2010年06月28日

日産と松下にソニーは買わない、ついでにマツダも



年収
ゴーン(56)日産社長兼最高経営責任者(CEO) 8億9千万円
ストリンガー(68)ソニー会長兼社長      8億1650万円

 カルロス・ゴーン(カルロス・ゴーン・ビシャラ、Carlos Ghosn Bichara、1954年03月09日〜)は、親はレバノン人、生まれはブラジル、育ちはフランスの、レバノンとブラジルとフランスの3国籍を有する中東人である。日産を建て直したとやたらに日本のマスゴミはもてはやしているが、工場閉鎖で人員削減、不動産売買、下請け苛めで行ったもので、同じ日本人ではこのような過酷なことはできなかったための死刑執行人に過ぎない。ルノーの傘下で、ルノーの会長でもあるゴーンは1億3800万円の年収で、あからさまに、日産を食い物にしている。果たして、日産はデザインだけで、新エンジンの開発もままならず、マーチなどの大衆車しか売れていない。中東人に食い物にされるくらいなら、戦場から消えるべきであった。

ゴーン神話はこうして作られた

ゴーン神話はこうして作られた

  • 作者: 遠藤 徹
  • 出版社/メーカー: ぱる出版
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 単行本



 ハワード・ストリンガー(Sir Howard Stringer、1942年02月19日〜 )は、ものづくりを軽視し、液晶テレビで南鮮の三星電子と提携し、映像技術を流出させた国賊=出井伸之が引っ張ってきたジャーナリストである。因みに、ソニー凋落の原因を作った出井は、2004年1月12日発売の米ビジネスウィーク誌が選ぶ「世界最悪の経営者」に選定され、日本の『日経ビジネス』2005年12月12日号においても三洋電機の井植敏、ライブドアの堀江貴文らを抑え、「国内最悪の経営者」堂々第1位に輝いている。

ソニーが危ない!―SONY神話崩壊の危機

ソニーが危ない!―SONY神話崩壊の危機

  • 作者: 荻 正道
  • 出版社/メーカー: 彩図社
  • 発売日: 2003/11/20
  • メディア: 単行本



 正当な報酬なら、私企業のことに口を挟まないが、国家戦略的な技術を売り飛ばし、技術革新まで削られ未来を潰され、しかも利益を出していない屑経営者が貰う額ではない。屑外人、恥を知れ。これは形を替えた植民地経営である。

 日本の企業の新卒採用が、軒並み日本人を差別し始めた。ローソンで3分の1、ユニクロで半分、パナソニック(旧松下電器)に至っては8割以上を外国人枠にして、日本人の門戸を閉ざしている。しかも、残り2割も日本人を採るとは限らない。いつもだと採用されていた某研究室の学生がパナソニックで不採用になったという話を聞いた。ゆとりの教育により、日本の人材が使い物にならなくなった側面も否めないが、海外(特定アジア)ばかり目を向けていると、企業が日本で使い物にならなくなるのは目に見えている。

http://news.livedoor.com/article/detail/4837781/
新卒採用1390人のうち日本人は290人

パナソニックの場合、10年度新卒採用1250人のうち海外で外国人を採用する「グローバル採用枠」は750人だった。11年度は外国人の割合を増やし、新卒採用1390人のうち、「グローバル採用枠」を1100人にする。残る 290人についても、日本人だけを採るわけではないという。大坪文雄社長は『文藝春秋』10年7月号のなかでこうした方針を示し、「日本国内の新卒採用は 290人に厳選し、なおかつ国籍を問わず海外から留学している人たちを積極的に採用します」と述べている。


 青のマツダファミリアによる殺人犯、引寺(ひきじ)利明(42)もあり、マツダもついでに買わないことにした。現在新車の購入を検討中だが、日産とマツダは除外、ユニクロは買わない、電化製品はパナソニックとソニーは買わない。
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2010年06月11日

あれほど薄汚い男だとは思わなかった近親相菅光洙 No,You KAN NO.Yes,Zuru KAN. 




 菅直人の妻、伸子は、直人より1歳年上の従姉であり、従姉弟の近親婚である。他の村との交流が少なかった中世ならいざ知らず、幼少より身近ないとこ同志でサカるというのは、どう考えても、まともではない。英国の研究では、イギリスに住むパキスタン人(55%がいとこ婚)の遺伝子障害の発生率が一般住民の13倍もの高率で、いとこ婚の子供の10人に1人は幼年期に死ぬ或いは重大な障害を起こすということが分かった。菅直人、伸子の子、菅源太郎も障害があるとしか思われない。

 遺伝だけではなく、身近ないとことくっつくということは、おじ・おばが義父、義母になり、幼少時におしめを替えてもらったり、お年玉をもらったおじ・おばに頭が上がらないのは想像に難くない。まして、伸子は気の強い姉さん女房、直人は下半身問題の多いドスケベで、いとこにまで手を出したのだろう。伸子が手取り足取り、菅直人を導いてきたに違いあるまい。想像するだけでも虫酸が走る。気持ちの悪い近親相菅夫婦が日本の首相と令夫人になってしまった。

 日本の法律では4親等以上離れていれば直系でない限り血族同士の結婚も認められているため、いとこ婚が可能ではあるが、鬼畜の行為に等しいと見做す国もある。アメリカでは、いとこ婚は25の州で禁止、他の6州では特殊事情の下でのみ可能である。例えば、ユタ州は双方の配偶者が年齢65歳以上または55歳以上で性的不能に関する証拠を持つ場合に限られる。残る19の州及びコロンビア特別区は、制限なしでいとこ婚を許可している(2008年現在)。ヨーロッパでは、いとこ婚は教会法に反する近親婚に当たるとされており、教皇庁から特別に赦免をもらったり、逆に離婚時にはこれを理由に用いて結婚自体が無効だったことにする、などということが行われていた。

 実は、麻生太郎・千賀子もいとこ婚であり、いとこ婚の首相が頻発するのは、欧米先進国から、気持ち悪がられ、日本の国益にも関わる。

 菅直人の下半身は従姉にさえ入り込む鬼畜で、1999年には、「週刊文春」で戸野本優子との不倫が報じられた。笑止にも、菅直人は男女関係を否定。その際の「一夜は共にしたが男女関係はない。」、「(妻から)脇が甘いと言われた。」という表現が、当時、世間の流行語となった。

 22歳も下の不倫相手の戸野本優子から、「あれほど薄汚い男だとは思わなかった。」と罵られ、暴露本まで出されている。不倫絶好調の頃、睦み合いながら菅直人は戸野本優子に「君のためなら、全てを投げ捨ててもいい。」と熱く囁いた。ところが、写真週刊誌に2人の関係がキャッチされると菅直人は掌を返し、偽装報道を繰り返すTBSの筑紫哲也は、「一夜は共にしたが男女関係はない。」と世間の嘲笑を誘う弁明を繰り返した。戸野本優子に民主党への出入り禁止を、秘書を通じて一方的に伝達したのである。それ以降、かっての愛人に対し、一片の詫びの言葉もなければ思いやりの言葉もないという。 

 菅直人は平然と嘘を付き、平然と人を裏切る。それ故に、菅直人は多くの人々から軽蔑と憎悪を浴びせられるのである。それは小沢一郎と共通する。首相をやってならない犬畜生が、菅直人であり小沢一郎であり鳩山由紀夫なのである。

http://net-news-jp.jugem.jp/?cid=31
 民主党の菅直人代表(52)に愛人疑惑が浮上した。12日発売の「週刊文春」がスクープしたもので、お相手はなんと20歳年下の美人キャスター。これまでスキャンダルには無縁で「自民党政治、官僚支配からの脱却」を訴えて国民の支持を集めてきただけに、本人にも民主党にも深刻な痛手となりそうだ。
 「脇が甘すぎる。菅代表はあれだけ注目されていたのだから慎重にも慎重を期すべきだった。あのホテルの部屋は菅代表の定宿で、担当記者ならみんな知っている。そんなところで女性と会っていたのか…。『自自連立』の直前というタイミングを考えると、敵対勢力に完全に狙われたという印象だ。即、代表交代とはならないだろうが、まずは反応を見てみないと」
 こう話すのは民主党関係者。「週刊文春」(11月19日号)によると、注目の女性はNHKのBS放送やテレビ朝日系「スーパーJチャンネル」などでキャスターを務めた戸野本優子さん(32)。今月6日深夜、東京・赤坂の東京全日空ホテルの一室で菅代表と合流。翌朝、シャワールームを使う音が聞こえた後、部屋から出てきた菅代表は、張り込んでいた同誌記者に驚いて思わず廊下の隅に隠れる動揺ぶり。密会はこの日だけでなく、8月下旬には菅代表の愛車プリウスでレインボーブリッジから常磐道までドライブ。9月中旬には東京・お台場のホテル日航東京でもデートしていたという。
 二人の出会いは月刊誌「Bart」の取材。その後も取材などで親交を深め、いつしか戸野本さんは「菅事務所の外部スタッフ」として、党の選挙用ポスターやキャッチ・コピーにまで口を出すようになった−と報じている。
 ところで、菅代表といえば「和製ヒラリー」と称される伸子夫人がいる。戸野本さんも未入籍ながら結婚式を挙げた男性がいるらしく、愛人疑惑が事実ならば「W不倫」ということになる。クリーンなイメージを武器に女性の支持を集めていた菅代表や、菅人気に支えられてきた民主党にとっては大打撃だ。
 発売前日の11日午後から、永田町周辺ではこの記事のコピーが出回り、議員秘書や政治記者たちの格好の話題に。菅代表は同日、民主党本部で定例会見を開いたが、「自自連立」に関する話題ばかりで愛人疑惑の質問はナシ。ただ、会見後、記者団にコメントを求められると、菅代表は「はぁ〜」といって避けていたという。翌12日も、各党控室や議員会館などでは文春記事を抜粋した各スポーツ紙のコピーが広範囲に回覧されていた。」



瓦解

瓦解

  • 作者: 戸野本 優子
  • 出版社/メーカー: 情報センター出版局
  • 発売日: 1998/12/22
  • メディア: 単行本




北の闇から来た男―私の愛した男は「北朝鮮の工作員」だった

北の闇から来た男―私の愛した男は「北朝鮮の工作員」だった

  • 作者: 朴 春仙
  • 出版社/メーカー: ザマサダ
  • 発売日: 2003/01
  • メディア: 単行本



 また、菅直人は、「韓直人」という通り名をもち、北鮮のスパイの辛光洙の釈放に尽力した、菅光洙である。

 1989年、辛光洙ら在日鮮人の政治犯29名について、南鮮当局に対し釈放を求める要望書に署名した。署名した国会議員は、土井たか子、村山富市、千葉景子、菅直人ら日本社会党、社会民主連合、公明党、無所属の反日議員133。

阿部未喜男、五十嵐広三、池端清一、石橋大吉、石橋政嗣、伊藤茂、伊藤忠治、稲葉誠一、井上泉、井上一成、井上普方、岩垂寿喜男、上田哲、上田利正、上原康助、大原亨、大出俊、緒方克陽、岡田利春、小川国彦、奥野一雄、小澤克介、加藤万吉、角田堅次郎、河上民雄、河野正、川崎寛治、川俣健二郎、木間章、上坂昇、小林恒人、左近正男、佐藤観樹、佐藤敬治、佐藤徳雄、沢田広、沢藤礼次郎、渋沢利久、嶋崎譲、清水勇、城地豊司、新村勝雄、新盛辰雄、関山信之、高沢寅男、田口健二、竹内猛、田中恒利、田邊誠、田並胤明、辻一彦、土井たか子、戸田菊雄、永井孝信、中沢健次、中西績介、中村茂、中村正男、野口幸一、野坂浩賢、馬場昇、早川勝、広瀬秀吉、細谷治通、堀昌雄、前島秀行、松前仰、水田稔、三野優美、武藤山治、村山喜一、村山富市、安田雄三、山口鶴男、山下八洲夫、山花貞夫、吉原栄治、渡部行雄
青木薪次、赤桐操、穐山篤、秋山長造、一井淳治、糸久八重子、稲村稔夫、及川一夫、大木正吾、大森昭、小川仁一、小野明、梶原敬義、粕谷照美、久保亘、久保田早苗、小山一平、佐藤三吾、志苫裕、菅野久光、鈴木和美、高杉延恵、千葉景子、対馬孝且、中村哲、野田哲、浜本万三、福間知之、渕上貞雄、松前達郎、松本英一、丸谷金保、村沢牧、本岡昭次、八百板正、安恒良一、安永英雄、矢田部理、山口哲夫、山本正和、渡辺四郎
小川新一郎、鳥居一雄、西中清
猪熊重二、塩出啓典、和田教美
江田五月、菅直人
田英夫
安井吉典
青島幸男、宇都宮徳馬、喜屋武真栄、山田耕三郎

http://www.youtube.com/watch?v=qzbATl-cQgM
管光洙.jpg 辛光洙は、1980年06月20日、宮崎県青島海岸の児童公園から、調理師原敕晁(はらただあき)(43)を拉致抹殺し、のし掛かってなりすまして(背乗り)、日本のパスポートで北鮮の破壊工作を行っていた。横田恵(13)の拉致実行犯である。死刑判決の出ていた辛光洙は、2000年09月02日、北鮮に戻り、英雄として切手にもなっている。

 その上に、かつて力説した工業学部(とくに応用物理)亡国論で、市民運動で市川房枝の後ろを走っていた菅直人は乗数効果も知らずに財務大臣になり、嘘吐き首相になった。

http://blogs.yahoo.co.jp/cnxgeo/8001262.html
 胡錦涛(コキントウ)は、上海で裕福な商家の一人息子として生まれ、清華大学水利工程学部を卒業。河川ダム発電所専攻している。三峡ダムで自然破壊を行い、住民の強制移住を学んだ胡錦涛にとって、チベット人虐殺など専門分野なのである。まして、残虐な4千年の歴史をもつ支那にとって、現在の地球規模での暴虐など御家芸なのである。

 江澤民(上海交通大学卒)も、朱鎔基(清華大学電気系電気製造課程卒)、菅直人や鳩山由紀夫、永田寿康(ニセメイル事件)も工学部出身であり、工学部は未来永劫政治に関わるな。


 これに付け加えて、ゆとりの教育導入時の文部大臣は有馬朗人(東京大学理学部物理学科)で、原子核物理学者である。

ミンス党ホーリーネイム

ブーメラン菅(カイワレ菅)
ルーピー鳩山
ニシマツ小沢
モナ男細野
マルチ山岡
ホステス中井
イオン岡田
キャバクラ川端
テニアン川内
口蹄疫赤松
キャミソール荒井

ぶって姫井
モロトフカクテル千葉
マジコン蓮舫
オッパイ田中
スペランカー三宅


民主党政権では日本が持たない

民主党政権では日本が持たない

  • 作者: 櫻井 よしこ
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2010/05/29
  • メディア: 単行本




民主党の正体−矛盾と欺瞞と疑惑に満ちた、日本人への恐怖の罠(OAK MOOK 305 撃論ムック)

民主党の正体−矛盾と欺瞞と疑惑に満ちた、日本人への恐怖の罠(OAK MOOK 305 撃論ムック)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: オークラ出版
  • 発売日: 2009/08/31
  • メディア: 単行本




民主党政権崩壊へ―日本の混迷、没落を許す国民に未来はあるのか?(OAK MOOK 338 撃論ムック) (単行本)

民主党政権崩壊へ―日本の混迷、没落を許す国民に未来はあるのか?(OAK MOOK 338 撃論ムック) (単行本)

  • 作者: 西村幸祐
  • 出版社/メーカー: オークラ出版
  • 発売日: 2010/05/17
  • メディア: 単行本


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2010年02月19日

貧乏籤の系譜


 今まで、会社の破綻のあおりを受けてきた。山一證券(1997年11月24日記者会見)、共栄生命保険(2000年10月20日更生特例法を適用申請)そして今度のウィルコム(2010年02月18日会社更生法を適用申請)。

滅びの遺伝子―山一證券興亡百年史 (文春文庫)

滅びの遺伝子―山一證券興亡百年史 (文春文庫)

  • 作者: 鈴木 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2008/12/04
  • メディア: 文庫




 フルプラウザが見れるということで、W−ZERO3のときに、ドコモから乗り換えた。小型になったウィルコム3で、スマートフォンとして使っている。定額つなぎ放題だが、PHSで掛ける相手がないし、電話より、ネットを見たり、PDAとして使っている。ワンセグでTVも見えるし、ネットで動画のニュースも見れる。走行中の車からも繋がるが、繋がらないところがあるのが不満ではある。しかし、もっと問題なのはほとんど販売店がないことで、海外に行くとき契約を保留にしたり、手続きはネットということになる。故障のときの保険を付けているが、壊れたら、また携帯に戻ろうと思っているので外そうと思うのに、どうやって解除するか未だに調べていない。これで月々何百円か取られている。ウィルコムはメイルばかりやたらに入れるが、ユーザーへの個々の対応がないに等しい。

 バリ島爆弾テロ事件(2002年10月12日)、パキスタン地震(2005年10月08日午前08時50分)は訪れて数年で被害に見舞われたが、2004年12月26日午前07時58分50秒のインド洋大地震(スマトラ-アンダマン地震)の津波のときには、前日の12月25日の早朝にプーケット空港(HKT)に降り立っていた。深夜便のTGがHKT経由のBKK行きだったからだったのだが、クリスマスで混んでいるプーケットでクリスマスを過ごす予定を立てていたのだが、家人の行きたくないという一言で、正反対のチエンマイでクリスマスを過ごし、まだ眠っているときに地震の揺れを感じた。あのまま、プーケットに居たら、津波で大変な目に遇っていた。

 災害や破綻が後ろから着いてきている人生だとしみじみ感じる。


津波―アンダマンの涙

津波―アンダマンの涙

  • 作者: 白石 昇
  • 出版社/メーカー: めこん
  • 発売日: 2009/03
  • メディア: 単行本


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2010年02月09日

片桐機長日航機殺人事件から28年 「機長、何するんです!やめてください!」


 正月に関西空港に朝降り立ち、それまであった国内線が廃便になっていたので、伊丹までバスに乗り継ぐ羽目になった。1階の国際線到着階から3階の国内線の階まで登るだけで乗り換えができたのは遠い昔のようだ。当たり前のことが当たり前にできない。一体何のための国際空港なのか。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tairyou.htm
1982年(昭和57年)2月9日午前8時37分、片桐清二(当時35歳)機長が操縦する福岡発羽田行きの日航機DC8が着陸寸前に突然、失速、空港手前の羽田沖に墜落、死亡者24人、重軽傷者149人を出す惨事となった。事故の原因は着陸態勢に入ったときに、片桐機長が突然エンジンを逆噴射させたためだった。ボイスレコーダーに「機長(キャプテン)やめてください!」という石川幸史(よしふみ)副操縦士(当時33歳)の絶叫が記録されていて証拠となった。記者会見で高木社長は片桐機長が乗員健康管理室から心身症と診断されて経過観察中であったにもかかわらず運輸省(現在の国土交通省の前身のひとつで、運輸省は建設省、国土庁、北海道開発庁と統合されて国土交通省になる)などに報告を怠っていたことを明らかにした。片桐元機長は精神鑑定の結果、妄想型精神分裂症と診断され不起訴処分となった。

 昭和57(1982)年02月09日、日本航空福岡発東京行350便、DC-8-61型機(機体番号JA8061)JL350便は、9分遅れの午前07時34分に福岡空港を離陸。片桐機長は吐き気のため朝食を取らず、機内でスチュアーデスの持って来たコーヒーも飲まなかった。その後順調に飛行し、08時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、フラップを降ろして着陸準備に入った。
 高度200フィート(約61m)までは順調であったがその直後の08時44分01秒、機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。
 エンジン音の異変に気付いたO航空機関士(当時48歳)が「パワー・ロー!」と叫んで推力を戻し、石川副操縦士が操縦桿を引き上げたが、08時44分07秒、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら、C滑走路33R進入端沖合の南300m手前に機首から墜落し、機首が吹き飛び、機体は機首と機体後部で真っ二つになり、3分の1が水深5mの海中に水没した。



 片桐機長操縦のJL350便には、乗組員8名、乗客166名の計174名が搭乗していたが、うちこの墜落により死亡24名(乗客24名)、重傷95名(乗組員8名、乗客87名)+軽傷54名(乗客54名)=149名が負傷を負った。死者のうち6名は溺死。当時は、禁煙席は最前列あたりのみで、死亡者は禁煙席の乗客が大多数だった。

 東京消防庁は、13時33分に死者24名と最終的に確認し、その後生存者も死者の発見もなく、15時28分に捜索が打ち切られた。16時にボイスレコーダーが回収され、20時過ぎに全ての救急活動が終了。

航空事故調査報告書(概要)報告書番号58-3
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/kensaku/detail.asp?ID=367

 この事故の直接の原因は片桐清二(当時35)機長の操縦によるもので、事故ではなく、殺人事件である。片桐機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。航空事故調査報告書には、「着陸進入中の低高度において、その必要がないのにもかかわらず、機長が操縦輪を押し込み、かつ、全エンジンのパワー・レバーをフォワード・アイドル位置まで引き戻し、その後更に第2及び第3エンジンのリバース・レバーをリバース・アイドル位置まで引いたことによるものと認められる。」と断定されている。また、片桐機長がこのような操作を行うに至った理由は、遺伝性の精神病によるものとされている。

 後に片桐機長は、この操作の直前に「去ね(いね)、去ね。」という山彦のような声が聞こえ、その後は墜落直後まで気を失ったと述べている。ボイスレコーダーに木更津上空での片桐機長の喚き声が収録されており、墜落まで機首下げを行おうとしていたため、石川副操縦士が「キャプテン、何をするんです!やめてください!」という絶叫も残されている。石川副操縦士は「1回目は止めたが、2回目はどうしようもなかった。」、「墜落直前に航空機関士と共に片桐機長を羽交い締めにするようにして、機長席側の操縦桿を思いっきり引いた、機体が水平になったと同時に墜落した。」などと証言しており、片桐機長が異常操縦を2回行い、2回目の際に高度60mで石川副操縦士は3基のエンジンを戻したものの1基を戻しきれずに機体は着水したと思われた。機体からは第4エンジン内のスロットルレバーと1基のファンエンジンが逆噴射をしている状態で見つかり、石川副操縦士の発言を裏付けた。石川副操縦士とO航空機関士が制止しなければ、さらに犠牲者が増えていた。O航空機関士は、片桐機長を止めようとしてベルトをしてなかったために大怪我をした。

 墜落後、意識を戻した石川副操縦士は片桐機長に「何てことをしたんですか!」と叱責すると、片桐機長は大声で泣いた。片桐機長は着水後、「ああ、やっちゃった。」と平然と語り、一番先に脱出していた。救出されて入院した石川副操縦士は事故直後、事情聴取に訪れた日航幹部に対し「とんでもないことをしてしまった。」と話して泣き崩れている。

 航空法第75条、機長は事故の発生時に乗客の救助を率先して行うよう義務づけられているが、片桐機長はそれらの職責を放棄し、乗客に紛れて脱出した。当初、機長死亡という誤報が流れていたが、その後真っ先にボートで平然とした表情で救出される片桐機長の姿が報道され、救出された際、石川副操縦士は暗い顔をしていたが、片桐機長は笑顔だった。



 片桐機長、石川副操縦士は、正午過ぎに、羽田東急ホテルで、日航が手配した東京慈恵会医科大学附属病院の医師の診察を受け、片桐機長は12時50分頃、石川副操縦士は12時55分頃に慈恵医大病院に入院。片桐機長が入院したのは、小児科病棟401号室で、後に特別病棟428号室に移った。部屋は個室で都心のため狭いが、電話があった。鎮静剤をうたれ、片桐機長はそのまま眠りこんだが、石川副操縦士は眠れなかった。羽田東急ホテルでは、医師会の医師の応援を拒絶し、日航はその事実を隠蔽し、「機長隠し」と騒がれた。

 事件当日の09日に、日航は逆噴射の事実を摑んでいた。現場に駆けつけた日航の整備士が、海中に散乱した第2、第3エンジンに逆噴射のときにしか出ない「羽」が出ているのを見つけ、上司に報告。エンジンの異常を知った日航は、運航関係の幹部を慈恵医大病院に派遣した。石川副操縦士は捜査本部の事情聴取では、「操縦桿を引き戻したときに異常に重かったので機長が何かやったと思い、何か叫んだが、その言葉は覚えていない。」と偽証し、むしろ片桐機長を庇っていたが、運航関係の幹部の前では、「大変な事が起きてしまった。」、「会社が大変な事になる。」と泣きだした。運航関係の幹部は、「何が起きたんだ。」と問い質したが、石川副操縦士は黙ったままだった。「真実は一つだ。どんな事でも話すべきだ。」と説得され、ようやく「機長がエンジンのレバーを逆噴射の方向に引いたようだ。」と吐露した。

 極秘の逆噴射の事実は日航内で箝口令が敷かれ、10日から12日にかけて、日航の最高幹部が招集され、常務会が何度も開かれた。多くの人命を預かる機長の異常行動に会社としてどう対応するか、結論が出ず、整備関係の役員から、「事実を公表すべきだ。」と強い意見が出たが、高木養根(やすもと)(当時69、東京帝國大学法学部卒)社長に一任になった。隠蔽工作を画策していたのは間違いない。
 しかし、日航社内に異常操縦の噂が漏れ、事実公表を求める下部からの付き上げが激しくなった。12日昼に、日航は、機長の異常操縦を心身症の病歴を運輸省と航空事故調査委員会に報告。内々に発表の許可を求めたが、どちらも事なかれ主義で反対したが、日航の「これ以上社内を抑えられなくなった。」との言葉に渋々承諾した。その夕方、高木社長ら19人は日航オペレーションセンター3階の特別会議室で緊急役員会を開き、「逆噴射と心身症を一緒に発表するのは良くない。」という意見もあったが、また、高木養根社長に一任。片桐機長の妻は、事故後、同僚の機長の車でその同僚機長宅に避難していた。発表により、その家で泣き崩れそのまま寝込んでいた。はじめは片桐機長が死んだと思っていたが、テレビの発表で生きているのを知ったという。このような日航の隠蔽工作は、「機長隠し」に続き、「機長夫人隠し」と言われる。

 日航は、この逆噴射事件が片桐清二の精神分裂病による大量殺人事件にも拘らず、原因を「心身症」という耳慣れない病名を持ち出して来て、誤魔化し責任逃れを行った。日航は、自己の保身のため、軽微なノイローゼによる身体的不調の「心身症」を重大な精神異常のような間違った錯覚を与えた。「心身症」は「精神疾患」ではなく「身体疾患」であるため、主として扱う診療科は精神科ではなく心療内科である。日航の腐った体質は、何も変わっていない。

 石川副操縦士は中央大学経済学部出身。入社後は航空機関士として経験を積み、10年後に副操縦士になり、事故後も勤務をこなし、日本アジア航空(JAA、EG)でようやく機長になった。O航空機関士は、航空事故調査報告書に身長160cmと記されている。

 片桐清二機長の実家は、昭和の初めから大分県別府の商店街の3階建ての時計屋を営んでいたが、それとは別に高級住宅街に別宅があり、その別宅で片桐清二は生まれた。大分県立別府鶴見丘高等学校では学年30位程度。九州大学に行ける成績だったが、岡山大学理学部数学科に入学し、2年で中退して航空大学校に入った。パイロットになって結婚。片桐機長は日航の同僚によれば無口で、感情の起伏をまったく見せない男であり、趣味は釣り。酒、煙草、麻雀などはやらない。娘も生まれたが、日本アジア航空へ出向し、定期運送用操縦士の学科試験に落ちたあたりから異常が現れてきた。

 昭和54(1979)年12月、33歳で同期入社の中で半年遅れで、昇格訓練を経て機長となった。数年前から体調を崩して度々「吐き気がする。」と訴えていたが、事故から2年前の昭和55(1980)年08月頃、神奈川県葉山の自宅で「盗聴器が仕掛けられている。」と警察に通報したり、警察官に対して、「家の周りをうろつく奴がいる。」とか「応接間の天井に盗聴器がある。」などと訴えている。また、「宇宙から電波が届き、飛行機を操縦している。」など妄想の兆候が見られた。この頃、片桐機長は国際線の成田−モスクワ間の機長として乗務していたが、この時も妻(実家は裕福な医者で、元スチュワーデス)に「共産主義の連中が自分を狙っているのでモスクワには行きたくない。」などと話している。心配した妻は病院の精神科医に相談したところ「ご本人を診察していないので明確には言えないが精神分裂症の兆候がある。」と言われ、妻は大きな衝撃を覚えた。

 日航の6ケ月毎の定期検査では神経衰弱による「心身症」と診断され投薬と静養を必要と診断された。昭和55(1980)年11月末本人から吐き気など体の異常を訴える連絡があった。病院で診断の結果「三週間の安静加療が必要。」という診断書が提出され、心身症で1ケ月の短期療養となった。ところが片桐機長が心身症で休養中の12月15日、日航の片桐機長を診断した指定医から運輸省航空局に出された航空身体検査書には、すべての事項について「異常なし」と記入されていた。心身症とは「身体症状を主とするが、その診断と治療に心理面からの配慮をとくに必要とする病態」と定義され、ノイローゼや精神病などとは区別されている。心理的なストレスが引き金となって、高血圧・胃潰瘍・喘息・吐き気やめまいなどさまざな身体的異常が引き起される。

 昭和55(1980)年12月23、24日副操縦士としての定期検査を受け、同乗した専門の精神化医の同意を得て、12月末から副操縦士に降格されて勤務に復した。その後、定期検査で医師も乗務に差し支えない状態に回復したようだと日航の運航乗員部に報告。その結果、事件前年の昭和56(1981)年11月11日の社内審査会を経て、11月20日から時差もなく体調を維持しやすい国内便の機長として操縦桿を握った。この頃妻や姉千鶴子に「自分は皇室の人間だ。」とか、散歩の途中で見知らぬ人に愛犬をあげたりと妄想や奇行は依然続いていた。

 片桐機長の妻は、事故を起こすフライトの2泊3日の勤務に出かける直前、殺されそうになるほどの暴力を振るわれ、家をメチャクチャにされた。片桐機長の姉千鶴子に訴えに行ったが相手にされず追い返されてしまった。前年の暮れから、片桐機長が暴力振るっては何も覚えてないという事が続き、その度に相談していた。千鶴子は片桐機長の妻が落ち着くまで泊まっていけばいいと思ってたらしい。夜には片桐機長の娘が熱を出して寝込んでしまい、その翌日片桐機長がお千鶴子の家に来たが、妻子を迎えに来たわけではなく、「会いたくない。」と言って玄関に突っ立ったままだった。そんな片桐機長を中に通して話を聞くと、「戸籍を消したい。」、「分裂病で死んだ姉のことが会社にバレるとクビになる。」と言うのを「思い詰めちゃ駄目、あんたは疲れてるだけなのよ。」と言って宥めている。そして娘が寝てる部屋を覗き込んで、「熱が下がったら送って行くよ。」という千鶴子の声かけに「よろしくお願いします。」と他人みたいな挨拶をして、1人で帰って行った。

 事故前日、事故時と同じ乗務員で羽田発福岡空港行きJL377便に乗務しているが、その際も異常な行動が見られた。離陸時、管制官から離陸許可が出ていないにもかかわらず、「管制許可はきているね。」と呟きながらパワーレバーを操作しようとしたところを石川副操縦士と航空機関士に制止されていた。離陸して間もなく、大島上空で対気速度250ノット、バンク角25度の緩い右旋回上昇を行う予定であったが、操縦桿を握っていた片桐機長は70度(通常の飛行では最大35度程度)近くに達するまでバンクさせたため、石川副操縦士が横から修正を行っている。この直後、石川副操縦士は片桐機長に対して大丈夫かと問いかけたが、片桐機長は落ちついた様子で「大丈夫です。」と答えたという。だが、機体はバンク角過大のため内側にスリップし、15秒間で800 フィート(約250m)降下している。福岡に到着後降機した際、片桐機長は石川副操縦士に対して「さっきはお見事。」と揶揄するように言ったという。この操縦で乗客からのクレームもあったが、石川副操縦士が会社に対して報告を行わなかったため、クレームは黙殺された。

 昭和57(1982)年02月16日、片桐機長は「着陸寸前、突然言いようのない恐怖心にかられ、意識を失ってしまった。どんな操縦をしたか全く覚えていない。」と語っている。片桐機長は業務上過失致死罪により逮捕となったが、精神鑑定により精神分裂病(現在の表記では、「統合失調症」、つまり「気違い」)と診断され、心神喪失の状態にあったとして検察により不起訴処分となった。

 片桐機長の2番目の姉も精神分裂病で、精神病院に入院していたが、飴玉が喉に詰まって死亡した。実家での葬儀の後、診断書に精神分裂病と書かれているのを見た瞬間、片桐機長(当時は副操縦士)は血の気がサーっと引いてその場から逃げるように立ち去った。このあたりから片桐機長の様子に異変が起き始める。片桐機長の精神鑑定医・小田晋は遺伝性の精神分裂病と断定している。初期の心理テストで精神分裂病と診断可能なほど進行していた。その後鑑定途中で本人が病気を認めてからは病状が恒常化した。
 パリ人肉事件の佐川一政と同じ松沢病院に措置入院。先に入院していた片桐機長は、「佐川と出合い意気投合。毎週金曜日のカラオケ大会で機長は見習い看護婦と『銀座の恋の物語』、佐川は『ゴンドラの唄』を熱唱。仲良しコンビ結成に病院職員からどよめき。」と週刊誌に載っている。

 事故から1年後ぐらいに解雇になっているが、退職金は出た。片桐機長は措置入院中の松沢病院で解雇を知り、かなり動揺した。退院して、日本航空の年金と精神障害者保健福祉給付を受け取って、葉山の自宅で悠々自適の生活を送っている。2002年の週刊文春によると、自動車の免許を再取得し、たまに出掛けたりするが、ほとんど家から出ない。唯一の趣味だった釣りさえも行かず、妻がパートの仕事をして、たまに2人でコンサートに出掛けたりしている。

 片桐機長は着替えたのではなく、最初からカーディガンで勤務していた。また、逆噴射をしたのも、当時日航機のパイロットの間ではやっていた遊びで、誰が一番滑走路の手前に着陸できるか競い合っていた。片桐機長も滑走路の端ギリギリで着陸しようと逆噴射を効かせすぎたため、人命が失われた。他者の批判を許さない片桐機長と日本航空の組合の異常性が滲み出ている。
 これ以前にも、日本航空は「気違いが操縦している。」という噂があり、実は片桐機長だけではない。この事件後、日本航空の調査により、「心身症」という理由で、10数人のパイロットの乗務が強制的に中断させられている。乗務を止めさせなければ、この類の殺人事件が10数件続いた可能性が高い。また、スチュワーデスの組合間の諍いで、乗客に塩辛いスープを出したり、有力者や国会議員の縁故採用が多い。暴力団安藤組組員(やくざ)だった安部譲二はパーサーを勤め、普段は組の代紋を付け、日本航空に出勤する時はマメに外していた。

 JL350便は、3年後の昭和60年(1985年)08月12日、高天原山系に属する無名の尾根(後に御巣鷹の尾根と命名)に墜落したJL123便と共に欠番である。日本航空は、潰して、社名の方のJALやJLを欠番にすべきであった。

 何と、この忌まわしい日本航空による殺人事件の日に羽田で操縦桿が作動しなくなる事故が発生している。日本航空に、国税を掛ける意味などない。高病原性ウィルスより危険である。OBを含め企業年金分は全て返上させ、国民の安全のため、完膚なきまでに叩き潰すべきである。

日航機が操縦桿故障で緊急停止 羽田空港 < 2010年2月9日 15:11 >

 9日午後、羽田空港に着陸した「日本航空」の飛行機が、操縦桿が故障したため滑走路で緊急停止した。

 9日午後1時30分過ぎ、羽田空港に着陸した新千歳空港発の日本航空510便が、滑走路から誘導路に進もうとした際、油圧系統のトラブルのため操縦かんが利かなくなり、緊急停止した。日本航空などによると、この飛行機には乗客・乗員計294人がいるが、ケガ人はいない。乗客は現在も飛行機に乗ったままとなっている。

 日本航空は詳しい故障の原因を調べている。


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posted by cnx at 22:26| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする