2022年01月16日

天の怒り、地の滾り フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ海底火山の噴火で、日本に8千kmを津波が走る

トンガの地理

 ニュージーランドが北北東に領有したケルマディック諸島とボルネオ、セレベス、ニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツ、フィジー東南東の線の交点に位置するのがトンガ王国で、人口の74%は首都ヌクアロファ(Nukuʻalofa)のあるトンガタプ島(Tongatapu)に居住している。

トンガの歴史

 12世紀までに、トンガ人とトンガの大酋長=Tu'i Tonga(神聖王)の存在は、ニウエからティコピア島まで知れ渡っていた。
 15世紀と17世紀には、内戦が勃発し、この時期の1616(元和02)年、ヨーロッパ人として初めてオランダ人のウィレム・スホーテン (Willem Schouten))とヤコブ・ルメール((Jacob Le Maire) がトンガにやって来た。ジェームズ・クックは、1773(安永02)年、1774(安永03)年、1777(安永06)年に、また最初のロンドンの使節は1797(寛政09)年、メソジストのウォルター・ローリーは1822(文政05年)に来航。ジェームズ・クックの来航は、トンガがイギリスの保護国として組み入れられる第一歩である。

 「トゥイ・カノクポル(Tu'i Kanokupolu)」という「首長」の称号を持つ家系の子孫であるタウファアハウ(Taufa'ahau)により、ポリネシア人の王国として1845(弘化02)年に統一された。彼は、首長の称号の Tu'i Kanokupolu(トゥイ・カノクポル)を持っていたが、伝統的な信仰を捨て、プロテスタントの洗礼を受け、キリスト教へ改宗。洗礼名「ジョージ王((King George)」。トンガでは島にポリネシア人が入植した遥か昔から連綿と続いてきた神聖王 (トゥイ・トンガ)の家系が伝統的な権威として存続し、その末裔の39代目のトゥイ・トンガが、ラウフィリトンガ (Laufilitonga) 。ラフィリトンガはカトリックへ改宗し、カトリック勢力から銃器の供給を受け、最初はジョージ王に対して優勢に戦いを進めた。しかし、ジョージ王はプロテスタント勢力(メソジスト)からラフィリトンガを遥かに上回る量の銃器を入手し、血みどろの抗争の末にラウフィリトンガを破り、この結果、有名無実と化していた神聖王(トゥイ・トンガ)は滅亡し、ジョージ王として新王朝を開いた。こうして、トンガの聖俗二重王権構造(神聖王としてのトゥイ・トンガ王朝と首長として実権を握るトゥイ・カノクポル王朝)の構造は終った。

 1875(明治08)年に、使節のシャーリー・ベーカー (Shirley Baker) により憲法が制定された。日本の大日本帝国憲法(1889(明治22)年よりも早い。現在の憲法もこの当時の改定憲法である。法典を整備し、トンガを立憲君主国として宣言した。奴隷を解放し、また法典、土地保有、出版の自由を大事なものとして扱い、そして首長(国王)の権力を制限した。 1900(明治33)年にトンガは、友好条約の下でイギリスの保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2代目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領化は、3代目の君主のサローテ・トゥポウ3世(サローテ女王)が亡くなる前に結ばれた条約の下で行われ、1970(昭和45)年まで続いた。トンガは1970(昭和45)年にイギリス連邦に参加し、1999(平成11)年には国際連合に参加。植民地化の波に晒されたにも関わらず、トンガはたまたま現地人の自治が続き。このことは太平洋の国では珍しいことで、彼らの誇りとなっている。

武漢コロナウィルス旗.jpg 1984(昭和59)年に 外貨獲得のためトンガのパスポート販売を合法化する国籍法制定したが、1988(昭和63)年に違憲判決。以後政府関係者が売買利益で私腹を肥やしていると批判が高まる。1985(昭和60)年、所得税率均一化と消費税導入案を政府が発表、同時期に政府に批判的なアキリシ・ポヒヴァ大学講師解雇事件が重なり、アキリシが新聞を創刊して民主化運動が始まった。1991(平成03)年、 日本の無償資金協力によって建設中だったファアモツ国際空港のターミナルビルが完成。同年、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の弟)が、1965(昭和40)年以来就任していた首相を辞任。前年の総選挙で当選したアキリシ・ポヒヴァらの民主派が1984(昭和59)年、国籍法の改正を図るも否決、反発した民主派議員の呼びかけで大規模デモが発生した。1998(平成10)年に共産支那の工作により、台湾と断交して共産支那と国交を結んだ。

 日本の害務省、国際協力機構(JICA)は、アジアやアフリカ、太平洋の国々に無償援助や有償援助(といっても踏み倒された事例が多い)で空港、港湾、高速道路などを、増税に次ぐ増税で搾り上げた日本国民の血税で行い、土人国の有力者の賄賂に消え、政治的不安定を助長している。しかもどこの国でも自国企業を使うのだが、紐付きという批判を異常に嫌い、敵国の朝鮮や支那の企業を使い、できた施設は、世界の悪魔の支那に利用されている。東アジアは北京空港、上海空港、ハノイ空港、サイゴン空港、ジャカルタ空港、プノンペン空港、ウィエンチャン空港、スワンナプーム空港、‥‥と首都から地方まで日本の国富を棄て、敵国支那の侵略に役立てるATMと化している。しかも一部の敵性国では日本の援助を隠され、その国の国民には感謝もされていない。

 移民党がこの77年行ってきた在日や穢多、ザイヌのばら撒き構造と同じで、日本国民の血税を世界の悪魔のために供している。


 2001(平成13)年01月、ウルカララ王子が首相に就任。2002(平成14)年02月、政権に批判的な新聞への強権を行使するトンガ政府へニュージーランドが警告を発した。2003(平成15)年、政府と議会は反政府的な新聞の排除を企図して新聞条例を可決。首都ヌクアロファで大規模デモ。これを憂慮したニュージーランドが開発援助の見直しを示唆したが、新聞条例は施行。
 2004(平成16)年05月、国営航空会社ロイヤル・トンガ・エアライン倒産。観光業に打撃を受けて経済不況に突入。また国内線立て直しでツポウトア王太子の経営する航空会社へ独占的に運行権を認めるかどうかでウルカララ内閣は対立し、解任されたエドワーズ副首相代行(元警察大臣)ら3名が民主派へ合流した。2005(平成17)年01月、王太子経営の電力会社の料金値上げに対し、値下げと国王退位を求めるデモが起った。国王批判までに民主化運動が激化。07月 公務員によるストライキが発生。以後デモや放火事件、ストライキが散発的に発生。10月、民主化運動に対し、議会はツポウトア皇太子のいとこ・トゥイペレハケ王子を委員長として政治改革国民委員会を創設。政府による政治改革プラン策定に動いた。2006(平成18)年02月、首相のウルカララ王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の三男)が辞任。国王後継を争う第1王子ツポウトア王太子の圧力があった。後任は初の改革派民選首相となるフェレティ・セベレ。
 07月05日夜 アメリカ合衆国カリフォルニア州の高速道路で、18歳の少女が運転する車が暴走し、同国のトンガ人部落に向かっていたトゥイペレハケ王子夫妻と王室関係者が乗る車に激突。暴走車を運転していた少女は無事だったが、トゥイペレハケ王子、カイマナ妃、運転手他同乗の2名の王室関係者が死亡。王子は王族出身ながら民主化促進の立場で、民主化運動による国内対立を仲介を期待できる唯一の人物と見られていた。
 09月 タウファアハウ・トゥポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア王太子が王位を継承し、ジョージ・トゥポウ5世。11月16日 改革案が閣議で可決されるもデモ隊の一部が暴徒と化し暴動に発展した。死者7名。(ヌクアロファ事件)11月17日 ジョージ・トゥポウ5世は戒厳令を発令。鎮圧の為にオーストラリアとニュージーランドに軍の派遣を要請した。2007(平成22)年01月 ヌクアロファ事件の扇動罪でポヒヴァやエドワーズを含む5名の民選議員が逮捕、起訴された。
 2007(平成19)年04月、戒厳令一部解除、首都では継続。2008(平成20)年08月、動乱により延期されていたジョージ・トゥポウ5世の戴冠式が挙行された。2009(平成21)年05月 ヌクアロファ事件の扇動罪で起訴されていた民選議員が無罪となった。エドワーズ議員のみ裁判が延期され、2010(平成22)年に取下げた。12月 民選派は政府に融和的になったポヒヴァへの反発で結束が緩み、トゥイヴァカノ貴族院議員が首相に就任した。
 2012(平成24)年03月、ジョージ・トゥポウ5世死去し、トゥポウトア・ラバカ王太子(前述の元首相ウルカララ王子)がトゥポウ6世として即位。2014(平成26)年11月、アキリシ・ポヒヴァが首相に就任。2015(平成27)年07月04日 トゥポウ6世の戴冠式を挙行。

