高顧問(前副社長) 新谷正法(66) 横浜国立大学工学部建築卒。
日揮の理事、東京都港区 伊藤文博(59) 一関高専卒、東京工業大大学院化学工学。母フクコ(82)は津波の被害を受け仮設住宅で1人住まい。
日揮社員 熊本市出身 木山聡(29) 八代高専機械電気工学科卒、長岡技術科学大大学院修士課程終了。
一児の父。
日揮社員 横浜市 川畑圭右(49) 都立新宿高校卒、横浜国立大工学部土木卒。
日揮社員 神奈川県横須賀市 北九州市出身 前川秀海(60) 北九州高専卒。

建設会社派遣社員 佐賀県武雄市 緒方弘昭(57) 現場監督、大工。
東京の建設会社社員 大分市出身 後藤康次(59) 型枠大工。
派遣会社エーアイアル(http://www.ailltd.co.jp/it/recruit/president.html)社員 愛知県豊橋市出身 内藤文司郎(44) 愛知県立時習館高卒。横浜商科大中退。内装工事。
大手建設会社元社員 神奈川県藤沢市 鹿児島県肝付町出身 渕田六郎(64) 鹿児島県立鹿屋工業高校卒。現場監督。
川崎市 山田隆(72) 日本橋小伝馬町の喫茶店パリドールが行きつけ。石油プラント建設。
合掌

 日揮社員5人中、工業高専出身3人横浜国立大工学部卒2人。見事に2色だけに染め分けられ、これ以外はいない。残りが関連会社・派遣会社5人。危険手当が月に300万円と週刊朝日では報じている。高齢者が多く、原子力施設と同じく、使い捨ての駒扱いのようだ。アルジェリアのメタンは日本なんかに輸入されない。日揮は単に利益を追求しただけだ。日本にはアラビアやブルネイから輸入している。ヨーロッパ車が欧米では普通のガソリンだが、日本ではハイオク仕様になるのは、ユダヤとロックフェラーの石油地図で、日本には質の悪いアラビア産を強制しているためだ。実は、尖閣など花綵列島周囲にメタンは眠っているが、この開発は支那だけではなく、ダメリカの妨害もあるのだ。

 こういう事件があると、イスラーム教を悪くいう者が出てくるが、無知から出てくる暴論で、キリスト教やヒンドゥー教のような無茶苦茶な宗教よりイスラーム教の方が信用できる。イスラームの過激派というのはアラビア語も読めない者が多い。必須の聖典アル・クルアーンも読めないのだから真のムスリムとも言えないインチキムスリム。イスラームの過激派なんかというのは、現地で酒を飲んで乱暴狼藉を繰り返す武装愚連隊である。以前、パキスタンで、ムジャヒディンが暴れまくっているという情報があり、避けたこともある。人ごとではない。危険地帯の海外を1人で旅をしてきた中には、ライフルやショットガンを安全装置を外して突きつけられたことが何度かある。いつも、出来得る限りの安全対策をいつも講じているし、一応、官憲には抗議している。今も毎週アラビア語を独習しているし、イスラム教については研究所で集中講義くらいは受けている。アザーンくらいは唸れるし、これをやると、ムスリムに受ける。私的には、ダメリカ人よりイギリス人よりフランス人よりムスリムの方がマシだ。日揮なんかより、イスラームの味方なのは間違いない。知り合いのムスリムの友だちは間違いなくアルカイダだろう。イスラム過激派だろうと、同じ状況なら、一番最後に処刑される自信がある。後輩は某国税バラマキ機関で、意に反してイスラム圏専従で回っているので、死体で帰国するかも知れないのだ。

世界中、とりわけ、現在、支那に展開している守銭奴企業どもも同じ状況なのだが、本人たちは気がついていないか、深く関わり抜け出せないでいるようだ。

 安倍もどうせ日本なんか聾桟敷に置かれているのだから、支那包囲網のインドネシア訪問と声明を発表してから帰国してもらいたかった。参院選やマスゴミによる政局しか見ていないのでは、国益に叶っていない。
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2011年06月04日

赤ちゃん製造工場 ほんの200年前のアメリカ



 ナイジェリアで、「赤ちゃん製造工場」が摘発された。英語のニュースを当たると、買われた赤ん坊は黒魔術などに使われて殺されたり、売春婦にされたりしているそうだ。

 何と野蛮なと思うかも知れないが、歴史を知らないお花畑としか言いようがない。日本は明治維新で西欧列強の脅威に対して、開国、文明開化をするため、欧米の暗黒の歴史を封印してきた。それは敗戦後のアメリカによる占領下のWGIP(War Guilt Information Program)で徹底され、真実を騙った書籍は焚書され、今のマスゴミは東京裁判史観で洗脳を続け、真実は歴史の闇に葬られている。たとえば、日本の歴史教科書はキリシタンの宣教は西欧諸国の植民地政策と結びつき、キリシタンは日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えない。関白の豊臣秀吉は、バテレン追放令でこれを禁じ、外道のキリシタンを国外追放し、徳川幕府は有害なポルトガル、スペインとの交易を禁じた。国を完全に閉じたわけではないのに鎖国と大袈裟に言い立て、海を超えて、途中琉球を侵略した蛮族艦隊のペリーの黒船をまるで日本の開国の恩人であるかのように褒めそやしている。高橋是清はアメリカ留学の時に奴隷に売られた逸話も残っている。

 ほんの200年前のアメリカでは、西アフリカで黒人によって狩られた黒人奴隷がアメリカに売られてきた。途中の船の中はぎっしり詰め込むため鎖で繋いで棚に押し込め、嵐になると転覆を恐れて、黒人奴隷を嵐の海の中に鎖付きで放り込んだのである。アメリカでも牛馬のように酷使するため、黒人の男が死んで、黒人女の種付けのためにも困るようになった。そこは遊牧民族の毛唐で、農耕民族の大和民族には想像もつかない解決法を行った。白人農場主が黒人奴隷女に種付けを行って繁殖させたのである。南米の混血児や北米の黒人が祖国のアフリカの黒人より目鼻だちが整っているのは、先祖を辿るとどこかで白人農場主の種が入っているためである。2ドル紙幣にもなっているアメリカ建国の父、アメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)も大農場主で、黒人奴隷女に種付けをして、数人の子供を作っているのである。

日本人はこうして奴隷になった [単行本] / 林 秀彦 (著); 成甲書房 (刊)奇跡の日本史 「花づな列島」の恵みを言祝ぐ なぜわが国には奴隷制と宗教戦争がなかったのか?「反日マスコミ」の真実−日本を中国、韓国の奴隷にするのか?! (OAK MOOK 126 撃論ムック) [ムック] / 西村幸祐 (編集); オークラ出版 (刊)

 明治維新後に、日本に帰航したペルー人が買いつけた支那人奴隷が乗っているのを見つけ抗議して支那人を開放したのも日本であり、この当時、毛唐は日本人が奴隷を売買している毛唐を軽蔑しているのに驚いている。日本という国がこの地球上になかったら、いまも奴隷が売買されているに違いない。この一点だけでも、日本文明の崇高さを誇ることができる。

 ところが、今では朝鮮土人に乗っ取られ、アメリカ毛唐に洗脳され、民は上から下まで身近の利益ばかり追い求める愚民と化している。日本人の特有の清しいという感性との全く正反対の汚ればかりが積み重なり、嘆かわしい限りだ。

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2010年06月27日

南アフリカの警察署 流し台・ドアまで完全略奪

南アフリカ・ヨハネスブルク(Johannesburg)西部のカールトンビル(Carletonville)で、改装工事の完成間近の警察署に窃盗団が侵入し、新品の「台所の流し台」を始めとする、あらゆる物品を根こそぎ奪い去る事件が発生した。

 あらゆるものを喰い尽くすイナゴ(蝗害)や、ヒトを含めあらゆる生物を攻撃して喰い尽くすアルゼンチンアリそのものである。南部アフリカは、非常に凶暴で電線まで食いちぎるツヤオオズアリや殺人蟻のヒアリの原産地であり、これらは侵略的外来種として、、国際自然保護連合 (IUCN)が警告を発している。ヒトの方は、以前に「世界最兇の犯罪都市 ヨハネスブルグ」で述べているが、日に日に被害者が増えている。こんなところに、無知な観光客が訪れては行けない危険地帯である。たとえ、豪華ホテルであっても。このバンドラの蓋を開けたのは,ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ(コサ語: Nelson Rolihlahla Mandela、1918年7月18日〜)であるが、果たして、「希望」は偏在している鉱物資源しかない。
http://cnxss.seesaa.net/category/7302829-1.html

 もっとも、サッカー(フットボール)の起源は、イングランドの敵将の首級に対する蛮行から始まったのだから、野蛮なのはどっちもどっちなのだが。
http://www1.plala.or.jp/minami/main05.html
サッカーの起源は勝利の雄叫び?
サッカーの起源はイングランドと言われています。8世紀頃のイングランドでは、 戦争で相手国の将軍の首を取ると、勝利の雄叫びと共に切り取った首を蹴って、その勝利を称えたといいます。

 この野蛮なサッカーを金儲けに利用しようとしたのが、朝鮮ドラマを垂れ流し、朝鮮・支那に媚びる売国洗脳マスゴミの巣窟=電通なのである。

日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘

日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘

  • 作者: 濱口 博行
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2010/06/11
  • メディア: 単行本



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