 アメリカの独立記念日に合わせたのか。恥ずかしい英国人風名前と言い、国旗と言い、土人国トンガの現在を表している。

トンガ国旗.jpgトンガの国旗

 南太平洋のトンガに伴天連教徒のこの間抜けな旗は、王室および大半の国民はプロテスタントのメソジスト派に帰依しており、キリストの血の色である赤で十字架を現していた。のちの1864(元治01)年に制定された赤十字旗が酷似していたため変更を余儀なくされ、1875(明治08)年に現在の国旗が制定された。

 この30年来、日米欧の援助や資金、技術を盗んで血膨れした暴虐支那の侵略が進んでいる。

 選挙制度改革を経てトンガで民主化が進んだのは2010(平成22)年で、首相のポヒヴァは民主化運動のリーダーだった。一方、今も大きな影響力を持つ王室は支那との関係が深く、「トンガ支那友好協会」の会長を王女。支那からトンガへの援助は2006(平成18)年から2016(平成26)年までで総額約1億7200万USドル(豪ロウィー研究所推計)に上る。無償援助もあるが、長期の低金利融資も多い。IMF(国際通貨基金)などによると、対外債務は今や国のGDPの半分近くに上るが、大半が支那からの借金。首相は、その元本の返済が始まる。
 商売では今や支那人が卸売りや小売りの8割以上を独占し、ヴァヴァウの中心街に並ぶ日用品店を切り盛りしているのは、ほとんどが支那系。昔はトンガ人経営の店もあったが、ここにはほとんどなくなった。首相の言葉は俺たちの実感そのもの。2006(平成18)年に首都で暴動が起き、支那系の店が焼かれた。トンガに暮らす「支那人」は数千人で人口の3〜5%というが実態はつかめない。
 首都ヌクアロファでは、海岸通りに聳えるのは完成したばかりの政府合同庁舎で、支那が無償で建設し、首相府や財務省などが入る。玄関に「チャイナ・エイド 支那援助」と記されたプレートが光る。その向こうには、巨大なモニュメントが立つ「ブナ埠頭」。支那が全額を低金利融資し2012(平成24)年に完成したこの埠頭は大型客船とともに軍艦も入港できる大きさと深さをもつ。
 同じ海岸の東側では、日本が33億円を無償で援助し、国内輸送船用の埠頭を新設。豪州、ニュージーランド……。道路や施設のあちこちに支援した国名を書いた表示があり、「大国」の視線を集める太平洋の姿を示していた。
 太平洋の島国に対する支那の存在感は経済援助を通じて急速に増している。先進国の場合、経済協力開発機構(OECD)の原則に沿って、所得水準や返済能力によって融資できるかを決めるが、支那にはそうした制約はない。豪に拠点を置くロウィー研究所は独自の調査で、支那の2006(平成18)年からの10年間の援助額を17億8千万USドル(約2千億円)と推計。1位の豪州(77億USドル)で、支那は、2位の米国に迫る額。当然、各国の債務は嵩み返済帳消しや期限延長の交渉をせざるを得ない。ロウィー研究所の調査した援助は支那を承認した国が対象だが、支那の謀略は国交のない国々でも観光客や民間投資という形で侵略が進んでいる。


贈与とふるまいの人類学: トンガ王国の〈経済〉実践 - 夏子, 比嘉
贈与とふるまいの人類学: トンガ王国の〈経済〉実践 - 夏子, 比嘉


フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ(トンガ語: Hunga Tonga-Hunga Haʻapai)

 フンガ・トンガ島とフンガ・ハアパイ島はハアパイ諸島の一部で[6]約1.6kmの距離、それぞれの長さが約2kmで主に安山岩で構成されている。1616年(元和02)にオランダ人のウィレム・スホーテンとヤコブ・ルメールが見て、1777年(安永06)に、イギリス人、ジェームズ・クックはハアパイ諸島を数度訪れた。 2009(平成21)年のトンガ海底火山噴火により出現した海底火山が、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ海底火山である。

 2009(平成21)年03月16日、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ近くの海底火山噴火により蒸気、煙、軽石、灰が海上数千フィートに吹きあがった。03月21日、トンガの地質学者ケレピ・マフィ(Kelepi Mafi)は溶岩と灰が無人島のフンガ・ハアパイ島と沖合約100mの場所から吹き出ていると報告。噴火によりこの2箇所の隙間が埋まり、数百uの面積がある新しい土地を作り出した。噴火によりフンガ・ハアパイ島が灰に覆われて荒廃、植物と動物が全滅した。この噴火は世界中から注目を集め、2009(平成21)年のテレビ番組「アングリー・プラネット」でも言及された。

 2014(平成26)年11月から12月にかけて、トンガ北部で火山活動と一連の地震がおこり、火山活動が再び活発になった。12月19日、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイで噴火が起こり、現地の漁師が海底火山から白い蒸気の柱が昇っていると目撃談。12月29日に撮影された衛星画像では煙や灰が吹き出て、海水の色が変わっている(水面下で煙と灰が噴出したか、噴火が海底にも影響を与えたためとされる)など噴火が続いていることを示した。噴火は2015(平成27)年に入っても続き、01月06日には火山灰による雲が上空3kmまで舞い上がった[。01月11日、火山灰が上空9kmに舞い上がり、12日にはニュージーランド航空の飛行機がサモアに転じることを余儀なくされ、ほかのニュージーランドとトンガ間の国際便が欠航。13日にも火山灰が上空4.5kmに舞い上がったほか、大量の窒素とリンが海底に放出されたため、藻類が大量発生して赤潮が発生した。2009(平成21)年の噴火と同様、火口はフンガ・ハアパイ島と沖合約100mの2箇所。大きな岩と湿っていて密集した灰が放出され400mの高さに舞い上がった。01月16日には噴火により新しい島が形成し、トンガ当局は新しい島が長さ2km、幅1km、最高点100mと概算。地質学者は新しい島が数ヶ月で腐食により消えると予想し、新しい島の周辺約10kmで灰と酸性雨が降りしきり、フンガ・トンガ島もフンガ・ハアパイ島も植物が全滅した。蒸気雲が上空1kmまで舞い上がるなど噴火が続く中、火山と航空の専門家が飛行機への危険がなくなったと判断したため、トンガへの国際便が01月16日に再開。01月19日にトンガとニュージーランドから火山を訪れた地質学者によると、噴火がそれまでの24時間内では沈静化したという。また、噴火がほぼ全て新しい島にある火口からきていることが判明したほか、蒸気雲が7から10kmに上り、火山灰や岩が200から300mの高さに上った。マグマが海面に当たって蒸気爆発を起こし、また周辺にはときどき火山ガスの臭いがしたという。トンガ当局は島周辺に直径20kmの地域の立ち入りを禁じ、旅行者が岩、火山灰、酸性雨の影響を受けないようにした。トンガ当局は、火口から新しいガス、火山灰、岩が吹き出ていないことを観測すると、01月26日に噴火の終結を宣言。この時点で新しい島は長さ2km、幅1〜2km、最高点120mに成長した。新しい島はフンガ・ハアパイ島とつながり、フンガ・トンガ島とも約200mしか離れていなかった。新しい島を訪れた現地民によると、海鳥が島で巣を作るようになった。

 フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイの大半を構成する火山灰が周辺の暖かい海水と化学反応を起こし、灰よりはるかに硬い岩に変わったため、火山学者は島が浸食されるのではなく数十年間残ると予想するようになった。これにより、2017(平成29)年までの150年間で形成された火山島が数ヶ月以上存在する例として3例目。NASAのゴダード宇宙飛行センターの科学者は、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイを火星の火山の形を研究するためのモデルとして使用した。2017(平成29)年12月の記事によると、NASAの科学者はフンガ・トンガ=フンガ・ハアパイの腐食パターンが火星における似たような地形でのパターンと似ていると結論付け、昔の火星が水で覆われたものの水がすぐに退いたと考えた。なお、フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイと火星の火山地形の類似点を引き続き研究する必要がある。2018(平成30)年10月に島を訪れた科学者は、島の表面が砂利、泥と植物で覆われていることと、多くの鳥類が住んでいることを発見。また雨により島の侵食が予想以上に進んでいることが判明。

 2021(令和03)年12月20日に再び噴火し、首都ヌクアロファからも見えるほどの巨大な噴煙が立ち上った。ニュージーランドの航空路火山灰情報センター(ウェリントン)は航空会社に対し、航空路火山灰情報を発表。爆発音は170km(110マイル)離れた地点でも聞こえたと報じられた。最初の噴火は12月21日午前02時まで続いた。その後も活動は継続し、12月25日に撮影された衛星画像では、島の面積が拡大したことが確認された。
 火山活動は2022(令和04)01月05日には一旦弱まったが、01月13日に高度17 km(55000 ft)にも達する火山灰雲を大気中に放出して活動を再開。続いて、政府当局は津波警報を発令。01月15日、再び激しい噴火を起こし、前年12月20日の噴火よりも約7倍強かったと見られている。噴火に伴う轟音は、トンガ国内のみならず、火山から500km以上離れたフィジーや、さらに遠く離れたニュージーランドとオーストラリアでも聞こえたとの報告が多数ある。噴火の爆発により、窓ガラスが粉々に割れるなどの建物被害が出たと報道されている。トンガの気象当局は、17時30分すぎに津波警報を発令し、その後、同国の沿岸地域に津波が押し寄せた。首都ヌクアロファでは3.9 ft(1.2 m)の津波が観測され、アメリカ領サモアでも2.0 ft(0.61 m)の津波が観測された[。津波は太平洋を渡り、ニュージーランドの北島、日本の太平洋沿岸の広い範囲(北海道から沖縄まで、アメリカ西海岸、陸地も超えたカリブ海のプエルトリコでも空振と潮位変化が観測された。

 フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイは、900〜1000年おきに大規模噴火を起こしており、前回の大規模噴火は西暦1100年頃であることから、報道では「1000年に1度の大噴火」と表現されている。この噴火により島はほぼ消滅したと見られている。


 支那に媚びる土人国トンガに対する、天の怒り、地の滾りである。


トンガ沖大規模噴火 日本や米西海岸でも津波観測
https://www.afpbb.com/articles/-/3385374
 南太平洋のトンガ沖で15日、大規模な海底火山の噴火が起き、トンガや日本の太平洋沿岸、米西海岸で津波が観測された。
 噴火したのはトンガ首都ヌクアロファの北約65キロの地点にある火山「フンガトンガ・フンガハアパイ(Hunga Tonga-Hunga Ha'apai)」。衛星画像には、巨大な噴煙が上がり、衝撃波が広がる様子が捉えられていた。
 オーストラリアの気象局(Bureau of Meteorology)によると、ヌクアロファでは1.2メートルの津波が観測された。
 トンガの人々は高台に急いで避難した。住民のメレ・タウファ(Mere Taufa)さんはニュースサイト「スタッフ(Stuff)」に対し、「非常に大きかった。地面が揺れ、家も揺れた。繰り返し揺れた」と語った。
 タウファさんは、揺れの直後に押し寄せた海水に家がのみこまれ、近隣の家の壁が崩れるのを見たと話した。「いたるところで叫び声が上がった。高台へ逃げるよう叫んでいた」
 日本の気象庁(JMA)も、太平洋沿岸で津波が観測されたと発表。予想される最大波は3メートルとした。奄美大島では1.2メートルの津波が観測された。
 噴火は8分以上続き、1万キロ以上離れた米アラスカ州でも雷鳴がとどろくような音が聞こえたという。


岸田文雄(64)-1.jpg 移民党+創価党政権は、寒の入りの寒い中の深夜に、23万人避難指示を出し、太平洋側全域で注意要請した。尖閣諸島も守らないのが、売国創価党の下にある国交省の下部組織の海保であり、火山噴火では津波でないという詭弁を弄する気象庁も国交省の下部にある。予報は当たらない、アリバイ作りのために警報を乱発し船頭した。 武漢肺炎の蔓延下に待避して、感染や転倒、寒気で病気発症も大勢発生した。
 同調高圧力国家日本では、避難に文句を言うのがおかしいと洗脳しているが、本来、改良すべきものをサボり、日本人の命を無視して、殺しているのが明治以来の政権で、平成・令和になり、人と言えない悪魔が増税し国民を支配している。
 そもそも日本では平成07(1995)年に淡路阪神大震災が、平成23(2011)年に東北大震災が起きている。その教訓が全く生かされていない。国土狂人化で、利権の大堤防がほんの一部で作られ景観を破壊している。資金を投入して、地下核シェルターや避難交通網やロボットとか、素人でも思いつく施策を一切合切行っていない。

 この津波も、8千kmを走った、日本に対する、天の怒り、地の滾りである。

 売国奴、吉田茂の流れの狡知会の岸田文雄(64)は、林芳正(60)、茂木敏充(66)の支那工作員を引き連れ、国民のことなど一切考えていないのでおじゃる。


Devil.jpgトンガ大規模噴火 日本でも北海道から沖縄にかけ津波注意報
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220115/k10013432611000.html
気象庁は、岩手県に出していた津波警報を午前11時20分に津波注意報に切り替えました。引き続き北海道から沖縄にかけての広い範囲で津波注意報が出されています。今後の情報に注意し、津波注意報が解除されるまでは海岸や川の河口付近には近づかないようにしてください。
気象庁によりますと日本時間の15日午後1時10分ごろトンガ諸島の火山島、「フンガ・トンガ フンガ・ハアパイ」で大規模な噴火が発生しました。
太平洋津波警報センターなどによりますと、この噴火でトンガで最大で80センチの津波が観測されたということです。
このため気象庁は、日本への津波の影響について一時「被害の心配はない」と発表しましたが、15日夜から潮位の変化が大きくなったことから16日未明に津波警報を鹿児島県の奄美群島とトカラ列島、岩手県に相次いで発表したほか津波注意報を北海道から沖縄にかけての広い範囲に発表しました。
16日以降になって潮位の変化が小さくなったことから、気象庁は午前7時半に奄美群島とトカラ列島の警報を午前11時20分に岩手県の警報をそれぞれ津波注意報に切り替えました。
一方で引き続き北海道から沖縄にかけての広い範囲で津波注意報が出されています。
津波警報が出されていた地域で観測された津波は、いずれも最大で鹿児島県の奄美大島の小湊で15日午後11時55分に1メートル20センチ、岩手県の久慈港で16日午前2時26分に1メートル10センチとなっています。
まだ津波注意報が出されています。
今後の情報に注意し、津波注意報が解除されるまでは海岸や川の河口付近には近づかないようにしてください。
気象衛星画像では噴煙の直径が北海道に匹敵する大きさに
気象庁の気象衛星「ひまわり」の画像では、日本時間の午後1時すぎからトンガ付近で灰色の噴煙が立ち上り、その後、同心円状に広がっていく様子がわかります。
午後3時ごろには直径が300キロ以上と、北海道に匹敵するほどの大きさになっていました。
また、灰色の噴煙のさらに外側では、薄く白っぽい色に見える輪が同心円状に広がる様子もわかり、専門家などによりますと噴火によって発生した衝撃波が広がっていった様子だとみられるということです。
トンガや周辺国で津波を観測
南太平洋のトンガ付近で15日午後、発生した大規模な噴火を受けてトンガの気象当局は津波のおそれがあるとして国の全域に警報を出して警戒を呼びかけたほか、ニュージーランドの当局も沿岸部での潮位の変化に注意するよう呼びかけました。
NOAA=アメリカ海洋大気局によりますと、これまでに最大で、
▽トンガでおよそ80センチ
▽サモアでおよそ60センチ
▽バヌアツでおよそ20センチの津波がそれぞれ観測されたということです。
トンガ当局は、一連の噴火に関する写真や情報を連日、SNSで更新していますが、日本時間の16日午前0時現在、大規模な噴火に関する情報は投稿されていません。
最後の投稿は15日の大規模な噴火の前に行われていて、一連の噴火による火山灰が午前7時20分ごろに確認され、また噴火は10分から15分続いたとしています。
現地で暮らす人たちには潮の流れや火山灰への注意を呼びかけるとともに、硫黄やアンモニアの刺激臭がする場所ではマスクの着用を推奨しています。
トンガ当局が現地時間の15日未明に投稿した一連の噴火とみられる写真からは、海上から灰色混じりの噴煙が激しく立ちのぼっている様子が確認できます。
噴煙は海上から20キロの高さまで達したとしています。
ロイター通信は、ツイッター上にトンガで撮影したとされる動画が投稿され、大きな波が海岸線に押し寄せ、人々が車で逃げようとしているなどと伝えています。
さらにニュージーランドのメディアはトンガの首都ヌクアロファでは押し寄せた波によって浸水した住宅があるほか、車が波に浮いているのを見た住民もいるなどと伝えています。
また、噴火の際の爆発音は2300キロ離れたニュージーランドでも聞こえ、500キロ離れたフィジーでは大きな雷鳴のように聞こえたと伝えています。
一方、周辺国も津波への警戒を呼びかけていて、このうちオーストラリアの当局は最大都市シドニーを含む南東部の沿岸に警報を出して津波への警戒を呼びかけています。
また、アメリカの当局は、西海岸にあるワシントン州とオレゴン州の沿岸に津波のおそれがあるとして注意を呼びかけています。
トンガなどを所管する外務省の大洋州課によりますと、噴火と津波の発生を受けてトンガ在住の日本人の安否や現地の状況について情報収集を進めているということです。
外務省のホームページによりますと、トンガには2020年4月の時点で35人の在留邦人がいるということです。
トンガ 過去にもたびたび噴火
南太平洋のトンガは170を超える島からなる人口10万人余りの国です。
今回、大規模な噴火があったのは「フンガ・トンガ フンガ・ハアパイ」と呼ばれる首都のヌクアロファから北に65キロほど離れた場所にある海底火山です。
世界の火山について調査をしているアメリカのスミソニアン自然史博物館のホームページによりますと、「フンガ・トンガ フンガ・ハアパイ」は、過去の噴火によって陥没した海底カルデラの縁にある2つの火山島の名称で、このうち「フンガ・トンガ」は海抜およそ114メートルだとしています。
過去には、たびたび噴火が起きていて、2014年12月から2015年1月にかけて発生した海底噴火では、2つの島の間に新たな島ができたということです。
去年12月から再び断続的に噴火が発生していました。
トンガ諸島は日本列島と同じ環太平洋火山帯の一部で、多くの海底火山があります。
専門家「海底火山の噴火として過去最大規模か」
火山活動に詳しい東京工業大学の野上健治教授によりますと、今回噴火が発生したトンガの北の海域は、数年前にも噴火で新しい島ができるなど、海底火山による活動が活発な地域だということです。
今回の噴火について、野上教授は「人工衛星の画像を見ると、噴煙は非常に高い上、広がりは複数の島を覆ってしまうほどで海域で起こった火山の噴火では過去最大規模の噴火が起きているとみられる」と指摘しています。
津波は爆発的噴火のエネルギーによって発生した可能性があるとしたうえで、「噴火が発生した場所の周辺では変色水が広がっていることから今後も火山活動がしばらく続くおそれがある。津波の発生には今後も注意が必要で、特に、湾のように入り組んだ地形のところでは津波が高くなるおそれがあるので一層注意が必要だ。海域は障害物がないため、高温の火山灰や火山ガスが流れ下る『火砕サージ』が1キロかそれ以上到達するおそれがある。船舶などは絶対に近寄らないことが必要だ」と話しています。

トンガでの火山噴火による衝撃波か 日本各地で急激な気圧変化
https://weathernews.jp/s/topics/202201/150195/
今日15日(土)の20時から21時過ぎにかけて、日本全国で一時的な気圧変化が見られました。火山島フンガトンガ・フンガハアパイが午後に噴火した時の衝撃波が到達した可能性があります。
日本の南東側から気圧が変化
気圧変化は関東や伊豆諸島など日本列島の南東側から始まりました。
ウェザーニュースが独自に全国3000箇所に設置している観測機、ソラテナによる気圧変化を見ると、一旦は気圧の上昇(赤色の表示)が起きた後、すぐに気圧の下降(青色の表示)が起こり、同心円状に伝搬している様子が現れています。概ね2hPa程度の変化です。
これは衝撃波に特有の加圧(気圧上昇)→減圧(気圧下降)を捉えていると推定されます。
今回の衝撃波によって何らかの影響が出ることはないとみられますが、今回の火山噴火の規模が大きいことを示す現象です。


日本近海における海底火山の噴火 - 小坂 丈予
日本近海における海底火山の噴火 - 小坂 丈予
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2021年11月27日

イサタブ(グアダルカナル)島の激戦地、ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)のナゴニアラ(ホニアラ)で反支那戦

 日本のマスゴミは、意図的に、イサタブ(グアダルカナル)島の激戦地、ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)のナゴニアラ(ホニアラ)で反支那戦が起きたことを一切報道していない。

イサタブ(グアダルカナル)島(Guadalcanal)

現地先住民の言葉で「イサタブ(Isatabu)」。

 永禄11年(1568)年、スペイン人探検家アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ率いる探検隊がソロモン諸島に達し、デ・ネイラは部下の1人(ペドロ・デ・オルテガが、出生地である「グアダルカナル」(現スペインアンダルシア州セビリア県)に因んで勝手に命名。スペイン領「グアダルカナル」は、運河の川を意味する「Guad al canal」。Guad = Wadi がアラビア語で「川」、al はアラビア語の定冠詞、canal はスペイン語の「運河」。
  イベリア半島は、イスラム王国の後ウマイヤ朝(天平勝宝8(756)〜長元4(1031))のr領土であり、アラビア語由来の言葉が多い。
 明治26(1893)年、イギリスの保護領。
 昭和17(1942)年、日本軍が上陸しルンガ飛行場の建設を開始するが、アメリカ軍がこれを占領(ヘンダーソン飛行場、ホニアラ国際空港)。以後、日本軍とアメリカ軍との間で島内及び近海での激戦が展開され、第二次世界大戦(大東亜戦争)有数の激戦地となる(ガダルカナル島の戦い)。昭和18(1943)年、日本軍が撤退。日本軍の死者は約2万人。

 日本人にとって、イサタブ(グアダルカナル)島とは、展開した帝国陸軍の一木支隊などが多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出し、略称のガ島をもじった餓島(がとう)とも呼ばれた、第二次世界大戦(大東亜戦争)の激戦地として有名。帝国海軍の駆逐艦や航空機を投入して補給しようとしたが、多大の撃沈、撃墜など大損害を被った。

 ソロモン諸島の最大の島は、ラバウルのあるパプア・ニューギニア領のニューブリテン島。ソロモン諸島国では、首都ナゴニアラ(ホニアラ)のあるイサタブ(グアダルカナル)島。

ナゴニアラ(ホニアラ)

 「 ホニアラ」は実際は誤って付けられた名称。英国人侵略者にとって、北部イサタブ(グアダルカナル)語での旧来の地域名「Nagoniara」を汚く訛る英語で育つと発音することが困難で勝手に付けた。「Nagoniara」は、「風の前面」を意味する。ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場、ホニアラ国際空港)。

 人類の敵、支那に抗議しているマライタ州は、マライタ島を中心にマラマシケ島(南マライタ島)やシカイアナ島からなる。

 売国奴の近衛文麿などディープステイトの手下により、対露戦ではなく、南進に強要されたにしても、対英に特化し(仏蘭はすでに独に降伏していた)で止め、印度洋の制海権・制空権を握れば、鬼畜米英仏蘭支に壊滅的打撃を与えることができた。近衛文麿が無理やり南進に強要した置き土産で御前会議を経た、帝国国策遂行要領でも対米戦は回避の方針だった。
 それをひっくり返した憲法違反どころか、国体破壊の売国奴が、ディープステイトの手下の実質スパイ、米内光政、山本五十六、井上成美(しげよし)賊軍3人組に永野修身(おさみ)の海軍の売国奴である。

 とりわけ、米内光政、山本五十六は鬼畜にも劣る外道であり、九族誅殺しても到底赦されるものではない。
 山本五十六に至っては、戦雲急を告げる時期に、聯合艦隊司令長官であり、真珠湾攻撃を否決されれば聯合艦隊司令長官を辞めると脅迫し、国家百年の計を対米戦に押し切った。ミッドウェイ海戦など、世界史上最大の愚策を、次々講じた山本五十六自らは、超安全な旗艦長門や大和(冷暖房完備で大和ホテルと揶揄された)の中で取り巻きと賭けをしたり、愛人にラヴレターを書いていた。戦後、愛人の元新橋芸者「梅龍」こと河合千代子が週刊朝日に暴露している。マスゴミと敗戦利得者は、このスパイの史実を覆い隠し、子孫に至っては、恥ずかしくもなく記念館まで建て、捏造史を鼓吹している。

 マスゴミや戦後教育で洗脳されているグーミンにはわからないかも知れぬが、どう考えても、航空戦力や空母に戦艦など強大な海軍力をもつ日本は、委任統治下のトラック諸島(チューク諸島)で防衛すれば済むものを、わざわざ、敵地のパプアニューギニア・ニューブリテン島のラバウルやニューギニア島ラエに敵の最前線に海軍基地を築いた。南方の基地は無用有害であり、一方、鬼畜米は有利で好都合な時、好都合な場所を攻撃できる。陸軍将兵(徴兵された応召兵)を防衛のため輸送し、彼らの補給と防衛のため、輸送艦、駆逐艦、巡洋艦、潜水艦が動員された。多くは沈められ、島に補給もなく取り残された将兵はジャングルの中、灼熱に疫病、飢餓に苦しみ、陸海軍の将兵の人命が無意味に失われた。

 首尾一貫して、米内光政、山本五十六、井上成美、永野修身ら海軍の売国奴は、日本人の殺戮、日本の破壊を目指していた。






ガダルカナル戦記(一) (講談社文庫) - 亀井宏
ガダルカナル戦記(一) (講談社文庫) - 亀井宏


ソロモン諸島でデモ暴徒化 親中路線に反発
武漢コロナウィルス旗.jpghttps://www.sankei.com/article/20211126-RZUABPYRJRJABHGJCLWDF4KOPE/
南太平洋の島嶼(とうしょ)国ソロモン諸島の首都ホニアラで政府に反発するデモが相次ぎ、一部が暴徒化している。デモ隊はソガバレ首相や同氏が推進する親中国的な政策に反発を強めており、中国人が経営する商店などを襲撃した。事態を重く見た中国政府は「重大な懸念」を表明。反発の拡大を警戒している。
AP通信などによると、ホニアラでは24日、約千人が参加するソガバレ首相の退陣を求めるデモが行われた。その後、デモ隊の一部が議会に侵入し、警察や中国人街の建物などに火を付けた。政府は治安維持のためにオーストラリアに警察や軍の派遣を依頼したが、暴動は26日も継続した。
デモ隊の多くは、ホニアラのあるガダルカナル島の北東部に位置するマライタ島の住民だという。両島住民は1990年代以降、対立が続いており、マライタ島住民グループは2019年に政府が台湾と断交し、中国と国交を結んだ決定に強く反対している。
国内には中国企業が地元住民を雇用していないことへの不満もくすぶっている。ソガバレ氏は26日、「中国との関係を望んでいない国々がマライタに影響を与えている」と述べ、海外の勢力がデモ隊を扇動しているとの見方を示した。
中国外務省の趙立堅(ちょう・りつけん)報道官は25日の記者会見で、中国人が関わる商店が相次ぎ襲撃を受けたことに懸念を表明し、「中国とソロモン諸島の関係の正常な発展を破壊しようとするいかなるたくらみも無駄なものだ」と牽制(けんせい)した。
ソロモン諸島は国交樹立後、中国接近を急速に進めており、23年に開催される太平洋島嶼国スポーツ大会に向けた新競技場を中国支援で建設することが明らかになっている。
中国の習近平国家主席は9月下旬、ソガバレ氏と電話会談し、国交樹立後の両国関係の発展を称賛した。中国側の発表によると、ソガバレ氏は「台湾、新疆(しんきょう)ウイグル自治区、香港、人権などに関わる問題で引き続き中国側を断固支持する」と応じたという。

ソロモン諸島で暴動、親中政権に反発 豪は治安要員派遣
趙立堅(49).jpghttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM2609K0W1A121C2000000/
南太平洋のソロモン諸島でソガバレ首相の退陣を求めるデモの参加者が暴徒化し、首都ホニアラで放火や略奪が起きた。オーストラリアのメディアなどによると、中国寄りの外交方針への不満が背景にある。ソロモンと安全保障条約を結ぶ豪州は25日、要請を受け、治安維持のため100人以上の軍や警察の要員派遣を決めた。
暴動は24日に始まり、26日も一部の地域で起きた。豪要員の一部は26日までにソロモン入りした。
ソガバレ政権は2019年、台湾と断交し中国と国交を結んだ。デモの参加者の多くは東部のマライタ州の出身とみられる。同州は台湾との関係が深く、新型コロナウイルス対策の医療品の支援を台湾から受けるなど交流が続いていた。暴徒は警察署、銀行のほか、中国系住民が多い地域の商店を襲った。
マライタ州政府は台湾との断交に反発。20年9月にはマライタ州の首相が同州の独立の是非を問う住民投票を実施する意向を示していた。
豪公共放送ABCは26日、ソガバレ氏がインタビューで、台湾と中国を巡る問題が今回の暴動の「唯一の原因だ」と述べたと報じた。
現地の事情に詳しい関係者は、暴動の理由を「ソガバレ政権がマライタでのインフラ開発を中国企業に請け負わせようとしたうえ、(林業や漁業の)資源開発で外資企業が優遇されているという不満(を市民が抱えていること)もある」と説明した。
中国外務省の趙立堅副報道局長は25日の記者会見で、ソロモンでの中国人や中国系商店への襲撃について「深刻な懸念」を表明した。そのうえで「中国とソロモンの関係発展を阻害するあらゆる試みは無駄だ」と述べ、暴動の背景に何者かの意図がある可能性があると主張した。
ソロモンは人口約68万人。1978年に英国から独立した。首都のあるガダルカナル島は太平洋戦争の激戦地として知られる。過去にも治安が悪化し、豪州やニュージーランド(NZ)などがソロモン諸島地域支援団(RAMSI)を展開したことがある。


 支那の侵略のやり口は、政権や有力者だけに賄賂や女などを宛がい篭絡して、好き勝手やりたい放題で、約束や慣習、文化などを踏みにじる。しかも、支那から利権の企業に、一人っ子政策で無国籍の黒子と呼ばれる貧民を棄民として送り込み、現地に恩恵はなく、環境破壊など軋轢を起こしている。

 支那共産党だけではなく、支那人は、世界中で政権や有力者以外に凄まじく嫌われるウイルスである。支那の民族性であり、他民族と共存アドできない。今、全世界を覆っている悪魔ウイルス撲滅のためには、一斉飽和核攻撃しかない。


ソロモン諸島暴動、豪治安維持部隊が到着
https://www.afpbb.com/articles/-/3377741
南太平洋の島国ソロモン諸島での暴動を受け、オーストラリアが派遣した治安維持部隊が26日、活動を始めた。空港や港湾の安全を確保するのが目的。
 ソロモン諸島の首都ホニアラでは24日から反政府デモが行われていたが、25日には一部が暴徒化してチャイナタウンを襲撃。略奪や放火が起きた。26日朝には、若者が煙の漂う焼け跡を物色していた。
 ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ(Manasseh Sogavare)首相が25日、豪州に暴動鎮圧への支援を要請。治安維持部隊の第1陣は同日中に到着した。
 暴動の背景には、新型コロナウイルス流行により高まる経済面での不満に加え、ガダルカナル(Guadalcanal)島の中央政府と、人口が最も多いマライタ(Malaita)島の住民との積年の対立がある。

 第一次世界大戦の戦勝国、日本は国際聯盟の常任理事国であり、人種差別禁止決議を、加盟もしていないアメリカの人種差別主義者、鬼畜ウィルソンに潰された。また、日本にも敗戦国の領土の分け前として、イギリスは、ドイツ植民地の南太平洋を申し出てきたが、日本はこれを拒否し、独立をさせると主張した。折衷案で、将来的に独立させるといういう建前で委任統治領が誕生した。ここに英の流刑地にして人種差別の大虐殺魔の白豪主義のオーストラリアが赤道以南を割譲させた。大東亜戦争後は信託統治領と名前が変わった。こういう歴史的経緯があり、宗主国面して、オーストラリアがしゃしゃり出てきた。





最後のゼロファイター 本田稔さんが死去
https://www.sankei.com/article/20211126-GICVPJSCT5PPJFZMH4AW5BJK2M/
広島の原爆投下に上空で遭遇した元海軍航空隊少尉、本田稔(ほんだ・みのる)さんが先月3日、老衰のため、98歳で亡くなっていたことがわかった。戦後70年の企画取材で滋賀県大津市の自宅でお会いした縁で、49日法要を終えたご遺族より連絡をいただいた。

本田さんは予科練を経て海軍の戦闘機パイロットとなった。ラバウル航空戦を死力の限りを尽くし戦い抜き、撃墜王の異名も持つ。本土防衛戦では超空の要塞≠ニ呼ばれたB29と背面飛行で対峙(たいじ)した。
昭和20年8月6日午前7時45分、22歳だった第343海軍航空隊(通称・剣(つるぎ)部隊)少尉、本田稔=は、兵庫県姫路市の川西航空機(現新明和工業)で真新しい戦闘機「紫電改」を受け取り、海軍大村基地(長崎県大村市)に向けて飛び立った。
高度5千メートル。抜けるような青空が広がり、眼下には広島市の街並み、そして国宝・広島城が見えた。
その瞬間だった。猛烈な衝撃にドーンと突き上げられたかと思うと紫電改は吹き飛ばされた。操縦桿(かん)は全く利かない。必死に機体を立て直しながら地上を見て驚いた。

「街がない!」

広島の街が丸ごと消えていた。傾いた電柱が6本ほど見えるだけで後はすべてがれき。炎も煙もなかった。
やがて市中心部に真っ白な煙が上がり、その中心は赤黒く見えた。白い煙は猛烈な勢いで上昇し、巨大なきのこ雲になった。
「弾薬庫か何かが大爆発したのか?」
そう思った本田は大村基地に到着後、司令部に事実をありのまま報告したが、司令部も何が起きたのか、分からない状態だった。
正体は原子爆弾だった。
米軍B29爆撃機「エノラゲイ」は高度9600メートルからウラン型原爆「リトルボーイ」を投下、急旋回して逃げ去った。
午前8時15分、リトルボーイは地上600メートルで炸裂(さくれつ)した。閃光(せんこう)、熱線に続き、超音速の爆風が発生した。
本田が見たのは、この爆風で廃虚と化した広島の街だった。この後、大火災が発生し、この世の地獄と化した―。

本田が、広島に米軍の新型爆弾が投下されたことを知ったのは2日後の8月8日だった。翌9日、大村基地から大村湾を隔てて15キロ南西の長崎市で再び悲劇が起きた。
9日午前11時2分、B29「ボックスカー」はプルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎市に投下した。第1目標は小倉(現北九州市)だったが、視界不良のため長崎市に変更したのだ。
広島と同様、空襲警報は発令されず、大村基地にも「敵機接近」との情報はもたらされなかった。
本田は食堂で早めの昼食を食べていた。突如、食堂の天幕が激しく揺れ、基地内は大騒ぎとなった。
まもなく上官が本田らにこう命じた。
「長崎に猛烈な爆弾が落とされて病院はすべてダメになった。収容できない被害者を貨車で送るから大村海軍病院に運んでほしい」
本田は手の空いている隊員20人を率いて海軍病院に向かった。
海軍病院前にはすでに貨車が到着していた。扉を開けると数十人が横たわっていた。だが、体は真っ黒で髪もなく、服も着ていない。男女の区別どころか、顔の輪郭も分からない。息をしているかどうかも分からない。
「とにかく病院に運ぼう」。そう思い、担架に乗せようと1人の両腕を持ち上げるとズルッと肉が骨から抜け落ちた。

甲種飛行予科練習生(予科練)を経て海軍に入った本田は昭和16年の日米開戦以来、インドネシア、トラック諸島、ラバウルなど各地で零式艦上戦闘機(零戦)の操縦桿(かん)を握り続けた。ガダルカナル島攻防では、盲腸の手術直後に出撃し、腹からはみ出した腸を押さえながら空戦したこともある。本土防衛の精鋭として剣部隊に配属後も、空が真っ黒になるほどのB29の大編隊を迎え撃ち、何機も撃墜した。この間に何人もの戦友を失った。そんな百戦錬磨の本田も原爆の惨状に腰を抜かした。「地獄とはこういうものか…」

剣部隊司令で海軍大佐の源田実(後の航空幕僚長、参院議員)は本田にこう語った。
「もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら俺が体当たりしてでも阻止する。その時は一緒に出撃してくれるか」
本田は「喜んで出撃します」と返答したが、その機会は訪れることなく8月15日に終戦を迎えた。
戦後、本田は航空自衛隊や三菱重工に勤め、テストパイロットとして操縦桿(かん)を握り続けた。92歳(取材当時)となった今も広島、長崎の悲劇を忘れることはない。そして原爆搭載機に向かって出撃できなかった無念もなお晴れることはない。
「長崎の人たちには本当に申し訳ないと思っています。本土防衛の役目を担った私たちがあんなに近くにいたにもかかわらず…」
本田は涙をにじませ、こう続けた。
「戦争というのは軍人と軍人の戦いのはずだ。だから原爆は戦争じゃない。非戦闘員の真上で爆発させるんですから」 

本田稔(98没)

大正12(1923)年、熊本県飽託郡芳野村(のち河内町を経て現在は熊本市)に生まれる。中学5年在学中、昭和14(1939)年夏に海軍飛行予科練習生を志願して受験。合格後、10月01日第5期甲種飛行予科練習生に着任。飛行訓練中に曳的機の索に引っかけるが、運良く最後の瞬間に曳的が外れ、助かる事故にあう。1940年(昭和15年)、谷田部空で延長教育を受ける。1941年9月、大分空で実施訓練を受ける。
昭和17(1942)年01月、第22航空戦隊司令部付戦闘機隊に着任。04月、鹿屋空に配属。哨戒任務が続いたが、シンガポール上空で本田を含む零戦9機が、イギリス空軍のバッファロー戦闘機9機と交戦。本田とって実戦における最初の空戦。この空戦で本田は弾丸が無くなるまで発射し続け、なおも追尾を続けたところ、敵機はジャングルに突っ込み炎上、これが本田の初撃墜。同年09月ラバウル進出。11月、鹿屋空が第253海軍航空隊に改名される。ニューギニア沖、ソロモン諸島での航空戦に従事。本田によれば、カビエンの病院で盲腸の手術を受け、抜糸が終えた直後にB17を迎撃して撃墜したが、空戦のGで傷口が破れ、腸が飛び出したこともあった。昭和18(1943)年05月、大分空着任。
昭和19(1944)年04月、第361海軍航空隊の戦闘隊に属する第407戦闘飛行隊に着任。361空は実戦参加の機会がないまま解隊し、07月10日第407銭湯飛行隊は第221航空隊に編入。笠之原海軍航空基地で訓練に従事。
昭和19(1944)年12月、第407戦闘飛行隊は第343海軍航空隊(剣部隊)に編入。飛行長志賀淑雄少佐は本田を「荒武者」と評した。来本昭吉飛長は空戦の腕前なら本田が戦闘407のトップと確信する。本田は343空時代に2度の原爆の爆発を目撃した。広島市での原子爆弾の下からの爆発を空中で目撃しその衝撃波で500m落下を経験。長崎市への原子爆弾投下の日、登山訓練途中の山中で原爆投下を目撃。本田は戦後、「紫電改で出撃していればB29を落とせたし、何としても阻止した。」と語っている。海軍は広島、長崎に続く原爆投下を阻止すべく戦闘機隊に対し、「B29が単機で侵入した場合は体当たりで即時撃墜せよ。」と命令を下した。343空司令の源田実大佐は第3の原爆はあってはならないと心に決め、「我が剣部隊も既に組織的な攻撃に対する機能は乏しくなった。もし今度、新型爆弾に対する情報が入ったら、俺が体当たり(特攻)をしてでも阻止してみせる。その時は本田分隊士、2番機を務めてくれ。」と話し、本田も決意した。2番機は司令機の援護ではなく、司令機の特攻でも落ちない場合に止めをさす役割であった。本田は「自分も特攻する決意でいた。」と話している。
昭和20(1945)年08月終戦。終戦時、皇統護持作戦に参加。准士官以上で司令の源田実大佐とともに自決を望む者が集められ、伝家の短剣とピストルを用意し、司令に「短剣でやる自信がないのでピストルでやらせてほしい。」と言うと、司令は黙したままうなずいた。これは皇統護持作戦の参加者を募る試験であり、それを明かされると本田も参加を決めた。熊本県五家荘が候補となり隊員は各地に潜伏したが、天皇制存続が決まり活動は終了。
その後、航空自衛隊に入りパイロットの養成やテストパイロットを務める。昭和38(1963)年、空自を退役。最終階級は一等空尉。退役後は三菱重工業で試験操縦士を務めた。戦後を含めた飛行時間は9800時間。本田は大戦の経験と三菱のテストパイロットとしての外遊資料から、当時の若年搭乗員で12機編隊着陸が一様にできた操縦性、腕比利用による高低速両用の操縦性で紫電改を評価し、大戦末期における双璧は紫電改とP51であると述べている。撃墜数は43機以上。その他に17機と記す本もある。
令和03(2021)年10月03日、老衰のため98歳で没す。  合掌


紫電改のタカ 1 (中公文庫 コミック版 ち 1-1) - ちば てつや
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最強戦闘機紫電改 - 「丸」編集部
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2021年11月11日

ディープステイトの「地球温暖化」詐欺で、非科学的不都合な事実で小銭をせびる乞食土人国 ツバル

 ありとあらゆる極悪非道な金稼ぎを行うディープステイトは、稼武漢肺炎ワクチン詐欺の以前から、稼ぎ頭は戦争の死の商売、環境詐欺でグーミンの生き血を吸い続けている。

「地球温暖化」詐欺の前に、詐欺の不都合な事実

果たして地球規模で温暖化しているのか?


 気候の激変が起きているのは事実だが、事実は寒冷化に向かっている。太陽からのエネルギーの減少は事実で、入ってくるエネルギーが少ないと冷えていく。地球温暖化詐欺師は、クライメイトゲイトでデーター捏造がばれて以来特に、地球全体の平均気温については隠蔽して、氷河など地域的な現象で煽っている。地気候変動や火山活動は、周期的に変動し、たまたまこの百年あたりが変動の少ない時期だっただけである。ありとあらゆる極悪非道な金稼ぎを行うディープステイトとその手下のマスゴミの餌食になってはならない。

仮に一時的に「地球温暖化」が起きているとして、原因は大気中のCO2濃度の増加なのか?

 CO2濃度が年々刻々増加しているのは事実だが、過去にはCO2濃度が現在より高い期間が多く、現在はCO2濃度が低すぎて、光合成植物に過酷な時代である。CO2濃度と地球全体の気温の関係式と合わない。シミュレーションが歴史的事実からも否定されている。

現在は、氷期

 太陽から地球に降り注ぐエネルギー、即ち日射量により地球の気温は左右される。約10万年で日射量が増減し、暖かくなったり(間氷期)、寒くなったり(氷期)を繰り返しており、、ミランコビッチ・サイクルと呼ばれる地球の公転軌道の周期的変化と合致する。
 現在は高山や南極に氷河があることにより、地質学的には氷期である。縄文時代には、高山や南極の氷河が融けて海面が上昇した。その直前の氷期(日本での呼称:ヴュルム氷期)には、花綵列島は繋がり、日本海は閉じて内湖で、当然ユーラシア大陸とも繋がっていた。


 ツバルに注目すれば、「地球温暖化」が始まれば、陸地の氷河が増え(北極の氷はアルキメデスの法則により関係ない)、最初は湿度の上昇により陸の氷河が拡大し、海面は後退する。他の島嶼国では海面上昇も後退もほとんど起きていない。それがツバルでは海面上昇が起きているというのは、ツバルは環礁の上にある国で、近年、国連での票を狙う国の援助で埋め立てて国土を拡げた。今海面下になるという場所はほんの数年前には海の中だった。
 海流の変化や埋め立て技術の低劣問題で沈んでいる。ツバル自身もわかっているのだが、ディープステイトの下僕のマスゴミが騒いで、金になるので、援助金欲しさの乞食で、恥も知らない。マスゴミが極端な場所を映して、不安を駆り立て、グーミンを騙し我々の血税を海に棄てている。かつて、朝日新聞やNHKが日本が水没すると、グーミン騙しの出鱈目の未来図を載せ大騒ぎをしていたが、大嘘が明白になり出てこなくなった。

 日本も痴呆公共団体が、補助金欲しさに平成の大合併で先祖伝来の歴史や矜持を棄て金に転び、奇妙奇天烈なことになり、地名に防災の意味があるのに変名し、住んではならない処に住んで津波に飲まれ、土砂崩れに襲われる。グーミンの人命や財産を損なっている。目くそ鼻くそで、ツバルを嗤えない。



島国ツバルの外相、海に立ち気候対策呼び掛け
https://www.afpbb.com/articles/-/3375108
海面上昇により水没の危機にさらされている太平洋の島しょ国ツバルのサイモン・コフェ(Simon Kofe)外相が、太ももまで海に漬かって気候変動対策を訴える動画を製作した。英グラスゴーで開催中の国連(UN)気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)で9日、上映される。

 コフェ外相は、「気候変動と海面上昇は、ツバルをはじめ海抜の低い環礁国にとって、致命的で存続に関わる脅威だ」と指摘。「わが国は沈みつつある。だが他の皆も同じだ」と訴えている。

 動画はまず、青い幕を背景に、スーツにネクタイ姿でツバルと国連の旗の横に立つコフェ外相のアップから始まる。カメラが徐々に引いていくと、浜辺で太ももまで海水に漬かって立つ外相の姿が映し出される。

気温上昇1.5度「断念は死刑宣告」 モルディブ元大統領の危機感
https://www.asahi.com/articles/ASPC96TXFPC9ULBJ001.html
 英国で開かれている国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)で、地球温暖化で水没の危機にあるインド洋の島国モルディブの元大統領モハメド・ナシード国民議会議長が8日、朝日新聞などのインタビューに答えた。産業革命前からの気温上昇を1・5度に抑える目標を放棄することは「我々への死刑宣告だ」と話し、達成のため削減目標を毎年更新するよう求めた。

 モルディブは標高1〜2メートルの島国。気温上昇が1・5度を超えれば海面上昇や気候災害で深刻な被害を受けるとされる。ナシード氏は「我々は死ぬ。国のすべてがなくなる。島国にとって死刑宣告だ」と述べた。また、「多くの難民が生まれ、不安定さが増すことは、いま問題に対処することよりもっとひどいことだ」と話し、「1・5度目標を達成できないと考える余裕はない」と訴えた。

 ツバルには行ったことがないが、環礁国のモルディブならある。
 下の写真 ↓ は、モルディブの首都のマーレ島の市場の岸壁。珊瑚礁の上に建てているので、左の直下は珊瑚で、熱帯魚が泳ぐのが良く見える。こんな施設を日本が無償援助で建ててくれる。このお蔭で、スマトラ島沖地震(平成16(2004)年12月26日)の大津波からモルディブの首都、マーレ島を守ってやった。しかし、日本に感謝などしていない。今は日本の援助を支那に使わせ、支那から借金をして、カタに取られる文字通り売国土人がこの環礁に棲みついている。
 四半世紀悪政により経済発展が止まり、国民は貧困化し酷税を毟り取られている経済停滞国、日本から金を取るのは当然だと思っている。日本の外交と言うものはなく、核武装もしていない、通常兵器はあっても事実上武力を使えない、スパイ天国と、唯一の武器は、金のばら撒きのおもてなし。外交官の仕事はワインを血税で買いもてなす給仕が仕事である。その金も底を尽きつつあり、相手にされなくなっている。

 【教訓】乞食は3日やると止められない(笑)。

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな  芭蕉


マーレ防波堤.jpg


環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄―― - 中島 敦
環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄―― - 中島 敦

南太平洋の環礁にて (岩波新書 青版 68) - 畑中 幸子
南太平洋の環礁にて (岩波新書 青版 68) - 畑中 幸子

女声合唱による松田聖子名曲集 青い珊瑚礁 (2223) - 石若雅弥
女声合唱による松田聖子名曲集 青い珊瑚礁 (2223) - 石若雅弥


グーミンのうた

ねえグーミン こっち向いて
はずかしがらないで もじもじしないで
おねんねね
あらまー どうして けど でも わかるけど
男の子でしょ だからねー こっち向いて

ねえグーミン あたしに話して
かくしたりしないで なんでもうちあけて
おばかさんね
だって そんな まさか ん〜ん さーいいから
男の子でしょ だからねー あたしに話して


オナフキン「やーい!この肥桶みたいなスカカスめ!聞いているのかこの腐れなりすまし背乗り支那畜め!お前はしらみの卵だー!」
オナフキン「やーい!スカカスのへなちょこやろーめ!お前は昼寝してる豚の夢みたいな情けないやつだぞー!」
オナフキン「やーいやーい!悔しかったらぼくをつかまえてみろー!」
オナフキン「ぶーだ!ぶーだ!ぶー!」
オナフキン「そーれ!それ!ここまでおいでー!へーんだ!」

グーミン「オナフキンの悪口って変わってるね。僕の悪口も言ってみてよ。」
オナフキン「え、でも。」
グーミン「いいから怒らないから。」
オナフキン「おまえは岸田文雄(64)にも劣るカバだな。」

この強烈なオナフキンの悪口にグーミンは引き籠ってしまいました。

https://youtu.be/vBOw6j8IjEw


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2011年02月03日

香具師、クイーンズランドに上陸

 「香具師」といっても寅さんの同業者ではない。台風に付けられた名前だが、大西洋北部・太平洋北東部・太平洋北中部では、ハリケーン(Hurricane)、インド洋北部・インド洋南部・太平洋南部では、サイクロン(Cyclone)と名前だけが変わる。オーストラリア付近では、俗称でウィリー・ウィリーとも呼ばれる。

 初めて行った海外旅行がオーストラリアで、それも行きたくて行ったのではなく、就職すると時間がなくなるだろうと、オーストラリアに行くという友人に誘われたためだった。オーストラリアの南西の都市、パースinのシドニーout28日間で、エアーズロックのアリススプリングスまでと帰りのシドニーは宿付きという旅だった。余談だが、彼のアパートの部屋に、当然日本で、私ではない友人といるときに実弾を撃ち込まれ、警察まで呼ぶ騒ぎになった。結局、窓ガラスに弾丸の穴が開いたのと壁に弾丸が付き刺さった以外は被害がなかったので、迷宮入りになったが、どういうことか、いまだにわからない。誰かに実弾を撃ち込まれるほど恨まれていたとも思えない。

 この運の悪い友人は、大阪空港にカメラを忘れてきた。ツアーは大阪からは我々を含め数人、香港、シンガポールとで、東京や名古屋からの連中と合流。途中、乱気流で100mは落ちた。あれから数百度は飛行機に乗っているが、あんなのは最初で最後だ。怖い思いをして、深夜にパースに着いた。検疫官が中に入ってきて、いきなりスプレーで消毒をし始めたのがオーストラリアの第一洗礼である。翌日、パースのモールで、友人は日本製のカメラを買ったが、日本人が日本の空港にカメラを忘れてパースで日本製のカメラを買うのをどう思うかとカメラ屋の店員に訊ねたら、「terribly stupid!」という的確な表現が返って来た。

 アリススプリングスまで航空券も宿も金を払っていたのに、リクルート・ツアーの手違いで我々2人だけチケットがない。アリススプリングス空港まで自腹で航空券を買ったが、ホテルの部屋の予約もない。今ならどうってことはないが、初めての海外で、これはかなり不安で堪えた。一応、アリススプリングス空港に着いて、ホテルまでは一応ツアーなので、送迎のマイクロがあったので乗り込んだら、関係のないテンガロンハットを被った図々しい日本人が乗り込んで同乗してきた。話してみると、何回か海外旅行に来ていて、アリススプリングスまで1人で来たと自慢をしていた。しかし、こいつに泊まるはずだったホテルでの応対を任せたのが失敗だった。この武蔵工大生は、着いたホテルでフロントに横柄な英語を使ったために、部屋がないという返答が返って来た。しかも、近くにホテルはあるかと聞いたら、フロントの男は、外に出て、左に曲がって、次の角を左、その次をまた左、また左、また左に曲がるとホテルが1軒あると言う。重い荷物を背負って砂漠の中を、この武蔵工大生と3人で、指示通りに歩いているうちに、だんだんフロントの意図がわかってきた。すぐ右隣にそのホテルがあったのだ。1ブロックを1周(1q)させられたのである。元のホテルにはツアーで知り合ったのが居たので、遊びに行ったときフロントに文句を言ったが笑っていた。質の悪いジョークだが、一応、フロントは、嘘は言ってはいない。今考えれば、部屋もあったのではないか?とにかく、この件で、我々と友人は、もうこの武蔵工大のアホを完全に無視した。英語力を始め、全ての点でこんなアホと付き合う理由がない。しかし、恐ろしい偶然というのはあるもので、就職した企業の同じ武蔵工場で翌月出くわした。しかし、口を聞きたくもなかった。

 現地からもクレイムのрリクルート・ツアーに掛けて、帰国後にこの分の金を返金させたが、そういう問題ではない。この後、リクルート・ツアーは2度と使っていない。友人はアデレードからキャンベラの温帯を旅をして、ワインとオペラ三昧が希望、私は熱帯の木曜島を目指すので全く正反対。そこで、アリススプリングスで別れ、1人でクイーンズランドのポートダグラスに向かった。残りの24日間ほどをクイーンズランドで過ごすオーストラリアで羊を見ない旅が始まった。

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2010年07月02日

90歳の幼女強姦魔オーストコリア人ジョセフ・クラウス・カール

 チエンマイでオーストコリア人のジョセフ・クラウス・カール(90)が幼女〜少女強姦で逮捕されている。大英帝国の凶悪犯の流刑地の末裔は90歳になっても油断ならない。こういった畜生毛唐の犯罪には、シーシェパードのように明らかに人種的差別意識がある。

ホセ・マヌエル・トレス・ヤケ.jpg そこで思い出すのが、あの忌まわしい広島市安芸区で2005年11月22日に起きた、広島小1女児強姦殺人(木下あいり(当時7))事件の犯人ペルー日系人3世偽装のホセ・マヌエル・トレス・ヤケ(日系人に偽装するためヤギに改竄)(38)と同じ構図だ。ホセ・マヌエル・トレス・ヤケは反省もなく、上告しているが、死刑判決と執行を早くすべきである。

外国人犯罪者―彼らは何を考えているのか (中公新書)

外国人犯罪者―彼らは何を考えているのか (中公新書)

  • 作者: 岩男 壽美子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 新書



 ところが、自民党・公明党から民主党政権は、諸外国でも例のない憲法違反の外国人への児童手当・子供手当を通してしまった。また、つい最近支那残留孤児偽装(支那残留孤児の8割は偽装)の2匹を足掛かりに支那人48匹が来日直後に生活保護申請だとか、日本人は生活保護が受けれず餓死し、外国人が日本人の払った税金を受給する(しかも感謝もない)とか、信じられない政治・行政が罷り通っている。ビザなし渡航に留学生100万人とか、日本壊滅にひた走りに走っている。

 その上に、外国人に主権(参政権)を与え、夫婦別姓で家族制度を破壊、外国人の権利を守り、日本人の人権を踏みにじる人権擁護法までも可決しようとしている。加えて、女子小中学生に害の大きい子宮頚癌ワクチンを投与し日本人を不妊にするなど、死ね死ね団はミンス党や公明党や有象無象政党の大多数、自民党の一部に入り込んでいる。





 江戸時代に戻すしかない。一度、日本が壊滅しないと気づかないのであろうか。内需主導の鎖国。県以下の藩に分割し、藩独立の軍隊をもち、外敵を打ち払う攘夷。天皇は神主の親玉の位置に戻す。学問、和算やからくり時計のように、純粋に学問や科学や技術に徹する。

JosephKrausKarl(90).jpghttp://thaina.seesaa.net/article/154882817.html
未成年姉妹4人に対する性的暴行容疑でオーストラリア人男、しかも90歳を逮捕
 カーオソット紙によると、チェンマイ県の警察当局は29日朝、7歳から14歳までの4人の姉妹に対する性的暴行容疑で、ドーイサケット郡内在住の90歳のオーストラリア人の男を逮捕し、自宅から15歳未満少女と一緒に撮影した猥褻な画像100枚や国内の観光地で男と少女が一緒に写っている画像が大量に保存されたコンピュータ等を押収した。

 男が逮捕された時、電話でオーストラリアの領事館に対して、警察から金銭を強請られていると嘘の告発をする場面も見られたという。

 調べによると男は、菓子をあげると言って家に誘い込んだ4姉妹に対して猥褻な行為に及んだ上で4,000バーツの現金を持たせていたが、その後姉妹の父親が知ることになり警察に通報されていた。

http://www.newsclip.be/news/2010630_027932.html
タイ北部在住の90歳豪人男、女児強姦容疑で逮捕
2010/6/30 (15:47)| 主要ニュース 社会

【タイ】タイ警察は29日、北部チェンマイ県在住のオーストラリア人の男(90)を7―14歳のタイ人の少女4人を強姦した疑いで逮捕した。保護者の訴えを受け男の自宅を捜索し、100枚以上の児童ポルノ写真やビデオを押収した。調べによると、男は2009―2010年にかけ、近所の少女4人を自宅に誘い込んで強姦し、現金を渡すなどしていた。タイ字紙カオソッドが報じた。

http://www.nationmultimedia.com/home/2010/06/30/national/Police-arrest-90-year-old-Australian-paedophile-su-30132726.html
Police arrest 90-year-old Australian paedophile suspect
By Deutsche Presse Agentur

Bangkok - Thai police have arrested a 90-year-old Australian man on charges of raping and molesting four underaged girls in the northern city of Chiang Mai, police said Wednesday.

The Australian, identified by Chiang Mai police Lieutenant Colonel Prawit Choosri as Joseph Kraus Karl, was arrested on Tuesday. He has denied the charges, police said.

Parents of the four allegedly abused girls, aged from 7 to 14, accused Karl of using sweets and money to lure the minors to his home where they claimed he sexually abused them on several occasions between July 2008 and June this year.

Pornographic photos and videos were found in Karl's home in Chiang Mai.

"Despite his age he still seems to have the desire, although we don't know whether he could act on it," Prawit said. "But under Thai law any form of penetration is considered rape."
posted by cnx at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | Oc | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする